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2015第2学期『現代文読解』第2講増田正造「能の表現」要約&文学史解答&漢字解答&復習問題

【要約】

世阿弥は、花は散るからこそ美しいのだという視点に立ち、あるいはさらに積極的に散らすことによって花の新鮮さを際立たせ、花の新たな生命を持とうという考えに立つ。世阿弥の一世代先輩に当たる兼好は、うつろう無常の実相の中に美を感じ取るという自然観照に徹したが、世阿弥はさらに、花は散るからこそ、再び時節が巡ってきて咲く花が珍しく、新鮮に感じられるとし、また同じように能もひとつの表現にばかりとらわれぬ、停滞をこばむ態度こそ、魅力の出発点だと考えた。そしてそれは花に比喩される理論として、散ることをふまえた文化の精髄をなすものであり、観客の要求する花を、すぐさま舞台に咲かせてみせるには、幅広いレパートリーと演技の変化を必要とすると説く。そうした技法は、移り気な観客を常に新鮮な感動でつなぎとめる、芸の実力と観客の共感を結ぶための触媒の作用にほかならない。その意味で「真の花」を身につけた演者とは、花を咲かせると同時に、自由に花を散らすことのできる演者でなくてはならなかった。

 

【問5】

イ新井白石 ロ本居宣長 ニ心敬 ホ藤原定家

【問10】

ア 立脚点 イ 詠嘆 ウ 実相 エ遺訓 オ 停滞

 

《復習問題》

テキスト本文24行目「心で見る態度」を言い換えることのできる箇所を、本文から5字以内で抜き出せ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

自然観照

2015第2学期『現代文基本マスター』第1講加藤尚武「脳死・クローン・遺伝子治療」要約&復習問題

【要約】

人間が「神を演ずる」ということについて、それは許されるべきことではないという批判がなされる。しかしその批判の背後には、人工よりも自然が良いという一種の倫理学的自然主義の立場が横たわっている。たしかに自然の中には人知を絶する巧妙な知恵が働いている場合も認めることができるが、そうした自然の中の理想的な秩序が人間にとって理想的か、また自然的な自己回復システムが自然そのものにとって理想的であるかといえば、おそらくそうではない。そうした自然は自然的な自然であり、歴史的自然と言えるものである。こうした自然の中に横たわっている技術的操作の限界を破らない内は、技術は自然の法則に服従し、人間性を保つことができるが、人間はそうした素朴自然主義の技術倫理と言うべき状態を既に超えてしまっている。したがって人間にとって自然らしさを残すという課題は、もはや自然に委ねたのでは解決できない。ここで「自然」は究極の価値として無条件に守るべきものである。またそれは人間の歴史的同一性を守ることでもあり、「人間らしさ」を守り、人間の中の自然を守ることでもある。

 

《復習問題》テキスト本文72行目「生命はいつも暗い神秘をたたえたブラックボックスであり」とあるが、これはどういうことか。次の中①~⑤からその説明として最も適当なものを一つ選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

①技術が自然の法則に服従しているために、人間は生命現象を外側から観察することしかできず、技術的操作をするだけの情報を得られないということ。

②歴史的な自然の中に横たわっている技術的な操作の限界を破れないせいで、技術が生命に対して全く手出しできず、その進歩が停滞しているということ。

③人間は生命現象を外側から観察して、その内部に対して憶測をめぐらすことしかできないので、本質的に自然に服従することでしか生命を維持できないということ。

④人間は、いつでも素朴自然主義の技術倫理を尊重するために、生命現象を外側から観察するだけで、その内部は憶測をめぐらすこともできないということ。

⑤素朴自然主義の技術倫理の枠組みの中で、生命内部の要素が他の要素から分離され認識され、あるいは置き換えたりする操作が行われるということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

2015第2学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第1講山田登世子「贅沢の条件」要約&復習問題

【要約】

ブランド品はなぜ高いのか、その根拠を追究するうちに、自分のなかで「贅沢」という問題が浮上してきた。最初の関心は「経済的なもの」に近いところにあったが、それを超えて、贅沢そのものの起源と条件へと拡がっていった。しかしその探求は茫漠として定めがたく、立ち迷うことになった。そもそも贅沢とは何かという問いに対する答えは世代によって異なり、また贅沢と隣接する「豊かさ」も、必ずしも金だけでは計れないという認識がある。そうであれば、贅沢とはもはや「消費」ではなく、幸福論とも重なる。そして仕事から解放される時間が贅沢という人間がいる一方で、生涯現役であることに贅沢を感じる人もいる点で、それは生きがい論とも重なる。要するに贅沢論は、さまざまな「問い」をまねきよせ、さまざまな問題領域とインタークロスするのである。

 

《復習問題》

テキスト本文25行目「ポスト高度成長期に『真の豊かさ』が問われたことを改めて想起した」とあるが、どうして筆者はここで「『真の豊かさ』が問われたことを改めて想起した」のか、その理由として最も適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

①贅沢が「経済的なもの」と不可分の関係にあることは否めない事実であるという点で、女子学生の贅沢に対する考え方を仕方がないと肯定しつつ、実際はもはや贅沢は「消費」で計れないという考えが自らの中に醸成されているのを感じたから。

②「豊かさ」は金だけでは計れないという問いは贅沢論と無縁ないことを熟知している「私」にとって、贅沢とは何かという問いに「お金を好きなだけ使えること」と答える女子大生に違和感を感じ、「真の豊かさ」を問うたポスト高度成長期に郷愁を覚えたから。

