2013夏期講習会『上智大現代文』第3講中野好夫『悪人礼賛』要約

善意の善人は、聡明な悪人と比べて退屈でしかも始末に困る。善人は、その動機が純情や善意だというだけで、一切の責任が解除されると思っており、また悪人の場合とは異なりその無法さから何をしでかすか分からないせいで警戒もできない。悪人はその点で、彼らのルールを熟知し、警戒さえしていれば、むしろ付き合いやすい点で、始末が良い。また真の友情は、相互間の正しい軽蔑の上においてこそ、はじめて永続性を持つ。金はいらぬ、名誉はいらぬ、自分は無欲だという人間も何をしでかすか分からぬ点で、退屈で怖い。長年、自分は偽善者であろうと努力しつつも、純情や善意が顔を出して無様な気持ちにさせられたが、最近、偽善者として悪名が高くなり嬉しいかぎりだ。世の中に自分のような偽善者や悪人が増え、同時にそれらに欺かれる善人がいなくなることを願ってやまない。