2015第1学期『現代文読解』第9講福田恆存「日本を思ふ」要約&記述解答例&復習問題

【要約】

西欧思想の根本をなすものが絶対者の観念であると言うと、日本こそが絶対主義の国であるという反問が予想されるが、日本はたんなる相対的な存在を強いて絶対者と見なそうとしている点で、実は絶対者のいない絶対主義である。それに対して西欧は、相対的な現実の上に絶対者を設定し、現実主義者と理想主義者を生活の中で使い分ける二元論的人生態度を持つ点で徹底した相対主義だと言える。しかし、絶対者を持たないことで日本人は、現実における身近な人間関係にからめ取られ、隣人との距離と孤立とを恐れ自他未分状態に止まろうとする。一方で西欧は、自と他の間に距離を置いても、万人共有の絶対者を介して他の多くの他とつながることができると考え、個人主義を生み出した。こうした点から私たち日本人は、他と距離を持つ確固たる個を持つことが出来ず、またそれからも己を空しうせねばならぬほどの強い己があったかどうかに疑問が持たれるのである。

 

【問8】日本は、西欧の「個人主義」発生の前提である、相対的な現実の世界とは異なる次元にある「絶対者」とのつながりを介して多くの人間とつながっているために孤立しない、という世界観を持っていない。そのために自他の間に距離を置くことができず、身近な隣人と自他未分状態に陥るために、明確な個を持つことがないから。

 

《復習問題》テキスト本文50行目『「愛」の思想』と同72行目「愛情」とはどのように違うか、75字以内で説明せよ(㊟解答例は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答例》

愛は、隣人に限らず、それを跳び越えて、遠く広く、他の多くの人間とのつながりに向けられるが、愛情は、隣人にのみ向けられ、自他の未分状態を現出させる。

2015年第1学期『医系小論文』MEDICAL☆KING№6【Extra-Self Check!!】《(念のための)解答集》

□1 インフォームド・コンセント(informed consent)

□2 パターナリズム(paternalism)

□3基本的人権としての「生存権」と「幸福追求権」(「自由権」)

□4 ホスピス(Hospice)

□5  SOL(Sanctity of life)

□6 コメディカルスタッフ(Co-medical staff)/ パラメディカルスタッフ(Para-medical staff)

□7 かかりつけ医(Family doctor)

□8(全ての空欄の答えは同じ)死ぬ権利

□9(順に)コンビニ受診 救急

□10 死生観

□11 パーソン論(Person theory)

□12 全人(的)医療/ホリスティック・メディスン(医学)(Holistic medicine)

□13 自律尊重原則 善行原則 無危害原則 正義原則

□14 自己決定権

□15 ホスピスケア 緩和ケア

□16 国民医療費

□17 ①家族や見舞客が患者に付き添う習慣②混み合った救急病棟③複数の病院で治療を受ける「ドクターショッピング」

□18(2014年)1位悪性新生物 2位心疾患 3位肺炎 4位脳血管疾患

□19(平成26年版高齢社会白書-内閣府)25.1%

□20アドヒアランス・・・患者自身の治療への積極的な参加(執着心:adherence)

2015年第1学期『医系小論文』MEDICAL☆KING№5【Extra-Self Check!!】□3解答例

【解答例1】(設問に従い、WHOの定義に触れたバージョン)

WHOの健康の定義では「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」とある。また医療の目的が、人間の「健康」の維持、回復、促進であるなら、子どもが出来ないことで心的苦痛を抱えている状態は「健康」とは言えない。それを回復するのに生殖医療技術が使われるのなら、それは医療であり、「科学の濫用」とは言えない。

 

【解答2-参考】(「医療とは?」という大きなテーマから演繹的に論を展開した場合)

医療には、ホスピスケアのような本人を苦しみから可能な限り解放しようとするものもある。その点で、生殖補助医療は子どもが出来ないという人の精神的苦痛から、当人を解放するためのものであるという点では医療の一種と考えられ、「科学の濫用」ということは出来ない。もしこれを不自然というのなら医療は全て不自然だということになる。

