2014冬期『青木邦容のセンター現代文』第5講多木浩二「生きられた家ー経験と象徴」補足解説

【補足解説】

㊟番号はAokiroid5.0参照(テキスト付録)

《問1》解答参照 解法としては㉕にあるように解くこと。

 

《問2》傍線部Aを一文で捉える(㉗)→傍線部直後の「その下に~完結性をもたらしていない」という部分に注目→4行目「完璧な内密化」と対比→西洋と違って稀薄→1行目「たしかに屋根は~持っていた」につながる。その続きに「内部の庇護」という表現が見つかる。→日本の屋根は西洋とは異なり、大きいのは大きいのだが、その内部は簡素だということ→あくまで内部の「庇護」のためのもの(装飾とかではない)→傍線部の「文化の分節」の解釈は?→一文にしてあるのでそこから解釈→(屋根が)自然のなかに文化の分節をしるしている=屋根は自然の中に、それとは区別された文化があることをはっきりしめしている(分節は分類、区別)。これらを情報として(㉒)コア、アウトラインを確定=コアは、「内部の庇護」「自然と区別された文化」→②が正解。

 

《問3》日本の家の特質はまず、1行目にも出てきている→「われわれの家の稀薄なかたち」→次に座敷が儀礼にそってうまれ、茶室が作法と結びついているーという意味を考える→その前に、もう一つ日本の家の特質を→11行目「日本では家を仕立てることは、建造物よりもテリトリーを画定することであった」=部屋が何の部屋かが曖昧→どうやって画定する?→身振り(しぐさ)=「対面の儀礼」「作法」→つまり傍線部で言っているのは、傍線部直後「輪郭のない場所~『家』が浮上する」と同じ→22行目「われわれにとって~生じるのである」も同じ→日本の空間は何をする空間かが、実体のレベルでは希薄だが、そこで行うしぐさ(たとえば作法など)で、そこがどういう場所か(たとえば茶室)が決まるということ=アウトライン(青木方式㉞)→これに合うのは④しかない。

 

《問4》もちろん㉗で一文にする→「不足情報」発見→「そこから」→身振り=出来事とあるが、これは22行目に説明がある→問3でも見たが、日本の家は、そこで行われるパフォーマンス=しぐざ=身振りによって「様相を変える」(40行目)ということ→家という「舞台」があり、そこで象徴的なしぐさを行うと、その舞台が何らかの意味を持った「空間」になるということ(例 そこで布団を敷いて寝始める→寝室になる など)→この内容に合うものはどれか(㉞)→②しかない。

 

㊟傍線部のCが終わった時点で中間チェックを入れる(㉓)→《問6》(ⅰ)「博物館型」という表現がまだ出てきていないのでスルー (ⅱ)「文章の構成」は㊳に従い、始まり方と終わり方に注目するが、前半しか読んでいないので、ここでは「始まり方」の説明が合っているかどうかを判定してみる。

①    「空間に現れる文化の差異」については1~2段落で確認できる→残す

②    「象徴性の違い」→西洋のドームは「天の象徴」、日本の屋根は「文化の分節をしるしている=象徴」→残す

③    「屋根と境界の策定」→屋根について=第一段落 境界の策定=第二段落 →残す

④    「輪郭のない~使いこなす」の箇所は19~21行目まで待たないと出てこない→始まり方とは言えない→×

 

この時点では①②③が残る。

 

では後半。

《問5》傍線Dを一文にする(㉗)→「劇場型」=日本の家の説明であることがわかる→日本の家では「もの」がその空間に登場した瞬間に、その空間の意味が決まる→青木方式㉒で傍線部を含む一文が、66~67行目「それはともかく~生じる」、70~71行目「物の性格が~規定できる」とほぼ同じことを言っていることに注目→そこから解答のアウトラインを探る(㉒)→日本の空間は曖昧だ→そこに布団や机が出現する→たとえば布団が出現するということは、それを使って寝るという「出来事」=身振り=パフォーマンスが行われる→その結果、その空間は寝室という意味を持つ=日本の家は出来事(使用)の空間=現れるものによって出来事は変わる→物の登場が既にその空間を意味づけ始めていることになる→アウトラインは=物の登場によって、そこで行われる出来事が決まり、その空間を意味づけるーという選択肢が欲しい→②がその意味を持つ。

