4月23日「Weeklyテスト演習国語(基礎)①」要約&復習問題(パスワード解除)

【要約】

『唯脳論』という本を著したせいで、私は「心」が実在しない、という意見の代表になってしまっているらしい。しかし私も「心の実在」を否定するつもりはない。それどころか私は自著に、心と脳は同じものの別な側面であり、それを分けるのが「脳のクセ」と書いている。われわれの脳には、なにかに実在感を与える機能が存在するのだ。そしてそのような実在感は、脳の置かれた状況によって、さまざまな対象に付着する。またその実在感が脳内の活動に付着する場合もある。だから私は心の実在に確信を持つ人を不思議とは思わないのである。だれにとっても「実在感が付着するもの」が、実在するものである。その意味で「実在感は実在する」らしいのだ。

 

《復習問題》

本文最後から二行目に「他人の実在感に異をたてると、最後には、殺されるのではないか」とあるが、筆者がこのように考える根拠になった箇所を、5段落以降から70字以内で抜き出し、その最初と最後の5字を書け(句読点含む)。㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》われわれの~地がない。

2016第1学期『現代文総合』第1講 加藤周一『日本文化における時間と空間』要約兼復習問題&記述解答例(パスワード解除中)

【問1】

ア 典型 エ 挙げる オ 等価 キ 還元 ク 融合

 

【復習問題①】次の文章は本文の『要約』である。テキストを参照しながら空欄に当てはまる言葉を以下の選択肢の中から選び、『要約』を完成させよ。㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと。

 

日本文化の中で「時間」の典型的な( A )は、一種の現在主義である。それは日本の文学的伝統や日常生活の習慣にも見られ、始めなく終わりない時間のことである。またそこにあるのは現在あるいは「今」だけだという意味で、もう一つの表象として循環する時間が挙げられる。循環する時間は、過去、未来、全ての時間の( B )を意味する。

そうすると時間の「全体」は、現在=今が無限に連なる直線、あるいは無限に循環する円周であると言える。これは日本文化の伝統が強調する( C )が、全体に対する部分重視傾向の一つの表現と解することもできる。ここでは部分が集まると全体が現れる。

また「空間」においても、私の住む場所=「ここ」、つまり部分が先ず存在し、その周辺に外側空間が広がる。その外側の全体は、日本の伝統では強い関心の対象ではなかった。一人の人間は多くの異なる集団に属するが、それぞれの集団領域を「ここ」として意識し、その「ここ」から世界の全体を見る。

こうした部分が全体に先行する心理的傾向の時間における表現が現在主義であり、空間における表現が共同体集団主義である。こうした日本の全体に先行するものの見方は、「今=ここ」文化として今も根本的に変わってはいない。

 [選択肢]

①構造化 ②表象 ③重層化 ④秩序化 ⑤現在集中主義 ⑥特徴 ⑦反映 ⑧現代化 ⑨共同体集団主義 ⑩全体主義

 

【復習問題②】次の中から本文中に登場した「現在主義」に関連した例文として適切なものを選べ。

A現在は過去の集積であって、また未来の出発点でもあるために、現在の充実が全ての時間における充実につながる。

B現在も過去も自然法則は普遍性を持つと考えられるために、現在起きている現象で過去を説明することは可能である。

C氷は、放置しておくとどんどん溶けて変化し、やがては水に還元されるが、その変化の段階の一つ一つが部分として氷という全体を構成していると考える。

 

【問6】(参考解答例ー自分の解答と見比べてみよう・・・詳しい書き方&コツは講義で!!)

