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2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第5講松井健「自然の文化人類学」補足解説&要約

【要約】

人間には概念装置を通す以外に、身体的な営みによる理解があり、コミュニケーションにおいても身体は必須の役割を果たすものとして普遍的かつ社会的なものである。身体は、長きにわたり、社会においてその成員が閉鎖的に相互に関係を持つことで、単なる肉体的物理的な所与としてだけでなく、文化的社会的な意味を持つものとなる。またそれは、文化的社会的なコミュニケーションにおいて、送信装置や受信装置として機能すると同時に、概念的なものよりも、一層深い納得を与えてくれるが、かえってそれに基づいた想像力が、共同の身体性を育んでいる人や集団にしか及ばないことから、他者の排除の契機になることもある。

【補足解説】

㊟番号は“Aokiroid5.0”青木方式集番号参照のこと

 

(準備)①によって問4チェック⇒指示語の問題なので、特に53を意識⇒「教育」における競争や管理に対する反抗が、「こうして選択された」弱者に対する攻撃性に変化している例について、筆者はこの辺りで語っている模様⇒テーマかもしれないと意識⇒④によって問1をチェック⇒直前には「たしかに」という表現から、身体が文化的、自然的といったふたつの範疇に属するといった内容が来ているはず。⇒⑦によって文章を4段落と5段落の間で分割⇒読解開始

(読解)

【第1段落】空欄aがあるが、㉗を使って一文にしても㉒に当たるような「繰り返し」はないので、ここは無理せずスルー。

【第2段落】14~15行目にある「身体は~普遍的なものである」は、空欄aを含む一文の繰り返し(㉒)。ここから空欄aに「普遍」が入る。

この段落では、身体は普遍的な所与であると同時に、一つ一つの社会で鋳造された社会的なものだと説かれている。つまり身体=普遍的かつ社会的-となる。問1でチェックした脱落文から予測した直前の文は「身体=文化的or自然的」。なので空欄イは正解候補から外れる。

【第3段落】空欄Ⅰを含む一文で考える(㉗)。「この意味では」は㉚にあるように「イコール」を意味するので、「この意味では」までの内容をヒントにする。要するに身体を使った広い意味でのコミュニケーションの説明が書かれているわけだが、これをどのように表現するか。身体=肉体と考えれば簡単だが、慎重に行くなら㉒を使って27~28行目まで読んでから答えても良い。

空欄ロの直前は、問1でした予想に合わないので×。

【第4段落】第2段落の説明で見たように、27~28行目は空欄Ⅰの前後と対応している。ここで空欄Ⅰに「肉体装置」を入れる。空欄bもこれまでの空欄と同じように考える。「社会化された身体」が[ b ]的に構築されているというのだが、この部分は15~17行目と同じであり、そこにある「鋳造」に目を付ければ、27~30の「身体というものを~彫琢されてできた文化的なものだ」も同じだと気付く。「鋳造」≑「彫琢」という対応が見られる。ここから空欄bには「文化」が入り、また同じようにcには「社会」が入る。

空欄ハは、要注意。問1設問チェック(④)で予測した内容に近いものが空欄ハの直前に来ている。空欄ハの直前は、身体=肉体(自然)を基礎に、社会が文化的に改造した~というようなことが書いてある。つまり、身体は文化的側面と自然的側面を持つ訳である。ここを正解候補としておく。

 

(☆ここで分割ポイントに達したが、今回の問題には内容一致など、本文全体に関わる設問がないので、中間チェック-㉓-は不要。引き続き後半に進む。)

 

【第5段落】設問なし

【第6段落】空欄Ⅱを含む一文は「社会化された身体」についての文なので、㉒から31行目「社会が、こうした~必要である」につなげて考えれば良い。要するに身体は、誰でも同じ感覚や運動機能を備えており「普遍的」なものだが、それを基盤にさらに同じ社会で長く生活している身体同士は、お互いの身体について想像することができ、そうしたことが社会的関係を構築していると言っているのだ。したがって空欄Ⅱには「社会」のような言葉がくるはず。答えはホである。

【第7段落】まず空欄ホには脱落文は来ない。空欄直前の内容が予測と違う。問4を㉔に従って考えてみる。一文にして内容を確認すると、要は生徒の教育に対する反抗が、「こうして選択された」弱者への攻撃に変化しているのではないか-と筆者は言っているのだが、どのように攻撃対象を設定するというのか。ここは「いじめや暴力」のことを問題にしている(50~51行目)。そもそも「いじめや暴力」とここまでの筆者の主張とはどのような関係があるのか。筆者は、「社会的なかかわりを支えている想像力が、共同の身体性をはぐくんできたかぎられた集団内にしかおよばない」と言っている。つまり、想像力が及ばない相手に対しては、「苛酷にふるまうことができる」わけである。要は人間は、同じ社会的体験をしている仲間への想像力は持っているので、相手が嫌がることをしないが、仲間ではない人間に対しては攻撃をするということだ。「安全な標的となる弱者」(54行目)は、どのように作られるかというと、「身体性の共有」に関わることは、以上見てきた通り。この「身体性」を共有しないことが、攻撃対象となること=「排除」につながるというのだ。したがって㊹を意識しながら抜き出すと「身体性の厳密な~ことがある」(52~53行目)が適当だとわかるだろう。

【第8段落】設問なし

 

