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2013第2学期『現代文読解』第7講佐々木毅「学ぶとはどういうことか」要約&記述解答

《要約》

人間社会に巣食う不正や暴力、欲望の暴走、予測不可能な不安定性といったものに対する嘆きや悲しみ、やり切れ無さが人間の「学ぶ」ことへのエネルギー源であり、そこから大思想が生まれる。しかし、その人間的な現実を作り出しているのも他ならぬ人間であり、人間はそうした現実に疑いを差し挟み、新しいことを試み、それを通して人間世界を変え、それを作りかえることで文明を作り上げてきた。しかしその文明では日々、さまざまな問題が生じるため、新しい工夫によって一歩一歩前に進むこと以外にやりようがないが、そうした問題に対する具体的な対処が「学ぶ」ことの内容を形成する。その意味で「学ぶ」ということは、文明の性格と深く結びついている。プラトンは、その万物を統御する神による支配というモデルにおいて、「すべてがわかっている」人間、智者こそが支配者になる政治体制を理想としたが、人類が過ちを犯すことがある以上、常に様々な問題が生じ、「学ぶ」ことが求められる。プラトンの考えに比べれば、終点のない「学び」である、「より適切なもの」を選択する立場は、究極性や絶対性はなく、あるのは生命の働きに依拠した継続性である。そこには選択の余地と過去の選択の修正可能性があり、それはすなわち人間の現実が「可能性の束」であることを意味している。その意味で、人間は新たな可能性を切り拓く「中間的」存在としての定めに従いつつ、絶対的な権威を振りかざす特定の人間に百パーセント臣従することの薄気味悪さからは、間違いなく開放されていると言える。

《問5》

様々な問題に対して、人間は新しいことを選択し、企て、それらに具体的に対処することで、人間世界を作りかえていけると考える。

10月20日(日曜日)普段は絶対聞けない【センター対策セミナー】を地元京都で開催!!

【日時】10月20日(日曜日)13:50~15:20

【場所】SAPIX-YOZEMI GROUP 代々木ゼミナール京都校

【Access】

kyoto

 

所在地 〒600-8176 京都府京都市下京区烏丸通六条下る北町187
電話番号 0120-56-4305
アクセス 京都駅(JR・近鉄)中央口より徒歩8分
京阪清水五条駅より徒歩15分
地下鉄五条駅8出口より徒歩1分

詳細は上記代々木ゼミナール京都校まで!!

10月26日青木邦容の講演会が大阪で開催されます!!

【日時】10月26日(土曜日) 午後18:30より

【場所】新梅田研修センター http://www.temmacenter.com/shin_umeda/

【詳細はこちら↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴↴】

1成学社成学社2

 

☆申し込みが必要なのでhttps://www.kaisei-group.co.jp/form/event_form/で申し込みを

してから来て下さいね!!お待ちしております。

2013第2学期『現代文読解』第5講饗庭孝男「中世を歩く」要約&記述解答

《要約》

寺へ参る、その時間的距離は「私」にとっては〈聖なるもの〉に近づいてゆく心の深まりの距離であり、求心状態が作られる過程として大切なものである。またその過程は「私」のとって自己を低める行為のことでもあり、寺に参る際には「私」は自分の心の不完全さや愚かしさを絶えず身に染みて感ずる時に、どれだけ自分を低めることが出来るだろうかと考える。自己を低めることで見えてくるものは、自己と絶対者との関係、あるいは自己と世界との関係であろう。ルネサンス以降は自己を高めようとした時代だったが、中世は自己を低めるということが芸術作品にも及んでいた時代であり、自己を低めることによる敬虔と畏れの心が、逆に美しい物を作った時代であった。

《問4》

寺に向かって歩む際に、自らの心の不完全さ愚かしさを感じ、自己がいかに低い小さい存在であるかを知る。

 

2013第2学期『現代文読解』第4講井筒俊彦「意味の構造」要約&記述解答

《要約》

常識的には言葉と物の関係は、先ず物が有り、それらに別々の名前がレッテルとして付けられているというように直接的なものであるとされているが、実はそこには無限に複雑な自然物を見、それらを秩序づけ、様々な目的に従ってそれらを評価する、人間精神の独特の視点によって、現実の世界が主体的に再構成されるというプロセスが介在している。その意味で語は現実の世界の言語的類別化であり、「概念」と呼ばれるものはその主体的視点が明確な形をとったものである。意味論は、このような視点が語というはっきりとした形をとったものを分析的に研究する。

《問5》

物と言葉の間には直接的な結びつきはなく、全ての概念はその社会に固有な独特の精神態度の具体的な現れである点で同じだから。

 