日本の文化的伝統である現在主義や共同体集団主義に共通して見られる、時間全体や世界全体よりも「今」や「ここ」といった部分を重視して考える、物の見方の傾向。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

【復習問題①】

A②

B⑧

C⑤

 【復習問題②】

B

4月17日(SUN)英智学館講演会IN弘前市民会館 「理系も文系も現代文ができない人が人生で『挫折』するわけ」P.4~5 大問2&3解説

【二】

POINT①言葉の意味をきかれた場合は、たしかに「辞書に載っている意味」が解答のベースになるが、いわゆる「辞書的意味」をすべて覚えるようなことは受験勉強として非常に効率が悪いよね。

POINT②したがって「辞書的意味」を知っている言葉が出題された時は、文脈よりもまず「辞書的意味ならどれが正解か」「どのような解答にすれば良いか」を考え、その「辞書的意味」を知らない言葉が出題された場合は次の要領で答える。

POINT③【要領】傍線部になっている表現を、あえて空欄と考え、そこにどのような表現を入れれば「文」として成立するかを考える。今回の場合、「たたずまい」の箇所を空欄と考える→「弟は~酔った」を1文と考え、その意味を頭の中で考えるために「この異様な[ 空欄状態 ]に酔った」の[            ] にどのような言葉を挿入すれば良いか?と考えてみる。

POINT④(続き)「この異様な~」の「この」は直前の「月の光~形に似ていた」を指している。つまり「この異様な[ 空欄状態 ]」とは、「うずくまった獣のかたちに似ている、月の光をあびて黒々としずまりかえっている家」のことになる。したがって空欄には「かたち」に関係するものが入るということが考えられる。

POINT⑤(続き)ということで講義でも述べたように、まず選択肢を吟味する前に、できるだけ自分で解答をイメージしておくことが大切。現代文は原則「自分で答えを考える」教科なのだ。決して答えを「探す」ことが中心ではないのである。POINT④でみたようなことを踏まえて改めて空欄にした箇所を含む「弟は~酔った」という1文の意味を考えれば、「弟は、『うずくまった獣のかたちに似ている、月の光をあびて黒々としずまりかえっている家』を『見て』、その光景に酔った」ということになるだろう。そこで選択肢を見てみるとー。

POINT⑥(続き)①「けはい」は目で見えない時に感じとるものなので× ②「いごこち」も「見る」「かたち」ということと関係無いので× ③「におい」は視覚ではなく嗅覚なので× ④「しずけさ」は聴覚なので× ということで「見る」=視覚、「かたち」=視覚で捉える=、「弟は、、『うずくまった獣のかたちに似ている、月の光をあびて黒々としずまりかえっている家』を『見て』、その光景に酔った」というイメージに合うのは⑤しかない。

 

【三】

POINT①下記に見られるように、正解と思われる選択肢に物事の程度を表す副詞や形容詞(の副詞的用法)がある場合、元の傍線部内の表現に、それと対応する表現がなくてはならない。

 

屈託なく ①きわめて不作法に ②まったく疲れを知らず ③何のこだわりもなく ④ひどく無遠に 

⑤少しの思慮もなく

    

⇒①の「きわめて」④の「ひどく」は「瞬殺」でアウト!傍線部「屈託なく」内に、「きわめて」や「ひどく」にあたる「強調」表現はない。

⇒「傍線部クローンの法則」=傍線部にない表現が、選択肢に(内容的に)あってはいけない!!

選択肢①と④ ①きわめて+不作法  ④ひどく+無遠慮   ≠   屈託+なく

選択肢②③⑤ ②まったく+ず=ない(+疲れを知る) ③何の+なく=ない(+こだわり) ⑤少しの+なく

        =ない(+思慮)             ≒   屈託+なく

 ②まったく③何の⑤少しの、はそれぞれ以下に続く「ず」「なく」「なく」と組み合わさって「ない」という意味を表す→「屈託なく」の「なく」と対応している。

POINT②以上から選択肢②③⑤が残ったので、【Ⅱ】同様に傍線部を空欄にして、その空欄にどのような表現が入るかを『考えて』みる。

POINT③「だから」以前にあるように、「母」の憂鬱の原因は碧郎にあるのに、「そんなことにはお構いなしに」碧郎が「はしゃいで大笑いしたり」するので(姉の)げんは「びっくり」しているのである。

POINT④以上の点から、選択肢に「お構いなしに」に近い意味を持つ選択肢を探す。③がそれだ。

【お詫び:出張講演の関係で1日アップが遅れました】4月16日本部タワー校実施「Weeklyテスト演習国語(応用)①」復習と講義補足

【どう読めば良かったか】

 