 

㊟全部読み終わったので、再度問6をチェックする。

《問6》(ⅰ)「博物館型」とは74行目にあるように「西洋の家」をたとえたもの→西洋の家の特徴は45行目「『空間』が象徴する=その空間の装飾や置いてあるもの、形を見れば何の空間かが分かる→物質と物質的でないものとが対比される二元論的構造=物質(天井・置物など)VS物質的でないもの(〈壁や天井で覆われた〉内部空間)→14行目「西洋人は家具を配置する」ということからわかる→またそうした二元論的構造から、西洋の空間は、日本のそれとは異なり、空間が「象徴化」するために(=空間全体が、そこが何の空間かを教えてくれる)、置物をかえる必要がなく、また置物によって部屋の様態が変化することはない→つまり博物館型とは、日本の劇場型とは異なり、最初から使用に合わせて、その空間の形や大きさ、あるいは置くもの(家具など)を決めている空間、「空間」が象徴化した二元論的構造に基づいた空間のことだとわかる→これをコア(㉞)として選択肢を見ると、コアを持つ選択肢は②.

 

(ⅱ)分割ポイントまで読んだ際に(㉓)中間チェックを入れてある→①②③が残っている→では、㊳で前半とは異なり「終わり方」に注目する→①日本と西洋の空間の本質的な違い≒二元論的対立…ではない→二元論的構造を持つのは西洋の空間の特徴→②建築の機能変化を起こすのは日本のみ、西洋は博物館型(=変化しない)→③日本の「家」の空間的特性=劇場型=現れる物やしぐさで空間の意味が決まる(=分節化)→③が正解。

 

㊟解答については再度、テキスト(漢字)&講義参照。

2014⇒2015冬期講習会『医系小論文テスト』参考サイト

下記アドレスをコピーの上、検索ウィンドウなどにペーストして検索してください。ダイレクトにリンクしません。

【混合医療解禁】http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/ (日本医師会ホームページ)

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/sensiniryo/heiyou.html (厚生労働省ホームページ)

http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20140623142326807 (中日新聞メディカルサイト)

http://www.yasuhiro-tsuji.jp/siten140518.htm (元厚生労働省副大臣 辻泰弘ホームページ)

【国民皆保険制度について】http://www.jcie.or.jp/japan/csc/ghhs/lancetjapan/ (日本国際交流センターホームページ)

 

【看護師特定行為】http://www.nurse.or.jp/nursing/tokutei/ (日本看護協会ホームページ)

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=87245 (読売新聞ヨミドクター)

 

【医療事故調査制度】

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000061201.html (厚生労働省ホームページ)

http://www.yomiuri.co.jp/kodomo/newspaper/word/20140716-OYT8T50158.html (読売新聞KODOMO)

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO73529960Q4A630C1PE8000/ (日本経済新聞社説)

2014⇒2015冬期講習会『医系小論文テスト』第5講補足解説

㊟構成の仕方や各段落のPOINTは「採点基準表」を参照のこと。また全体の構成や記述の仕方などは手元の解答例を参照のこと。

【第1段落】

《ポイント①》表の出典を明らかにする。

《ポイント②》目立つ傾向を説明する=「ケイカントツニュウ」の「トツ」(MEDICAL☆KING№5参照)。

(該当箇所)〇2007年~2008年の例外的な年を除き

〇約半世紀の間、ほぼ一定して救急出動件数と搬送人員は増加傾向にある

《ポイント③》「ケイカントツニュウ」の「ケイ」「カン」を意識し、グラフの数字を比べたり計算したりして読み取る(MEDICAL☆KING№5参照)。

(該当箇所)〇昭和38年においては救急出動件数と搬送人員が共に約25万人であるのを見ると、平成24年時には、それぞれ優にその23倍、21倍以上に達している。

㊟昭和38年⇒約250.000件/250.000万人 平成24年⇒5.805.701件/5.252.827人

(例)5.805.701÷250.000=23.2222・・・倍

【第2段落】

《ポイント④》第二段落で、特に自らが気になることを読み取る(第一段落との関連があることが望ましい)。

⇒「ケイカントツニュウ」の「トツ」(MEDICAL☆KING№5参照)。

(該当箇所)さらに気になることがある。それは救急出動件数と搬送人員の開きである。社会の高齢化の進展に伴って救急需要が高まっていることを差し引いても、先述した救急出動件数と搬送人員の及び救急出動件数と搬送人員の開きは説明できるものではない。