㊟解答は再度テキスト46ページ参照。

 

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第4講鷲田清一「京都の平熱」問7解答解説&要約&復習問題

【問7】(解答解説ー解説中番号は【Aokiroid Ver.5.0】の番号ー確認せよ)

傍線部を1文にして考える(㉗)⇒傍線部3以降の「緩すぎるその隙間を埋め合わせようとやっきになる」に注目⇒49~50行目「その[ C ]で~焦ることになる」まで戻る(㉒)、「焦ることになる」≑「やっきになる」。⇒ということは、傍線部は「隙間のない硬い世界以上に硬い世界を構築する」ことを意味するので、設問に従ってその内容と対立する箇所を探す⇒44~45行目にあるように「隙間のない世界」では「別様の存在の可能性が見えなくなる」⇒ということは、その反対は「別様の存在の可能性が見えてくる」といった内容を持つ箇所を探せば良い(ただし字数注意)⇒設問条件に合うのは37行目「存在の別の可能性への移行」

解答は「存在の別の」となる。㊟他予備校や問題集などの解説で54~55行目の「この世界の〈外〉へ踏み出す」を答えにしているものがあるみたいだが、まず青木方式㊹でここは解答にするのを避けるべきである(青木方式と付いているが㊹は「現代文」の一般的原則である)。また、傍線部は「こだわり」で終わっているのに、「踏み出す」という動詞で終わるのもおかしい。また39行目の「『別の世界』への想像を駆る」を解答にしている予備校もあるが、これは、「この世界の〈外〉へ踏み出す」同様、解答として傍線部との対応が甘いばかりか、内容的にもおかしい。「『別の世界』への想像を駆る」は、存在の別の可能性への移行=今ある世界の〈外〉へ踏み出す前の段階であり、「別の世界」への想像が駆られる故に、その世界へ移行しようとすると考えられ、別様の存在の可能性への移行の「契機」(きっかけ)に過ぎないと考えられるため、正解にならないと考えられる。ただ大学側はこれらを「別解」としている可能性が否定できないために、無下に「×」とは言えない。またこれらを解答とした人は「専門家の解答」と同じ解答出すところまではできたと考えて、かえって自信を持って欲しいということを最後に付け加えておく。

【要約】

京都のような古い町にあっていまの郊外のニュータウンにないものは大木と宗教施設、そして場末である。大樹は、自分の存在を見直すために、時間のスケールを変えるきっかけを与えてくれるものであり、寺社は日常生活で共有している普通の世界観や感受性とは別の次元から、じぶんのいまとここをみつめるきっかけを与えてくれるものであり、そして場末は、生きるということの別の選択肢を見せてくれる場所である。これらに共通しているのは、この世界の〈外〉に通じる開口部や裂け目であるということであり、それらは自分の存在の別の可能性を揺さぶるという点で、妖しい魅力があるものである。こうした都市の隙間とも言えるものは、京都に溢れている。京都は、いまでもドラマで描かれるよりはるかに形而上学的に妖しい街なのだ。

 

 ㊟7段落の内容で、どうして過度の合理主義などがカタレプシーにつながるのかという疑問を持った人がいるかもしれないが、その論理はこうである。

世界が確固たる(信じられる)価値観を持っていない場合、人々は不安に駆られる=「世界はゆるゆるのつかみどころのないものと~襲われる」(48~49行目)⇒(例えば)過剰な合理主義によって、人々は大量生産、大量消費という世界観が、あたかも現代社会の理念のように思い込む⇒世界(あるいはそこに存在する人々)はそうした価値観以外の生活を送ることができなくなる(=閉塞)。

過度な饒舌や過剰な嫉妬心、被害妄想、常同行為、幼児性への退行現象という例は、ここだけではわかりにくいが、自らがこういう状態に「しがみつく」=生活の中でこういうことばかりすることで、自分の「変化」への可能性を閉じてしまう=閉塞状況に陥る-という意味で、筆者はこれらを挙げていると思われる。

【復習問題】本文4行目「世界が口を空けている」というのはどういうことか。70字以内で記せ(㊟解答は最下段)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答例】

わたしたちの日常生活の中で共有している普通の世界観や感受性とは別の次元にあり、わたしたちに別様の存在の可能性を見せてくれているということ。

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第3講藤原辰史「『食べもの』という幻影」要約&記述解答例&復習問題

【要約】

食べものとは何かという問いに答えることは難しい。というのも、綺麗で、安全で、汚れがないだけではなく、過剰なパッケージや添加物、あるいは広告費を投入しているせいで生命を、あるいはその由来を抹消された食べものに慣れてしまった消費者が、本当は食べものは、叩いたり刻んだり炙ったりした生きものの死骸の塊であり、あるいはまた排泄物や吐瀉物と変わらないということを理解するのは困難だからである。私たち消費者は、「食べもの」という幻影を食べて生きている。その幻影には、食品は見た目が重要であるといった価値観や、そうした消費者の価値観を逆手にとった食品偽装や、あるいは食品加工に携わる人々への差別といった物語が含まれる。こうした幻影は捨てることは簡単にできないが、食品企業の作る物語に新しい物語を対抗させることは可能である。そのためには、生きものの命を奪う場所に、その亡骸を美味しく食べる場所を近接させるなどする、「食べること」の制度の再設計が必要である。そうすることでまた「生物のサイクル(循環する物語)のなかに生きる私たち」を確認するのである。「私」は飼っていた鯉を釣り上げ、祖父がそれをさばいて料理するという過程を眺め、圧倒された思い出があり、ある居酒屋で鯉の洗いを美味しく食べながら、鯉という「食べもの」の物語に、しばらく酔うことができたが、本当に心に残る「食べもの」は、その来歴が、食べる人を圧倒させるものなのである。