《第1段落》精神分析によって欲動的無意識について知った≑映画によって視覚的無意識について知った

 

《第2段落》=《第1段落の内容説明》

(日常のコミュニケーション)会話中のちょっとした言い間違い→聞き逃す=気にしない。

(精神分析の場合)会話中のちょっとした言い間違い→「分析」→言葉のやり取りの背後にある心理を浮かび上がらす=深層構造を浮かび上がらせる。

 

(例)Bさんのお葬式にて Aさん「Bさんがお亡くなりになるなんて、誠に喜ばしいことで・・・」

             Bさんの妻「え?」

             A「(焦りながら)いや、誠に残念なことで・・・(なんで喜ばしいなんて言っちゃ

ったのかな・・・)」

日常なら「言い間違い」で済ませられることでも、同じ現象を精神分析的に見てみると、そこには「無意識」にAさんが生前Bさんを何らかの形で恨んでいた、憎んでいた(しかもAさんはそれに普段気付いていない、あるいは普段その気持ちを押し殺して忘れている)ことが読み取れる。

 

→こうした精神分析的な「細部」=(この場合)「深層構造」「欲動的無意識」―の発見は、通常のコミュニケーションの様相=姿を全く違うものに変えてしまった。

 

(例)言葉「だけ」でのやり取りから「言葉」の背後に何らかの心理が働いていると考え、やり取りする言葉から相手の「ホンネ」を読み取ろうとする。

 

『同様のことが映画にも言える』

 

日常的な(意識的な)視覚の処理速度では「見逃してしまう」現象を、映画はスローモーションやクローズアップといった(分析=通常連続した場面を切り取る)で、その「細部」を発見する。

 

(例)浅田真央が可愛いとか言っている人=浅田真央を「可愛いと認識している」人→ジャンプしてクルクル回っている際の浅田選手を「スローモーション」で見てみる→普段見れない「凄まじい顔の浅田真央」が見られる→浅田真央に対する見方「認識」がそれ以降変わるだろう(笑)。

 

→(共通する特徴)=処理速度を変える-分析-通常無意識な部分を発見する-認識の構造を(根底から)変えてしまう=空欄X=POINT①処理速度の変化POINT②認識の変化(構造を変えてしまう=質的変化)

 

(例)歩いている姿(通常)をフィルムに撮ってコマ送りにする(=分析=処理速度の変化=通常よりゆっくり)→「どのように足を運んでいるかが見える=通常意識しない姿=視覚的細部

 

《第3段落》今まで見てきたように精神分析も映画も「細部を発見する装置」である。そしてこの場合の「細部」とは「無意識」である。

 

《第4段落》両者ともなぜ発見した対象が「無意識」だったのか?映画は簡単である。そういう情報機械=現在でいうメディアが誕生したからだ。では「精神分析」はどうか?

 

《第5段落》フリードリヒ・キトラ-によると、《第4段落》で述べられていた「世紀転換期の情報環境」から精神分析の技法が影響を受けていたという。ということは情報機械の誕生→(影響)→精神分析。

 

つまり情報機械の発達によってやはり精神分析も「今までは知ることの出来ない世界」=「無意識」を知る手段を得た。そうした「手法」のおかげで「無意識」の世界が発見されるのは必然である。

 

(例)フロイトは精神分析医を受話器に見立てた。患者はマイクだ。つまり臨床において患者がペラペラ自由に(自分の連想することを)話すのを分析医はじっと黙って聞かなくてはならない(しかも内容を聞き取るだけではなく、「言い間違い」なども聞き逃してはいけないと言った)→何のために?→第2段落「通常のコミュニケーションとは別に存在する深層構造を浮かび上がらせるために」→それが御仕事ですから!!(問四に関連)

 

(ここまでが講義でやった分=復習!!)