 

【解答3-参考】(「生殖補助医療」に反対する立場で論じた場合)

AIDで誕生した子どもの出自をする権利が日本では保障されてないなど、生殖補助医療で誕生した子どもは、その福祉が脅かされる状況にある。つまり法整備など、社会の受け入れ体制が整っていない状況で「技術的に可能だからする」という点では、生殖補助医療は科学の暴走という点で「科学の濫用」だと言うことができる。また自然界では一定の割合で子孫を残せないものがいるのに、それを技術で残そうとするのは「不自然」だとも言える。

 

【訂正】2015第1学期第7回『Weeklyテスト演習(応用)②』岩井克人「未来世代への責任」復習問題【訂正】

皆様~♪皆様~♪全国の受験生の皆様~♪青木でございます♪

<(_ _)><(_ _)><(_ _)><(_ _)>やってしまいました<(_ _)><(_ _)><(_ _)><(_ _)>

以下の復習問題にミスがあることが、新潟校の生徒さんの指摘で発覚<(_ _)>訂正します。

《復習問題1ーどちらかというと私立向け》

本文48行目空欄Fには「倫理的」が入り、この箇所は「倫理的な存在となることが要請されている」という内容を含む文が完成するが、これはどういうことかを説明したひとつながりの語句を本文から10字以内で抜き出せ。(㊟解答は最下段にあるのでスクロールして確認のこと。)

字数がおかしいです(解答と合致しません!!)字数の打ち間違えです<(_ _)><(_ _)><(_ _)><(_ _)><(_ _)>

【訂正バージョン】

本文48行目空欄Fには「倫理的」が入り、この箇所は「倫理的な存在となることが要請されている」という内容を含む文が完成するが、これはどういうことかを説明したひとつながりの語句を本文から20字以内で抜き出せ。(㊟解答は最下段にあるのでスクロールして確認のこと。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答1》(これは訂正無しです。一応再掲載。)

未来世代の権利を代行しなければならない (45~46行目) (補足)「倫理的な存在となることが要請されている」の「要請されている」が、「未来世代の権利を代行しなければならない 」の「代行しなければならない」に対応している点に着目!

2015第1学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第9講鈴木博之「都市のかなしみ」要約&記述解答例&復習問題

【要約】

「復元」と「復原」は、前者が保存から一歩進んで、失われたものをよみがえらせることであり、後者が過去の建築遺産を保存してもとに戻すことである点で両者は異なる。その一方で、復原も復元も、歴史を重要なものと考えているという、そして同時に歴史をどのようなものと考えているかを示す態度表明であり、近代的な歴史意識の産物である点で共通点も持つ。しかし、前者は、失われてしまった建物などを、さまざまな資料や証拠から類推して作り上げるという点で問題を抱えている。それは、類推であるにも関わらず、復元がレプリカだという意識の低さも相まって、あたかもそれが歴史的事実のように受けとめられがちであるという点である。その意味で復元は、大局的に見れば意図的な歴史の演出であり、創作である側面があることは否めない。たとえそれが歴史の理解を助け、学術上の研究成果を活かすという目標を掲げたものであっても、復元遺跡や復元建造物がにわかに客観性を帯び、あたかもそれらが歴史的事実のような存在になるのは、やはり問題である。せめて、復元案がどのような研究者や建築家の手になるものであるかを、はっきりさせ、あくまでそれが一つの活動であり、創作活動であることを示すことで、そこを訪れる人々も自分たちで考えながら検証したり、自分なりの復元を想像したりできる余地を残すべきである。そうでなければ、復元はかえってわれわれの歴史的想像力を衰退させる危険性がある。

 

【問7】

我々の歴史的想像力を衰退させるほどの客観性を帯び、歴史的事実であると誤解される。

(別解)類推が入っていることを忘れ、客観性を帯びた歴史的事実であるかような存在になる。

 