 

 【記述解答例】

《問3》

見た目の美しさや清潔さを求め、生命が奪われる過程を含む来歴を抹消された「食べもの」に慣れた我々は、食べものが、実際は料理された生きものの死骸の塊であることを理解するのは難しいから。

《問5》

現在は、分断されている生きものの命を奪う場所と、その亡骸を美味しく食べる場所を近づけ、生命が奪われていく過程に近接して生命が育っていく過程を体験できるようにした場所が、食べることの拠点となる社会を設計すること。

《問6》

小学生のころ、自分が可愛がっていた鯉を獲物として釣り、祖父に料理してもらって食べるという、生きものの命を奪って食べるという場所に居合わせた記憶。

 

 

【復習問題】本文33~34行目「食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられない」とあるが、この部分とほぼ同じ内容を述べている部分の最初の5文字と終わりの5文字を抜き出せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

他の生物を~りつけない(27~29行目)

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第2講丸山真男「現代における態度決定」要約&復習問題

【要約】

私たちの認識は、私たちが無自覚の内に身につけた、社会に蓄積された色々なイメージを通したものである点で既に整理、選択されたものであり、さらに行動連関の中で実際に様々な現実の事象などと関わり合っているゆえに、常に一定の偏向を持たざるを得ない。むしろ社会事象に対しては、問題は偏向を持つか持たないかではなく、それを自覚し理性的にコントロールすることで客観性に到達しようと試みることであり、自らに偏向があることを否定することは、かえって自らの偏向の隠蔽や社会的責任の回避につながる。

 

 

【復習問題】

1行目で筆者は「私たちの認識は無からの認識ではありません」として、その例として私たちが「概念」を通して認識していると述べているが、「概念や定義」がそうした認識のための「引き出し」になるのはどうしてか。その理由を50字以内で述べよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

私たちが物事をそれとして認識するには、先に概念によって事象を分類し、定義づける必要性があるから。

2014冬期『青木邦容のセンター現代文』第2講松永澄夫「哲学の覚醒」要約&復習問題

【要約】

人の見聞のあらゆる事柄が学問の対象となり得るが、輪郭付けて示せる対象がない哲学の場合はどうか。一般的に学問では知る側の活動を消去して対象についての知識を得ようとするが、哲学では、問う人、答えを得る人が消去されることは決してない。したがって哲学における営みでは、諸々の一切と関わっている己との関わりにおいて何かを問う限り、対象が限定されないということになる。そして一般的に学問的活動においては、対象は知ろうとする人の向こう側に位置するものであるが、実はそのものに関してどのような事柄が知られるべきかという主題の設定には、知る側の動機が不可欠であり、また知識を行為に役立てようとする「己」が、知識の成立の背後で重要なものとして控えているものである。ところで問いのもっと日常的な在り方においては、その多くは行為そのものへと向けられる。そして行為を問うことは行為する自分を問うことへと発展する可能性を持っている点で哲学への要求を隠し持っている。行為に向けられた問いは、自分のために望ましいことを求めて発せられるが、時に私の行為の選択が、行為者としての私自身を揺り動かすものになる場合がある。それまで自明の存在であった自分自身を巻き込む、このような問いと共に哲学は生まれる。

 

 

【復習問題】

第五段落「私達は普通は知ることを他の事柄に従属させる」とあるが、それはなぜか。その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから選べ(㊟解答は最下段)。

①普通、或る何か詳しく知られることが望ましいものがある場合、まず知ることを留保した上で、何のためにそれを知る必要があるかという問いを重視するから。

②知ることは何のためにかという在り方に照らして、どのものが詳しく知られるべきかということと、どのような事柄が知られるべきかが決定するから。

③学問的活動とは異なり、普通は、ある対象の知識の獲得が目指されるのは、知ろうとする側の人間が自分のために望ましい結果を得ようとするためだから。

④あくまで、普通の場合、あるものに関しての知識を知ろうとする人は、そのものと自分との関係を知ることを第一義とし、そのものの知識を重視しないから。

⑤他の学問的活動と異なり、我々の普通の生活では、対象に関する知識を得ようとする際に、必ず知ろうとする主体が必要とされるものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

2014冬期『青木邦容のセンター現代文』第1講丸山圭三郎「言葉と無意識」要約&復習問題

【要約】

貨幣と言葉は、両者共に〈価値〉の基盤と言えるが、言葉の方はそう言われても必ずしもピンとこない。なぜなら言葉は貨幣のような直接的な効用を持たないからであるが、言葉がなければ価値判断といった思考ができない点で、やはり価値をつくり出す基であると言える。また各時代・各地域によって異なる言語共同体の価値観は、それぞれの持つ言語が作り出すものである。こうした貨幣と言葉の類似点を掘り下げていくと、文化の本質と言うべき二つの特徴が現れてくる。それはいずれの価値も〈関係〉から成り立っているということであり、またその〈関係〉は予めある“もの”と“もの”とがいかなる関係を取り結ぶかという形成的関係ではなく、「〈物〉を生み出す関係」、つまり存立的関係であるという点である。貨幣や言葉はともすれば予め存在する〈物〉の記号や代用品と思われがちだが、実際には、貨幣や言葉はそもそも存在していなかった諸価値を創り出す存在である。