2013第2学期『青木邦容の現代文』第3講浜田寿美男『「私」とは何か』要約

《要約》

〈語ー文法〉的なことば観には、ことばそのものの持つ第一次的、本質的な対話性に目を向ける視点がないために、ことばが身体と接続する土俵も見えてこないが、本来、ことばは現実の身体無しにはあり得ないものである。また一方でことばには、身体がその生身で直接に生きる世界とは別に、ことばがそれだけで独自に開く世界があり、「ことばの宇宙」と呼ばれている。ことばはこのように身体に根ざしながら身体を超えるものであるという両義をその本性とするものである。

2013第2学期『現代文読解』第3講山崎正和「世界文明史の試み」要約&記述解答

《要約》

身体のあり方と運動の様式はほぼ同義で有り、その様式は19世紀、20世紀を通じて世界的に標準化されてきた。19世紀段階ではそれは主に生産労働の規格化を通じて行われたが、本来的に人間の身体運動は、そうした生産や実用の世界に限られたものではない。身体は外界に働きかけるだけでなく、自らの存在感を確かめ、味わうためにも運動するのである。その意味で身体は「する」身体の営みと「ある」身体の営みを持つと言える。20世紀にはこの身体の自己確認のための運動様式である、「ある」身体の自己確認の営みが、世界的な統一の趨勢に乗って文明の境を超え始めた。特にスポーツは、現実の目的連鎖に組み込まれることのない典型的な「ある」身体の行動として、野球やテニスやサッカーなど商業スポーツの影響や、オリンピックによって地球規模に拡大していった。そして21世紀の人類は、「ある」身体の全ての機能についての理想を共有し、その実現や成果を共に賛美することでも連帯しつつある。

問3 《解答例》

スポーツは、現実の目的連鎖を持たない非生産的、非実用的な行動様式を通して、自己の身体の存在感を確認して楽しむ営みだから。(60)

 

2013第2学期『青木邦容の現代文』第2講内田樹「街場の現代思想」要約

《要約》

「まだ割れないグラス」を「決して割れないグラス」よりも選択的に丁寧に扱う理由は、それが失われた時に私たちが経験するであろう未来の喪失感を想像的に先取りしているからである。同じように私たちの人生は、まるで「物語」のように、その個々の断片が「ほんとうに意味していること」は事後的にしか分からないが、それでも私たちが人生を楽しむことが出来るのは、やはり「私の人生」という物語を読み終えた未来の私を想像するからである。それは、私たち自身が人生の「クライマックス」や「修羅場」を迎えている時に、それらを迎えているという認識に至ることができることにも見られる。未来の時点からそれらを俯瞰するように眺めている自分を、やはり想像によって先取りし、「既視感」にとらわれているからこそ、私たちはそうした出来事の文脈的な位置づけをすることが出来るのである。

2013第2学期『現代文読解』第2講網野善彦「中世的世界とは何だろうか」要約と漢字&記述解答

《要約》

「日本は島国」という見方は、現在の国境をそのまま過去に投影したところに生まれる虚像に過ぎず、それは海の積極的な役割を顧みることがほとんどなかったことによるものだと考えられる。日本列島における人間の社会と歴史を、海に生きた人々から見直すことで、列島内部に存在した、様々な遍歴民の役割への追求に自ずと導かれもする。こうして「日本は島国」という俗説と表裏をなす「瑞穂国日本」という見方も、やはり偏った「通説」でしかないことが明らかになるのである。日本の社会には古くから、遍歴民の生活があり、それは定住的な農民とは異なるものであった。日本列島の諸地域を細かく結び付けて行くという点で、こうした遍歴民の役割は、日本の社会と文化に、無視しがたい意味を持っていたことは間違いない。

 

《問2》

a 妨げ    イ路傍 ロ模倣 ハ無謀 ニ防御 ホ妨害

b 偏った   イ過多 ロ形見 ハ変質 ニ返礼 ホ偏食

c 顧みられる イ過去 ロ顧問 ハ故意 ニ個別 ホ小手先

d 携わる   イ形勢 ロ提携 ハ休憩 ニ傾向 ホ掲載

《問7》

日本に古くからある遍歴民の生活を無視し、水田稲作を日本の社会の基礎とする見方から、あたかも日本には定住的な農業民しかいなかったと見なすこと。

 

2013第2学期『青木邦容の現代文』第1講芦原義信「街並みの美学」要約

西洋式ホテルと温泉観光ホテルとの対比から分かることは、日本人の「うち」というのは、空間領域的にとらえると「靴をぬいだ」空間のことを指し、西洋人のそれとは著しく空間意識の点で隔たりがあるということである。西洋人にとって「うち」つまり「内部」とは、建物内部のことではなく、個室の中を指す。家の中でも靴を履いて暮らす習慣を持つ彼らにとっては、家の内部は外部の延長上に存在するものとして認識されている。いずれにせよ、このような空間意識の違いがあることを意識しないでは、ある場所を内部と考える人と外部と考える人の間に、不都合や不快感をもたらしてしまう。日本はその内的秩序を整える伝統から、建築の外部に無関心であり、西洋はその外的秩序の考えから、家の中まで靴のまま入る習慣や、都市空間の充実という現象を生み出した。

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