《復習問題》テキスト本文139~140行目「実物大に建てられる復元物については、考証者名あるいは設計者名を添えておくべきであろう」とあるが、その理由を筆者はどのように考えているか。90字以内で答えよ(解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答例》

復元は一つの仮説であり、一種の創作活動によって作られたレプリカであるという理解をそれを見る人に持ってもらうことで、それが歴史的事実であるという誤解を与えないようにするため。 (86字)

2015第1学期先取り学習『センター現代文』第9講山本健吉「日本の庭について」要約&漢字解答&復習問題

【要約】

ヨーロッパの庭は、彫刻や絵画や建築や、ヨーロッパ流の芸術理念を作り出しているそれらのジャンルに準じて、自然を造形し構成し変容せしめようという意志をもって創造された。それに対して日本の庭は、生花や茶の湯、連句などの日本の芸術に共通して見られる一期一会の精神に準じ、そこにはヨーロッパの庭に見られる永遠の造型を目指そうという人間の意志は感じられない。日本の庭は変化こそを命とするのである。しかし日本の代表的な庭園とされる龍安寺方丈の石庭は、ヨーロッパ風の芸術理念から言っても、何ら躓きとなる要素を持っていない。また日本の多くの庭に見られる、日常生活において人をくつろがせ解放し、その嬉戯の心をみなぎらせる要素もない。その点で鑑賞者に緊張感を与える龍安寺の石庭の非日常性は、それが日本の庭の代表などではなく、例外的存在であることを示している。

 

【問1】

 

(ア)  祈念  ①祈願 ②棄権 ③騎馬戦 ④旗手 ⑤軌道

(イ)  記念碑 ①被害 ②卑近 ③罷免 ④碑文 ⑤疲弊

(ウ)  征服  ①犠牲 ②調整 ③先制 ④一斉 ⑤遠征

(エ)  朽ち  ①究明 ②及第 ③階級 ④紛糾 ⑤不朽

(オ)  媒介  ①栽培 ②賠償 ③触媒 ④陪審 ⑤倍加

 

《復習問題》

テキスト本文102行目「だが日本の多くの庭は、主の生活に融けこんで、その中に自由に出入りすることの出来る空間」とあるが、どうして「日本の多くの庭」はこのような空間的性質を持つことになったと考えられるか。その理由として最も適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

①    日本の庭の多くは、作られた瞬間に、歳月による自然の変化に委ねられ、そこに永遠不変の造型を願わない意志と一瞬の示現への憧れが働いていたから。

②    日本の庭の多くは、龍安寺の石庭とは異なり、変化することのない堅固な素材だけで作られているのではなく、変化するものをその本質に置いているから。

③    日本の庭の多くは、時間とともに変化し、推移することを生命とし、一瞬の示現を果たした後、消え去ることを志向するように作られてきたから。

④    日本の庭の多くは、その制作の根本に、人間の生活と自然とは連続しており、自然の中で親和関係を保とうとする古来からの日本人の心根が反映しているから。

⑤    日本の庭の多くは、日常それを見て楽しむことを主眼に制作されてきており、庭の中に自由に出入りすることで自然に融けこもうとする意志を反映したものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

2015第1学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第8講井筒俊彦「意味の構造」要約&復習問題

【要約】

常識的には言葉と物の関係は、先ず物が有り、それらに別々の名前がレッテルとして付けられているというように直接的なものであるとされているが、実はそこには無限に複雑な自然物を見、それらを秩序づけ、様々な目的に従ってそれらを評価する、人間精神の独特の視点によって、現実の世界が主体的に再構成されるというプロセスが介在している。その意味で語は現実の世界の言語的類別化であり、「概念」と呼ばれるものはその主体的視点が明確な形をとったものである。意味論は、このような視点が語というはっきりとした形をとったものを分析的に研究する。

 

【問5】

tableもロゴスも、抽象度の違いはあっても、その言葉を持つ社会に固有な独特の現実世界の言語的類別化である点では同じだから。

 