 

 

【復習問題】

結局、本文で筆者が明らかにしようとした「文化の本質」とはどのようなものか。次の①~⑤中からその説明として適当なものを選べ。

①文化と文化の関わりこそが文化の本質であり、他の文化との関わりを持たない場合は、その文化の価値は結局生み出されないままになる。

②文化の価値に絶対的なものはなく、他の文化との関わりや自国内の文化現象同士の関係などによって、その都度価値は流動的に変化する。

③価値観が文化や時代によって異なることから、文化の価値は国や時代毎に異なり、一見他より絶対的に勝れているような文化も、それほどでもない。

④文化は、混沌とした世の中に対して人間が言葉を持って主体的に関わった結果生み出されたものであり、その価値は自明ものと言える。

⑤人間とって文化とは、言語や貨幣に代表されるように、人間が創り出したある種の基準によって形成されているものであり、その価値は普遍性を持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

 ②

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第1講河合隼雄「昔話の深層」要約&復習問題

【要約】

昔話が発生してきた心理的基盤は、人間の内的真実に求められる。ユングは、それを人間の無意識の深層には人類に共通の普遍性が有り、そこにある元型によるものだと仮定した。つまり、ある個人が何かの元型的な経験をしたとき、その経験をできるかぎり直接的に伝えようとしてできた話が昔話の始まりであるというのである。それが、多くの人に受け入れられ語り継がれるのは、それが内的普遍性を持つからとも考える。こうしたユングの説は、時代や文化の差を超えて、類似のテーマや内容を持つ昔話が存在していることを説明するものであるが、大切なのは、同じ元型的表象であっても、その時代や文化の影響を受けて、それぞれの特徴を有していることである。もちろん昔話に対する接近方法は、こうした心理的な面だけではなく、その他の接近方法もあろうが、それらは相補的な意味を持つにしても、互いを排除するものではないであろう。

 

 

【復習問題】9行目傍線部イに「一皮むけば」という表現があるが、これは本文中で言うとどういうことか。50字以内で説明せよ(㊟解答は最下段)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答例】

心理相談室に訪れる人の夢や夢想に見られる、現代の時代や文化の影響を受けている面を除けば、ということ。

2014年第2学期『医系小論文』&冬期講習会『医系小論文テスト』MEDICAL☆KING【番外編】志望理由書き方参考資料

【志望理由書&面接対策】

『大学の求める人材とは』

医学・歯学

  • 医師として活躍したいという確固たる決意を持っている人
  • 「医の心」すなわち、患者の痛みを分かち合い、患者に対する思いやりに満ちた慈愛の心を正しく体得しようとする志を持っている人
  • 日進月歩の医学・医療に対応する知識と技術を習得するため、日夜たゆまぬ努力と地道な研鑽を重ねることができる持続力と忍耐力を持ち合わせている人
  • 他者の意見を良く聞き、協調して物ごとを進めることができる高い指導性と社会性そしてコミュニケーション能力を備えている人
  • 他分野にも関心を持ち、様々な人々と関わり学んでいく姿勢を持ち続ける人
  • 生命科学・医学に強い興味を持ち、探究心と学習意欲が旺盛な人
  • 協調性があり、問題解決においては独創性と指導性を発揮できる人
  • 国際的に活躍する意欲を持った人
  • 真理を追求するための強い好奇心と未知への挑戦心、不屈の精神と忍耐力を持った人
  • 感性豊かな人間性や人間そのものに対する共感と深い洞察力、および人々の健康を増進し、病める者を救おうという強い意志と情熱を持った人

看護学科等コ・メディカル系

  • 看護・介護を通して社会に貢献しようとするしっかりした意思と、他者の喜び、苦しみを分かち合える温かい心を持っている人
  • 日進月歩の医療及び激動する社会の変化に対応しうる知識と技術の習得のため、たゆまぬ努力と自己研鑽(生涯学習)を重ねうる人
  • 心身ともに健全で、何ごとにも積極性を持ち、学内のサークル活動などにも参加し、多くの人と交流ができる社会性を備えている人
  • 刻々と変化する社会の中で気力や体力・忍耐力を養い、自らの健康維持・増進に努めていける人
  • 全人的な人間理解を基礎にしながら社会や文化を射程に入れた援助学としての看護・介護を学習する志向が強く、自立的に活動できる人
  • 高い知識技術のみでなく相手に対して思いやりのある優しい人間性を有した人
  • 生涯を通じて看護・介護の専門職としての目的意識を持ち続け、専門領域での学習を深め、また地域貢献したい人
  • 患者への援助・支援を通して、自分自身を見つめ直し、また自らを磨き、自らを教育しながら、生涯にわたって自ら成長していこうという姿勢を貫こうとする人
  • 社会や自己の課題に対する責任感を備えた人
  • エビデンス(現代医療内での最大の根拠)に基づいた看護・介護をめざすとともに、看護・介護を科学的、論理的に考究し、エビデンスの確立をめざす人
  • 看護・介護理論の検証や看護・介護技術の開発・検証を行い、実践に応用することを志す人
  • 複雑かつ多様な健康問題について、柔軟に対応することができ、学術的・国際的に活躍することを志す人