【第3段落】

《ポイント⑤》設問である「救急医療の課題と対策」について、これまでの内容も鑑みながら具体的に説明する。

今回はグラフが一つなので「ケイカントツニュウ」の「ニュウ」(MEDICAL☆KING№5参照)は意識しなくて良いが、グラフなどが複数ある場合は、説明していないグラフなどについて、少しでも良いので必ず触れること。また、ここでは【Come onの法則】に従い、【E】=具体例あるいは講義で教えた「似ているテーマの利用=アナロジー」を使っている。

(該当箇所)〇具体例=例えば、~背景には救急サービスが無料であることによるモラルハザードが働いているように思われる。

〇アナロジー=健康診断の無料化がかえって人々の健康に対する意識を下げている≑救急車が無料なので、人々の不適切な利用が後を絶たない。

《ポイント⑥》極端な意見・主張あるいは非現実的・非合理な意見・主張を避けてるイメージを盛り込む。

(該当箇所)性急な全面有料化は避けるべきだが、緊急度に応じて一部有料化するなどし、さらに夜間休日診療所などを充実させるなどして、救急車を呼ばなくても自らアクセスできる救急医療体制を地域に増やし出動件数を抑えることで、救急隊が緊急を要する患者により集中できる体制を作り上げるべきであろう。

2014⇒2015冬期講習会『医系小論文テスト』MEDICAL☆KING№5【Extra-Self Check!!】解答例

(1)M (2)ブリッジ (3)㊟順に(根拠)(根拠) (4)演繹 (5)④ (6)㊟順に(アナロジー・類推)(再定義)

(7)㊟理由説明問題で字数が足りない場合は、「理由の理由」=直接理由の「理由」をプラスする。

プリント中(7)で言うと直接理由⇒「患者がセカンドオピニオンを求めたいと思うような専門施設では医師が不足し、患者に対する説明に十分な時間が取れない状態であることが多いから。」

例を使って構成してみる。

①の場合⇒直接理由の詳しい説明=「セカンドオピニオン」に対する説明⇒患者の自己決定権の行使

 

    「患者に対する説明に十分な時間が取れない状態」に対する説明⇒3時間待ちの3分診療と揶揄される

 

これらを直接理由にプラスすると⇒患者が、自己決定権の行使としてのセカンドオピニオンを求めたいと思うような専門施設では医師が不足し、3時間待ちの3分診療と揶揄されるように、患者に対する説明に十分な時間が取れない状態であることが多いから。  

 

となる。                    

 

 

 

②の場合⇒直接理由の「理由」=医療訴訟の急増に伴い、インフォームドコンセントの徹底による書類業務が増えたり、高度な医療を行う施設への患者の集中が起こっているため。

 

これを直接理由にプラスすると⇒患者がセカンドオピニオンを求めたいと思うような専門施設では、医療訴訟の急増に伴い、インフォームドコンセントの徹底による書類業務が増えたり、高度な医療を行う施設への患者の集中が起こるなどで医師が不足し、患者に対する説明に十分な時間が取れない状態であることが多いから。

 

となる。

(8)逆転 (9)帰納

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第5講松井健「自然の文化人類学」補足解説&要約

【要約】

人間には概念装置を通す以外に、身体的な営みによる理解があり、コミュニケーションにおいても身体は必須の役割を果たすものとして普遍的かつ社会的なものである。身体は、長きにわたり、社会においてその成員が閉鎖的に相互に関係を持つことで、単なる肉体的物理的な所与としてだけでなく、文化的社会的な意味を持つものとなる。またそれは、文化的社会的なコミュニケーションにおいて、送信装置や受信装置として機能すると同時に、概念的なものよりも、一層深い納得を与えてくれるが、かえってそれに基づいた想像力が、共同の身体性を育んでいる人や集団にしか及ばないことから、他者の排除の契機になることもある。