《別解》

物と言葉の間には直接的な結びつきはなく、全ての概念はその社会に固有な独特の精神態度の具体的な現れである点で同じだから。

 

《復習問題》

テキスト本文55~56行目「ごく普通の語でさえ、それに全くぴったりした語または句で訳すことは非常に難しい」とあるが、その理由を、本文中の語句を使って20字以上30字以内で説明せよ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

言語はそれぞれの社会に固有な独特の精神態度の表れであるから。

2015第1学期『現代文読解』第8講山崎正和「世紀を読む」要約&漢字解答&記述解答例&復習問題

【要約】

シドニーオリンピックを観て印象深かったのは、たとえそれが政治的な儀式であり、所詮は偽善を含むものであろうとも、たしかなにその偽善の質が変わったことを感じたことである。スポーツの強さを国力の表現とする時代は消え去ったのである。時代的には、国家が国威発揚を目指せば目指すほど、国家の意味が変質する逆説が働く時代になった。そもそもスポーツは、目的至上主義である国民国家の近代化精神とは反対に、手段を目的化する文化として無用の能力を伸ばすものである。にもかかわらず工業化などに象徴される国力の表現としてこれまでは錯覚されてきたが、それが終わった今、スポーツと国家ははじめて健全な関係を結びつつあるように見える。そこでは国家は神聖で宿命的な国家のイメージを表すものではない。

 

【問1】

ア 創設 イ 示唆 ウ 刻々 エ 重用 オ 安んじる

 

【問5】

スポーツを国力の表現と錯覚し、国威発揚のために愛国的な熱狂の対象としてきたこと。

 

《復習問題》テキスト本文68行目「開いても壊れない強靱さ」とあるが、これを文化について述べた箇所を11字で抜き出せ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

一国の文化が国際化する(11字) (本文4段落内)

 

2015第1学期『現代文基本マスター』第6講福永武彦「忘却の河」記述解答

【問6】(解答例)本当のふるさとである、東北の山国の河べりにある貧しい土地の記憶を忘れてしまっていることや自分の生い立ちを妻に話さずにいたことへの罪悪感を思い起こすものだから。(79字)

【採点ポイント】

①設問にある「主人公の生い立ち」に、注目して書けているか。

②二重傍線部はH②なので-

31~34行目のR②「あなたが~なかったのに」

35~39行目のR②「しかし人には言わない~なかったんだよ」

41~44行目のR②「私はそして~もないのだ」

にあることを参考にして解答を作っているか-をチェックのこと。

 

 

2015第1学期第8回『Weeklyテスト演習(基礎)②』西修「日本国憲法を考える」要約&記述解答例&復習問題

【要約】

欧米の人権概念の背景には、キリスト教の思想に基づいた、神の目を意識しつつ自らの言動を律するという考えがあった。日本はこのような唯一・絶対神を基本に据えた人権論は発達しなかったが、その代わりに家族や共同体の目が、神の「目」に匹敵するものとして意識され、社会秩序の調和が図られた。しかし、日本においても欧米においてもこのような調和のシステムが崩れつつあり、ことに日本では家族や共同体の「目」という制約原理のないままに「個」を尊重することが民主主義の精神であると強調され、制約の無い「個人の尊重」がそのまま「個人の放縦」と化してしまった。「個人」の存在は軽く見るべきものではないが、「個人の尊重」のみを強調してきた、戦後における人権観念の問題点をもう一度論議すべきである。

 

【問5】(模範解答以外の解答例)

家族や共同体の目という個人に対する制約原理を無くしたまま、「個」の尊重が、民主主義に沿うものと強調された結果、個人の尊重と私利私欲の区別ができなくなったから。

 

《復習問題》本文第8段落文末に「戦後における人権観念の基本的問題点がここに存するように思われてならない」とあるが、「ここ」とはどこか。それを表す表現を本文から15字以内で抜き出せ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

制約のない「個人の尊重」