 

『志望理由書サンプル』

❶私は、中学生の時に医師になりたいと決意しました。今思えば、「決意」というにはあまりにも漠然としたものでありましたが、その時に生まれて初めて、人からではなく、あるいは親を初めとする大人の視線を気にせずに、自分が生きる方向性に自らを送り出したという実感だけは、かつて感じたことのなかったリアリティを持って、心の中に今も成長しつつあります。

中学生の時に老人ホームでのボランティアに参加しました。その老人ホームは××にあり、駅からも、また住宅街をはじめとする、いわゆる「街」から「隔離」されるようにひっそりと佇んでいました。ホームでの活動は自分の想像よりも、ある意味「明るい」ものでした。施設内で生活されている高齢者の方々は、思っていたよりも活発で、積極的に我々に話しかけてくれます。場所柄、車椅子に乗った方が多かったこと以外は、近所の高齢者と道端やスーパーで接し、そこでしばらく世間話をするような気楽ささえ覚えました。

この日を契機に、私の目は、新聞や雑誌等の、高齢者介護をはじめとする高齢者、あるいは高齢社会に纏わる問題を自然と追いかけるようになりました。その結果、先進国中、最速で全人口の四人に1人が65歳以上の高齢者という超高齢社会を迎える日本が、その対策においてあまりにも不十分な面を露呈しているという事実を知ることとなります。そのような事実を知るにつけ、あの時の、活発に微笑みかけながら私にしゃがれ声で話しかけてきたホームの高齢者の方々の姿が、時間を遡るように、より鮮明に脳裏に浮かぶようになりました。私は医療の面で、何とか老年医療に貢献したい、そして少しでも多く、そして長く高齢者の笑顔が続くように手を貸したいー幼稚な面があるのは承知で告白するならば、これが中学生のときに感じた、私の正直な「決意」です。

ところで私は外見があまり宜しくなく、コミュニケーションの際にそれが災いして相手に警戒心を与えてしまうことがあります。後に友人となった友達が、共通して私に語ってくれたことなので、これに私が反論できる余地は少ないと思います。しかしながらそのようなハンディキャップを克服して、今までに年齢にかかわらず多くの知己を得ることができました。臨床医を目指す私にとって、これは財産というべき経験と自信であり、医師になった暁には、今までの経験に加え、大学で様々な知識とともに臨床能力を磨き、患者に信頼される医師になるべく精進したいと考えています。逆に「最初の印象と違って、人の話をよく聞いてくれる、親しみのわく信頼できる」医師と言われるように、医療の分野だけでなくあらゆる側面から自分を磨いていきたいです。

❷私が生まれ育った○○県は、私が体感していた、自然に囲まれ、また活力のある住民に支えられた住みやすい「場所」という側面とは裏腹に、従属人口指数が全国平均を上回る、高齢社会であるということを学びました。従属人口指数の上昇傾向は今後も続くことが見通されており、したがって今後更に高齢者医療・福祉分野の需要が大きくなってくるものと予想されます。高齢者が元気で明るく暮らすことができ、また老若男女を問わず、他の地域の住民も○○に住みたいと思ってもらえるようにするには、医療・福祉サービスの充実は不可欠です。私は自ら体感した「活力ある○○」を、現実のものとするために、○○において高齢者医療に携わり、元気で暮らせる、そして他の地域がうらやむ「高齢社会」○○、その実現のために尽力していきたいと考えています。宜しくお願いいたします。

❸近年、歯周病の予防が、心筋梗塞や脳梗塞、糖尿病など、いわゆる生活習慣病の予防につながることや、大きな手術後の肺炎や、化学療法や放射線治療後に生じる口内炎の予防などに、口腔ケアが重要であることが明らかにされてきました。超高齢化社会の中での歯科の役割は、他科との連携も含め多岐にわたり、また高齢者のQOLを維持する上で、現在よりもさらに重要性を帯びてくるように思い、歯科医療の道に進もうと決心しました。

❹私は、病院勤務の際に、患者の急変時に看護師として出来ることの限界を感じ、忸怩たる思いを抱きました。医療者として患者のケアだけでなく、キュアの面でも患者を支援したいという思いが強くなったので医師を目指しています。現在の医療は、病気だけではなく人を診なければならないと言われますが、それには単なる医学知識や技術だけではなく、現実に生きる人間を理解する能力や姿勢が必要です。私はそのような能力や姿勢を備えた医師になり、患者の愁訴に真摯に耳を傾けていきたいと考えています。また専門としては感染症内科医を目指しています。

❺私の職業観から見る医師像は、ひたすら身体や健康そのものに不安や痛みを抱え、苦しんでいる人を真心を持って助けることが出来る人間です。私もそのような人間になりたいと考え、医師への道を志して努力して来ました。今の医療は病気ではなく人を診なければならないと言われます。しかしそのためには単なる医学知識や技術だけでなく、現実に生きる人間そのものを理解しなければならないと思いました。そのために医学教育はもちろん、大学生活そのものが人間理解、あるいは人間形成の場である大学を選ぶ必要があり、全寮制や他大学との協定による交流の充実、あるいは海外での選択臨床実習など、多彩なプログラムや経験の場の準備がある貴校は、私にとってまさに理想の大学です。貴校卒業生として、真心を持った医師として貴校関連病院で全力を尽くし、地域の医療を支えていくことを生涯の目標に、さらなる努力をしていきたいと考えています。

