【要約】
ヨーロッパの庭は、彫刻や絵画や建築や、ヨーロッパ流の芸術理念を作り出しているそれらのジャンルに準じて、自然を造形し構成し変容せしめようという意志をもって創造された。それに対して日本の庭は、生花や茶の湯、連句などの日本の芸術に共通して見られる一期一会の精神に準じ、そこにはヨーロッパの庭に見られる永遠の造型を目指そうという人間の意志は感じられない。日本の庭は変化こそを命とするのである。しかし日本の代表的な庭園とされる龍安寺方丈の石庭は、ヨーロッパ風の芸術理念から言っても、何ら躓きとなる要素を持っていない。また日本の多くの庭に見られる、日常生活において人をくつろがせ解放し、その嬉戯の心をみなぎらせる要素もない。その点で鑑賞者に緊張感を与える龍安寺の石庭の非日常性は、それが日本の庭の代表などではなく、例外的存在であることを示している。
【問1】
(ア) 祈念 ①祈願 ②棄権 ③騎馬戦 ④旗手 ⑤軌道
(イ) 記念碑 ①被害 ②卑近 ③罷免 ④碑文 ⑤疲弊
(ウ) 征服 ①犠牲 ②調整 ③先制 ④一斉 ⑤遠征
(エ) 朽ち ①究明 ②及第 ③階級 ④紛糾 ⑤不朽
(オ) 媒介 ①栽培 ②賠償 ③触媒 ④陪審 ⑤倍加
《復習問題》
テキスト本文102行目「だが日本の多くの庭は、主の生活に融けこんで、その中に自由に出入りすることの出来る空間」とあるが、どうして「日本の多くの庭」はこのような空間的性質を持つことになったと考えられるか。その理由として最も適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。
① 日本の庭の多くは、作られた瞬間に、歳月による自然の変化に委ねられ、そこに永遠不変の造型を願わない意志と一瞬の示現への憧れが働いていたから。
② 日本の庭の多くは、龍安寺の石庭とは異なり、変化することのない堅固な素材だけで作られているのではなく、変化するものをその本質に置いているから。
③ 日本の庭の多くは、時間とともに変化し、推移することを生命とし、一瞬の示現を果たした後、消え去ることを志向するように作られてきたから。
④ 日本の庭の多くは、その制作の根本に、人間の生活と自然とは連続しており、自然の中で親和関係を保とうとする古来からの日本人の心根が反映しているから。
⑤ 日本の庭の多くは、日常それを見て楽しむことを主眼に制作されてきており、庭の中に自由に出入りすることで自然に融けこもうとする意志を反映したものだから。
《解答》
④