【補足解説】

㊟番号は“Aokiroid5.0”青木方式集番号参照のこと

 

(準備)①によって問4チェック⇒指示語の問題なので、特に53を意識⇒「教育」における競争や管理に対する反抗が、「こうして選択された」弱者に対する攻撃性に変化している例について、筆者はこの辺りで語っている模様⇒テーマかもしれないと意識⇒④によって問1をチェック⇒直前には「たしかに」という表現から、身体が文化的、自然的といったふたつの範疇に属するといった内容が来ているはず。⇒⑦によって文章を4段落と5段落の間で分割⇒読解開始

(読解)

【第1段落】空欄aがあるが、㉗を使って一文にしても㉒に当たるような「繰り返し」はないので、ここは無理せずスルー。

【第2段落】14~15行目にある「身体は~普遍的なものである」は、空欄aを含む一文の繰り返し(㉒)。ここから空欄aに「普遍」が入る。

この段落では、身体は普遍的な所与であると同時に、一つ一つの社会で鋳造された社会的なものだと説かれている。つまり身体=普遍的かつ社会的-となる。問1でチェックした脱落文から予測した直前の文は「身体=文化的or自然的」。なので空欄イは正解候補から外れる。

【第3段落】空欄Ⅰを含む一文で考える(㉗)。「この意味では」は㉚にあるように「イコール」を意味するので、「この意味では」までの内容をヒントにする。要するに身体を使った広い意味でのコミュニケーションの説明が書かれているわけだが、これをどのように表現するか。身体=肉体と考えれば簡単だが、慎重に行くなら㉒を使って27~28行目まで読んでから答えても良い。

空欄ロの直前は、問1でした予想に合わないので×。

【第4段落】第2段落の説明で見たように、27~28行目は空欄Ⅰの前後と対応している。ここで空欄Ⅰに「肉体装置」を入れる。空欄bもこれまでの空欄と同じように考える。「社会化された身体」が[ b ]的に構築されているというのだが、この部分は15~17行目と同じであり、そこにある「鋳造」に目を付ければ、27~30の「身体というものを~彫琢されてできた文化的なものだ」も同じだと気付く。「鋳造」≑「彫琢」という対応が見られる。ここから空欄bには「文化」が入り、また同じようにcには「社会」が入る。

空欄ハは、要注意。問1設問チェック(④)で予測した内容に近いものが空欄ハの直前に来ている。空欄ハの直前は、身体=肉体(自然)を基礎に、社会が文化的に改造した~というようなことが書いてある。つまり、身体は文化的側面と自然的側面を持つ訳である。ここを正解候補としておく。

 

(☆ここで分割ポイントに達したが、今回の問題には内容一致など、本文全体に関わる設問がないので、中間チェック-㉓-は不要。引き続き後半に進む。)

 

【第5段落】設問なし

【第6段落】空欄Ⅱを含む一文は「社会化された身体」についての文なので、㉒から31行目「社会が、こうした~必要である」につなげて考えれば良い。要するに身体は、誰でも同じ感覚や運動機能を備えており「普遍的」なものだが、それを基盤にさらに同じ社会で長く生活している身体同士は、お互いの身体について想像することができ、そうしたことが社会的関係を構築していると言っているのだ。したがって空欄Ⅱには「社会」のような言葉がくるはず。答えはホである。

【第7段落】まず空欄ホには脱落文は来ない。空欄直前の内容が予測と違う。問4を㉔に従って考えてみる。一文にして内容を確認すると、要は生徒の教育に対する反抗が、「こうして選択された」弱者への攻撃に変化しているのではないか-と筆者は言っているのだが、どのように攻撃対象を設定するというのか。ここは「いじめや暴力」のことを問題にしている(50~51行目)。そもそも「いじめや暴力」とここまでの筆者の主張とはどのような関係があるのか。筆者は、「社会的なかかわりを支えている想像力が、共同の身体性をはぐくんできたかぎられた集団内にしかおよばない」と言っている。つまり、想像力が及ばない相手に対しては、「苛酷にふるまうことができる」わけである。要は人間は、同じ社会的体験をしている仲間への想像力は持っているので、相手が嫌がることをしないが、仲間ではない人間に対しては攻撃をするということだ。「安全な標的となる弱者」(54行目)は、どのように作られるかというと、「身体性の共有」に関わることは、以上見てきた通り。この「身体性」を共有しないことが、攻撃対象となること=「排除」につながるというのだ。したがって㊹を意識しながら抜き出すと「身体性の厳密な~ことがある」(52~53行目)が適当だとわかるだろう。