❻(適性について)専門領域を超えてすべての医師に求められる資質の一つに、「怖さ」に対する謙虚さが挙げられると思います。医師の慢性的な人員不足や偏在等により、医療現場では、各々が仕事に忙殺される非常に厳しい状況が続いていると認識していますが、そのような中でも医師は「人の命と健康を預かる怖さ」を持ち続けることが必要であると思います。私は、その点で「命」を、それがどのような小さなものであっても、疎かに考えたことはありません。日々、他の生命から命を頂かないと、自らの生命を維持できない「人間」である私は、そのことについて「当たり前」と考えたことはなく、常に他の生命体に対する感謝の念を抱いています。また私は、人の話を決して途中で遮ることなく、全ての話を聞いてから判断するように心がけてきた結果、人から「聞き上手」と評価されるようになりました。常に人の話に真摯に耳を傾けられることは、医師になる上で必要な能力だと考えます。

❼私が医師を志望する様になった理由は大きく分けて三つあります。一つは幼い頃、私の遊び場であった祖父の開業する医院で、患者さんに対する祖父の温かく真摯な姿勢を見るうちに、その様な姿に強い憧れを持つ様になったことです。もう一つは、医師の数は毎年増加しているにも関わらず、「小児科医の減少」が起きていることに強い危機感を覚えたこと。そして、学習塾の講師と学童ボランティアを三年間務めた経験の中から、子どもの可能性の大きさ、子どもの成長を見守ることの喜びを知ったこと。この様な経験の中で次第に医師という職業を、特に小児科医を志望するようになりました。子どもの疾患ならば何でも診られる医師になることを目指しています。

❽私は地域医療に関心を持っています。本当の地域医療がどういったものなのかは、もちろん、それに従事しなければ分からないと思いますが、新聞や書籍に見かける情報を頼りに自分になりにその理想像をこれまで形作ってきました。そこから必然的に導かれたのが私の理想的な医師像であり、私は貴校医学部に入学して、その理想像を、骨身を惜しまない、絶え間のない努力によって、形成していきたいと考えています。特に貴校にはハンドボール部や空手部に代表されるようにクラブ活動が盛んである印象を持っています。その意味で貴校では、スポーツ競技を通して、患者の利益と安全につながる様々な医学知識だけでなく、強靭な身体能力及び精神力をも修得できるものと期待しています。

❾私は、父が外科医であることから、父が自ら執刀した手術の記録映像を一緒に観て過ごす機会を幼少より得ました。その影響で、早くから人体に興味を持ち、気が付けば関連書籍を読む習慣が身についていました。私の探究心は日に日に増幅し、何としても医学部に入り専門の先生方の薫陶を受けたいという思いを強くし今日に至っています。多くの先人の経験や知識を積極的に学び、外科医として父以上に多くの患者を救いたいと思います。

❿もともと幼少時から生物に興味を持っていましたが、高校生になりより専門的に生物を学ぶことになった際に、血球やミトコンドリアの性質や働きについて知ることになり、人体に衝撃に近い神秘を覚え、より大学で詳しく学びたいと思いました。またそれまでに友人の死を経験し人体の脆さについて考えるところがあり、その際に感じた無力感が私の中で「人を助けられる力が欲しい」という気持ちを醸成し、医師になろうという決心になりました。駅伝が好きな私は、貴校の選手であった今井正人選手に強い憧れがあり、医学部に進学するなら順天堂大学しかないという、最初は拙い動機から貴校を目指そうと思ったのですが、オープンキャンパスに参加し、「大学では受験の垢を落とせ」などいった医学部長のお話を聞いたり、自ら情報を収集する中でより貴校で学ぶことに対する希望を強く抱きました。

⑪私が看護師として社会に奉仕しているであろう0000年頃は、65歳以上の人口が全国民の25%を超える「超高齢社会」の只中である。いわゆる「団塊の世代」が65歳以上となる2015年以降は、例えば一人暮らしや夫婦のみで暮らす世帯も増え、自立した生きがいのある生活を、医療の側からも支援する必要があるであろう。その中で私は、訪問看護ステーションや地域の高齢者医療あるいは福祉関連施設などで、看護師として、特に高齢者介護や老年科医療に携わり、高齢者のQOLの維持向上に力を注ぎたいと思っている。

 その中で私は、看護師が医師と患者の知識や情報の格差を埋め、立場的にどうしても生じる患者側の遠慮を減らすために、院内アドボケイトとして医師や病院と患者側の調整役をしなければならないと考えている。医療の機械化、あるいはIT化等が進んでも、医療や介護は人の温かみがあって初めて成り立つ仕事であり、健康に常に不安を抱きながら生活せざるを得ない人が多い高齢者の患者に対して、私は看護師として、患者に最も「近い」医療スタッフとして、生活管理や患者の心のケアにも積極的に従事したいと思っている。