 

《第6段落》

「ここに機械の隠喩は必然となる」とはどういうことか?(問五)まず「自分で考える!!」

 

設問の形がどうであれ、そこに「何が書かれているか」が分かれば、全ての設問に答えられる!!←これ重要。

 

「ここに機械の隠喩は必然になる」とあるが、「ここ」とは直前の、ノイズを無視する通常のコミュニケーションでの態度を、精神分析医は変更することが求められる「こと」を指している。

 

そもそも「ノイズ」とは何であったか。→傍線部(1)で見たように(例えば)「言い間違い」などである。

これは第2段落の始めに書いてあったように、「日常的な処理速度では聞き逃されてしまう」ものである。

 

しかし精神分析医はその「ノイズ」を聞き逃す態度の変更を求められるわけである。そして《5段落》の説明で見たように、精神分析の手法は「世紀転換期の情報環境」から影響を受けてその態度をとったとすれば、「精神分析医」はあたかも「情報機械」のような態度を取っている「ので」、「機械の隠喩」が当てはまるのは当然ということになる。このようなことを述べている選択肢は問五の選択肢では⑤しかない。

 

《第7段落》いきなり「前述したように」と言われても、「え、どこに?」と思ったかもしれないが、「ベンヤミン的細部は情報処理速度の変化により現れる」という内容は、たしかに第2段落に説明されてる。そこで説明されたことを再度確認しておこう。

 

映画によってスローモーション映像などを見る→それまで「意識の世界」では見ることのできなかった「視覚的無意識」を明らかにする→世界認識の構造を変えてしまう。(㊟これが問三で考えた解答のイメージ)

 

講義で言ったように、普段目にする「手」と異なる形で「手」を見れば、「手がきれい」という世界観は覆されるだろう。この話を思い出して欲しい。

 

さて、カントの言葉を借りれば私たちは「感性」というカメラレンズから入ってきた映像を「悟性」という情報処理装置が「それが何であるか・どういう状態か等」を判断する。要するにスマホのカメラと一緒。

 

ところが私たち人間は、その「悟性」=コンピューターなどでいう演算処理装置の処理速度を上げられない。

 

つまり感性で見たものを頭の中で再処理して「今、実際の速さで見た感じとは違ってこうなっているんだな~

」というように「実際見ているものとは違うように見ることはできない」。

 

だから「馬の動作」でも「その一動作あたりの処理密度を高めるためには[ Y ]しかない」。

 

ここの空欄Yも今回の講義テーマ「そこに何が書いてあるかが分かれば、記述もマークも空欄補充もみな同じ」で解く。

 

今述べてきた内容を見ると-

①私たちは目で見て(視覚=感性)

②「悟性」で情報処理する

③しかし「悟性」の情報処理速度を(機械のように)変えられない

 

という話だった。では視覚的細部=視覚的な無意識=普通私たちが見ることの出来ないもの、例えば「馬の脚の運びの一動作」を見るためにはどうすれば良いか?

 

簡単! 何度も言うように「映像に撮るなどして、スローモーションやコマ送り」で見るしかない!!

 

これが最後から3行目に書いてある「人間の外部で視覚的情報を加工する装置(カメラ-フィルム-映写機)が必要になる」というところ。

 

私たちは情報機械により、無意識=細部を見いだせるようになった!!という話を「繰り返している」のだ。

 

というわけで空欄Yには「悟性の処理速度が変えられない以上、入ってくる映像の速度、視覚=感性の速度を下げる」しかないという発想が論理的に考えられる→①しかない。

 

ここまで理解出来ていれば問七に関して、③が正解なのは分かるだろう。

1 ベンヤミン的「細部」=視覚的細部、精神分析的「細部」のこと。筆者はそれを「情報処理密度の変化によって認識可能になった時代の産物にすぎず」と限定したいのではなく、情報機械の発達によってそういう「細部」が発見されるようになったと言っている。

2精神分析の手法が映画の手法を取り入れたとは言っていない。

3正解

4「無意識を発見しようとする意図のもとに生まれた」のではなく、情報技術の発達やその影響によって「発見」されたのだ。

5情報技術の発達が文明に与えた影響とかは説明されていない。また世界認識が時代によって変化するなどというのは本文のテーマから大きく外れている。