【第8段落】設問なし

 

㊟解答は再度テキスト46ページ参照。

 

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第4講鷲田清一「京都の平熱」問7解答解説&要約&復習問題

【問7】(解答解説ー解説中番号は【Aokiroid Ver.5.0】の番号ー確認せよ)

傍線部を1文にして考える(㉗)⇒傍線部3以降の「緩すぎるその隙間を埋め合わせようとやっきになる」に注目⇒49~50行目「その[ C ]で~焦ることになる」まで戻る(㉒)、「焦ることになる」≑「やっきになる」。⇒ということは、傍線部は「隙間のない硬い世界以上に硬い世界を構築する」ことを意味するので、設問に従ってその内容と対立する箇所を探す⇒44~45行目にあるように「隙間のない世界」では「別様の存在の可能性が見えなくなる」⇒ということは、その反対は「別様の存在の可能性が見えてくる」といった内容を持つ箇所を探せば良い(ただし字数注意)⇒設問条件に合うのは37行目「存在の別の可能性への移行」

解答は「存在の別の」となる。㊟他予備校や問題集などの解説で54~55行目の「この世界の〈外〉へ踏み出す」を答えにしているものがあるみたいだが、まず青木方式㊹でここは解答にするのを避けるべきである(青木方式と付いているが㊹は「現代文」の一般的原則である)。また、傍線部は「こだわり」で終わっているのに、「踏み出す」という動詞で終わるのもおかしい。また39行目の「『別の世界』への想像を駆る」を解答にしている予備校もあるが、これは、「この世界の〈外〉へ踏み出す」同様、解答として傍線部との対応が甘いばかりか、内容的にもおかしい。「『別の世界』への想像を駆る」は、存在の別の可能性への移行=今ある世界の〈外〉へ踏み出す前の段階であり、「別の世界」への想像が駆られる故に、その世界へ移行しようとすると考えられ、別様の存在の可能性への移行の「契機」(きっかけ)に過ぎないと考えられるため、正解にならないと考えられる。ただ大学側はこれらを「別解」としている可能性が否定できないために、無下に「×」とは言えない。またこれらを解答とした人は「専門家の解答」と同じ解答出すところまではできたと考えて、かえって自信を持って欲しいということを最後に付け加えておく。

【要約】

京都のような古い町にあっていまの郊外のニュータウンにないものは大木と宗教施設、そして場末である。大樹は、自分の存在を見直すために、時間のスケールを変えるきっかけを与えてくれるものであり、寺社は日常生活で共有している普通の世界観や感受性とは別の次元から、じぶんのいまとここをみつめるきっかけを与えてくれるものであり、そして場末は、生きるということの別の選択肢を見せてくれる場所である。これらに共通しているのは、この世界の〈外〉に通じる開口部や裂け目であるということであり、それらは自分の存在の別の可能性を揺さぶるという点で、妖しい魅力があるものである。こうした都市の隙間とも言えるものは、京都に溢れている。京都は、いまでもドラマで描かれるよりはるかに形而上学的に妖しい街なのだ。

 

 ㊟7段落の内容で、どうして過度の合理主義などがカタレプシーにつながるのかという疑問を持った人がいるかもしれないが、その論理はこうである。

世界が確固たる(信じられる)価値観を持っていない場合、人々は不安に駆られる=「世界はゆるゆるのつかみどころのないものと~襲われる」(48~49行目)⇒(例えば)過剰な合理主義によって、人々は大量生産、大量消費という世界観が、あたかも現代社会の理念のように思い込む⇒世界(あるいはそこに存在する人々)はそうした価値観以外の生活を送ることができなくなる(=閉塞)。