⑫私にとって〇〇県は、月並みな表現ですが「第二の故郷」と呼ぶことのできる場所です。というのも私の祖父母、親戚の多くが、〇〇に在住しており、幼少期に父母に連れられて帰省する度に、その中でも特に〇〇には、それこそ数え切れないほど訪れた記憶があるからです。また物心がついた時期、その頃には、私は既に漠然とした目標としてではありながらも医師を目指していましたが、帰省の度に祖父母が自らの健康状態について父母に語るのを聞きながら、将来は〇〇に住んで、祖父母をずっと診てあげたいという、子どもにありがちな発想を持っていました。その後、自らの成長と共に、医学部受験が現実的なものになってからも、自分でも意外なほどに高知へ行くという子どもの頃の思いは消えませんでした。それは祖父母に対する想い以上に、将来的には「総合診療医」になり、経験を積んだ後は「家庭医」「かかりつけ医」として地域医療に貢献していきたいと考えている私にとって、〇〇という場所が自分にとって最適な環境であるという客観的な判断によるものだと思います。〇〇は高齢化が進み、慢性疾患をいくつも抱えた患者が今後、今以上に増加すると考えられます。また〇〇は過疎地域も多く、高齢者の精神的ケアなども含めた全人医療が必要だと言われています。そうした地域では総合的な診療能力を有し、患者を様々な角度から長期的に支えていく総合診療医の果たす役割は大きいと考えました。以上のような点で、貴学で内科、小児科、救急といった科目を中心にしっかり学び、将来は〇〇で地域医療に従事したいという思いから貴学医学部への入学を強く希望しています。

⑬私は、以前は漠然と「がん治療」の専門医になりたいと思い医師を目指していました。テレビで「名医」が、がん患者を完治へ導く姿が「感動的」に描かれるのを観たからです。しかし自ら関心を持って様々な関連書籍や新聞に目を通すうちに、「テレビ」が嘘をついていることに気づきました。がんは早期発見・治療で治ると言われていますが、実は根治切除等、治療が難しいがんもまだまだ存在していることを知ったのです。私はそうしたがんと闘ってみたいと思いました。そのためには遺伝子治療について研究する必要があることも知りました。私は是非、全国に先駆け遺伝子診療を始めた貴校で学びたいと考え、強く貴校への進学を希望します。

⑭産業医の職務は、疾病の予防と労働者の心身の健康保持、増進の手助け、あるいはそのための定期的なアドバイス等、広い範囲にわたるものと理解しています。また昨今では、新型インフルエンザ等、感染症の社会的流行に合わせて、集団発生を防ぐために今まで以上に産業医と企業の連携強化が必要とされている時代であると認識しています。

私は当初は漠然と、ただ「医師になりたい」という意識しか抱いていませんでしたが、世界保健機関が、鬱病患者が全世界の人口の約5%にあたる3億5000万人以上に上ると発表し、またそこで、年間100万人近く出ている自殺者のうち、大半の人が鬱病を患っているにも関わらず、その治療を受けている人口は半数にも満たないという報道を見て、日本の労働者の自殺率が高いという事実も相俟って、社会における産業医の役割の重さを知ることになりました。日本の年間自殺者は15年振りに3万人を切りましたが、以前高位で推移すると予測されています。その中の多くの人が仕事上の問題やストレスで鬱病に罹っているそうです。この鬱病を周りの人やあるいは自らが理解していれば、その自殺は防止できたとも言われています。このような報道を見るにつけ、労働環境に起因するメンタル問題に関わる産業医の存在意義が、ますます大きくなっていくことを感じます。そしてメンタルヘルス対策は職場の健康管理の重要なテーマであり、鬱病などによる欠勤を減らし、休職者のスムーズな職場復帰を図ることは、企業の生産性の向上につながり、延いては労働人口が減少していく日本社会全体にも良い影響をもたらすはずです。

 産業構造や職場環境、あるいは経済情勢がダイナミックに変化してきた日本社会で、そこで働く労働者だけでなく、その健康を守る産業医にも様々な能力と柔軟性が要求されていると考えています。他の診療科でも同じことですが、単に話を聞いて通り一遍の処置を施していくのではなく、患者を診察するとき、その病気だけでなく、社会的、性格的、経済的背景を充分に考慮して対処していくことが必要だと認識しています。病気だけに注目してただ「休む」ことを勧告する医師ではなく、労働者の仕事、生活、環境あるいは会社の考えも考慮しながら、状況とそれぞれの患者にあった解決方法を導き出せる産業医となり、労働者、会社側の双方から信頼されるようになるために、貴校で骨身を惜しまず医学の勉強に精進していきたいと考えています。

⑮私はある日、衝撃的な新聞記事を目の当たりにし、それまで漠然と感じていた日本の「医療崩壊」の進行の度合いを思い知りました。それはある町長さんの投稿で、「外国人の医師でも欲しい。国外医師免許でも僻地では医療行為ができるようにして欲しい」というものでした。実現が不可能に近い、一見荒唐無稽な主張であっても、自分の立場を振り返ることなく世に訴えかけるほど切羽詰まっている状況がそこにはあるのだと強く感じました。私は小児科医を目指しており、また以上のような地域の医師不足解消に、将来何とか自分の身を犠牲にしてでも貢献したいという強い意志を持って貴学医学部を志望しています。地域枠推薦は、僻地の医師不足解消のために設けられた入試枠です。私の志望動機からは、本枠に志願「しない」理由は皆無だと思いました。また貴学の医師国家試験合格率は高く、自分を厳しく鍛えられる環境であると認識しております。厳しい環境こそが厳しい環境に適応できる医師を養成するはずです。私は貴学で自分を鍛え、小児科医として一刻も早く「安全安心に子どもを育てられる」という本来は「当たり前」であるはずの環境作りに、貢献していきたいと思います。

⑯私は、大学を卒業後、○年国立がん研究センターで、看護師として○○○に従事してきました。コ・メディカルスタッフとして、出来る限りの努力をしてきましたが、技量、知識、経験の不足あるいは法律上の規定の壁に阻まれ、患者の急変時に自分の無力さを嫌というほど痛感してきました。同僚の中には、職場を去った人間もいましたが、私でも、必ず役に立てるという信念で、現場に留まりました。しかし、患者を「直接」救えないという忸怩たる思いが、私に医師への道を覚悟させました。目の前の患者を何としても救いたいという強い気持ちは。必然的には私の興味を救急救命の方へ向けさせました。たしかに貴校の「がんプロフェッショナル養成プラン」等へ進んだ方が、今までの経験を活かせるかもしれません。しかし、どうしても救急救命の現場で働いてみたいという欲求は抑えられず、貴校の診療科指定入学制度を知り、この度進学を希望しました。

2014第2学期『青木の現代文』第12講中野好夫「悪人礼賛」要約&復習問題

【要約】

「ぼく」の最も嫌いなものは、善意と純情である。善意の善人ほど始末に困るものはない。その点で、悪人は、「ぼく」にとっては案外始末のよい、付き合い易い人間である。悪は決して無法ではなく、しかもこちらが悪のグラマーを心得て、彼らを警戒さえしていれば、彼らは仕掛けてこないものである。しかし善人は、ただその動機が善意というだけで、こちらが不当に蒙った迷惑に対する責任を解除されるものとでも考えているらしい。そればかりか、深甚な感謝さえ要求してくるという奇怪さである。そしてこの善意に対しては警戒が利かず、絶えず「ぼく」は恐れていなければならない。その意味で、やはり聡明な悪人こそが、地の塩であり、世の宝であるとさえ「ぼく」には思える。

 

 

【復習問題】本文12行目「善意、純情の犯す悪」の説明として最も適当なものを次のa~dの中から一つ選べ。

a 他人に迷惑を掛けても、そしらぬ振りをすること。

b 自分の行動の基点に善意があることを、免罪符としていること。

c 相手にとがめられると、その相手が純情でないとなじること。

d 相手の持つ純情を、自分のものと錯覚すること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

b

2014第2学期『青木の現代文』第11講イ・ヨンスク「言葉という装置」要約&記述解答&復習問題

【要約】

わたしたちにとってことばは、意識の背後に隠れた自然なものでなければならない。サピアは「ことばの自然さは幻想にすぎない」と言ったが、そのような「幻想」を認識するのは、ことばについての知識をたくわえ、外部から観察できる言語学者だけであって、ことばを話す言語主体にとっては、やはりことばは意識されてはならないものなのだ。しかしことばは意識しなくてはならない部分を持つという点で、ことばと意識の関係はきわめて入り組んでいる。それは特定の文法や表現の枠組みであるが、これらを意識しては、ことばの働きを阻害する原因となる。ことばと意識の関係は、したがって、身体と道具のような関係でなくてはならない。道具が人間の身体の延長として身体性を獲得している限りで、それが意識されないように、ことばも身体の延長であるかぎり、それは外的物体としても内的心理としても意識されない。「道具としてのことば」と「装置としてのことば」との違いは、この身体性の介在の有無にある。道具としてのことばは、私たちに自由を与えるが、装置としてのことばは、どこまでも外部の力として、わたしたちを拘束する。

 

 

【問2】歩行の際に、足の動きは意識されないように、ことばを口にする時に意識されるのはその内容だけだということ。

(別解)「アシ」ということばを口にするときに、はじめは「ア」、次に「シ」というように意識しているわけではない。

 

【問3】特定の社会や文化の枠組みのなかで特定のことばを身につける

 

【問4】日常においてことばそのものを意識することはほとんどないために、文法や表現の枠組みを意識させられうるような場面に出会うと、それが不自然に内面化するから。

 

【問5】熟練した職人や卓越した演奏家が道具や楽器を操る際に、道具や楽器の存在はほとんど意識されていない点で、人間の身体のような身体性を獲得しているということ。

 

【問6】日常において、ことばは身体化されており、外的物体としても内的心理としても意識されずに使用されるから。

 

【問7】道具としての「ことば」は、「身体化」し、「意識」せずに自由に使えるが、装置としてのことばは、身体化できない外部の力として意識しなくてはならず、その使用に違和感を感じる。

 

 

【復習問題】本文62行目「ことばが身体の延長であるかぎり、それは外的物体としても内的心理としても意識されない」とあるが、「外的物体としても内的心理としても意識されない」とはどういうことか。次の①~⑤の中から最も適当なものを選べ。

 

①ことばの使用において、それを自らが扱う純粋な客体としても、思考内容にあるものとしても意識しないということ。

②ことばの使用において、それを文字などの物質としても、人間の生み出した観念としても意識しないということ。

③ことばの使用において、それを身体化しているゆえに、ことばは意識しないが、文法や表現は意識するということ。

④ことばの使用において、装置としてのことばは意識するが、道具としてのことばは意識せずにコミュニケーションが可能だということ。

⑤ことばの使用において、結局、何らかの形でことばを意識しなくてはならないが、それは物質としてではないということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】①

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