過度な饒舌や過剰な嫉妬心、被害妄想、常同行為、幼児性への退行現象という例は、ここだけではわかりにくいが、自らがこういう状態に「しがみつく」=生活の中でこういうことばかりすることで、自分の「変化」への可能性を閉じてしまう=閉塞状況に陥る-という意味で、筆者はこれらを挙げていると思われる。

【復習問題】本文4行目「世界が口を空けている」というのはどういうことか。70字以内で記せ(㊟解答は最下段)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答例】

わたしたちの日常生活の中で共有している普通の世界観や感受性とは別の次元にあり、わたしたちに別様の存在の可能性を見せてくれているということ。

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第3講藤原辰史「『食べもの』という幻影」要約&記述解答例&復習問題

【要約】

食べものとは何かという問いに答えることは難しい。というのも、綺麗で、安全で、汚れがないだけではなく、過剰なパッケージや添加物、あるいは広告費を投入しているせいで生命を、あるいはその由来を抹消された食べものに慣れてしまった消費者が、本当は食べものは、叩いたり刻んだり炙ったりした生きものの死骸の塊であり、あるいはまた排泄物や吐瀉物と変わらないということを理解するのは困難だからである。私たち消費者は、「食べもの」という幻影を食べて生きている。その幻影には、食品は見た目が重要であるといった価値観や、そうした消費者の価値観を逆手にとった食品偽装や、あるいは食品加工に携わる人々への差別といった物語が含まれる。こうした幻影は捨てることは簡単にできないが、食品企業の作る物語に新しい物語を対抗させることは可能である。そのためには、生きものの命を奪う場所に、その亡骸を美味しく食べる場所を近接させるなどする、「食べること」の制度の再設計が必要である。そうすることでまた「生物のサイクル(循環する物語)のなかに生きる私たち」を確認するのである。「私」は飼っていた鯉を釣り上げ、祖父がそれをさばいて料理するという過程を眺め、圧倒された思い出があり、ある居酒屋で鯉の洗いを美味しく食べながら、鯉という「食べもの」の物語に、しばらく酔うことができたが、本当に心に残る「食べもの」は、その来歴が、食べる人を圧倒させるものなのである。

 

 【記述解答例】

《問3》

見た目の美しさや清潔さを求め、生命が奪われる過程を含む来歴を抹消された「食べもの」に慣れた我々は、食べものが、実際は料理された生きものの死骸の塊であることを理解するのは難しいから。

《問5》

現在は、分断されている生きものの命を奪う場所と、その亡骸を美味しく食べる場所を近づけ、生命が奪われていく過程に近接して生命が育っていく過程を体験できるようにした場所が、食べることの拠点となる社会を設計すること。

《問6》

小学生のころ、自分が可愛がっていた鯉を獲物として釣り、祖父に料理してもらって食べるという、生きものの命を奪って食べるという場所に居合わせた記憶。

 

 

【復習問題】本文33~34行目「食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられない」とあるが、この部分とほぼ同じ内容を述べている部分の最初の5文字と終わりの5文字を抜き出せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

他の生物を~りつけない(27~29行目)

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第2講丸山真男「現代における態度決定」要約&復習問題

【要約】

私たちの認識は、私たちが無自覚の内に身につけた、社会に蓄積された色々なイメージを通したものである点で既に整理、選択されたものであり、さらに行動連関の中で実際に様々な現実の事象などと関わり合っているゆえに、常に一定の偏向を持たざるを得ない。むしろ社会事象に対しては、問題は偏向を持つか持たないかではなく、それを自覚し理性的にコントロールすることで客観性に到達しようと試みることであり、自らに偏向があることを否定することは、かえって自らの偏向の隠蔽や社会的責任の回避につながる。

 

 

【復習問題】

1行目で筆者は「私たちの認識は無からの認識ではありません」として、その例として私たちが「概念」を通して認識していると述べているが、「概念や定義」がそうした認識のための「引き出し」になるのはどうしてか。その理由を50字以内で述べよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

私たちが物事をそれとして認識するには、先に概念によって事象を分類し、定義づける必要性があるから。