③筆者の贅沢に対する関心も、女子学生のように、最初は「金」と結びつくものだったが、「真の豊かさ」について考えた際に、必ずしも贅沢は富と重ならないことなどを、女子学生に教えなければならない強い義務感に、突然駆られたから。

④贅沢とは何かという問いに対する、「お金を気にせず使えること」というような無邪気な女子学生の回答をきっかけにして、かつて日本がいくら経済成長を遂げても、真の豊かさを得られず、それが金だけでは計れないことに思い至ったのを思い出したから。

⑤贅沢が、女子学生にとっては「お金のことを気にせず欲しいものをいっぱい」買うことだということを知るにつけ、現代では、実は贅沢はもはや「消費」の量で計れなくなってきていることを女子学生が知らないことに対して危惧を抱いたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

2015第2学期『現代文読解』第1講内山節「『学び』の時間と空間の再構成」要約&漢字解答&復習問題

【要約】

日本では、近代化を何よりも優先する特殊な状況下で、欧米以上に近代的価値至上主義の社会を作り上げた。そこにはヨーロッパの近代精神史に見られる、「科学的な知の恐怖」ともいうべきものが見受けられず、ただ科学的知性が絶対視され崇拝される状況だけがあった。また個の確立という思想にしても、それは自己肯定と他人への批判の方法として使われるのみで、ヨーロッパの思想史上に見られるような、自己反省の契機とはならなかった。つまり、戦後の日本の社会が作り出した精神の習慣は、ヨーロッパ近代が生み出した精神を近代化に必要な部分だけを都合良く摂取し日本的なものに作り変えることによって展開されていたわけである。そのように近代的価値至上主義の社会を作り出す過程で、西洋近代の思想を摂取する際に、思想というものは本来的にローカルなものであることを日本は忘れてしまい、その結果、日本的な近代思想を、普遍思想のように語る問題点をも生み出してしまった。

 

【問1】

ア 洞察 イ えいち ウ たいはい エ おそ オ 契機 

カ 摂取 キ 融合 ウ 継承

 

《復習問題》

テキスト本文33行目「日本的特殊性」を説明した、次の文に当てはまる40字以内の箇所を抜き出せ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

◯[      40字以内       ]ても、全くそれに対して疑いを差し挟まない習慣を持っていること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

科学という名でおこなわれてきたこれまでの一面的な認識が、真理として提示され (37字)

2015第2学期『センター現代文』第1講佐々木敦「未知との遭遇」要約&漢字解答&復習問題

【要約】

人類がそれなりに長い歴史を持っているために、自分が考えたことを既に考えた誰かが必ずといっていいほど存在する。しかし我々は過去の全てを知っている訳ではないので、自分ではオリジナルだと思ってリヴァイバルしてしまうことがある。このような問題については、自力で考えてみることと、過去を参照することをワンセットでやることという方法で対処すれば良いが、意識せずして過去の何かに似てしまっても、その事実を認めることが必要である。しかしネット以後、そういう「歴史」を圧縮したり編集したりすることがやり易くなり、「歴史」全体を「塊」のように捉える考え方がメインになってきた。その弊害は「意図的なパクリ」として起こってきたが、受け取る側のリテラシーの低さゆえに、オリジナルとして流通してしまうこともあるために、啓蒙によるリテラシーの向上も必要かもしれない。しかし、ネット上では啓蒙のベクトルがどんどん落ちていく。したがって私はやはり、未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激する立場にいたいが、今ではそれも受け手のリテラシーを推し量る必要があるので困難である。

【問1】

(ア)垂れる ①心酔 ②睡魔 ③無粋 ④自炊 ⑤懸垂

(イ)大概  ①該博 ②弾劾 ③形骸 ④感慨 ⑤概要

(ウ)潤沢  ①循環 ②湿潤 ③殉教者④巡回 ⑤純度

(エ)端的  ①丹精 ②枯淡 ③大胆 ④発端 ⑤探求

(オ)奏でる ①捜査 ②双眼鏡③一掃 ④奏上 ⑤操業

 

《復習問題》

テキスト本文4行目「ネット上では、啓蒙のベクトルが、どんどん落ちていくこと」とあるが、どうしてこのようなことが起こるのか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

①人類は、長い歴史を持ち、その結果新しい発想や知見が生まれにくくなっているために、「教えてあげる君」は「教えて君」に使い古された情報しか与えられないから。

②「教えてあげる君」という、自分より知識や情報を持っていない方に向かう種類の人間と自力で考えない「教えて君」がネットの普及で出会う機会が増加したから。

③自分で調べればすぐにわかることを他人に質問する「教えて君」が、「教えてあげる君」に、ろくに過去の知識を使って考えることもせず簡単な質問ばかりするから。

④「教えて君」も「教えてあげる君」も、自分が知らないことを新たに知ることができる方向に向かうべきであるのに、あえてそうせずに互いに依存し合っているから。

⑤「教えてあげる君」は、自分で調べればすぐにわかることを敢えて聞く「教えて君」に対して啓蒙を試みるが、「教えて君」のリテラシーが低いために失敗してしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

2015夏期『青木邦容の基礎→標準現代文』第2講鷲田清一「死なないでいる理由」復習問題についての質問→回答

生徒さんからの《Q》

【復習問題3】本文中に「身を寄せる(寄せた)」という表現が何回か登場するが、筆者が考える対象に「身を寄せる」ことのできる条件は何か。本文中から適切な表現を10字以内で抜き出せ。

の問題で私は「主体性を認めること」(33行目)を抜き出しましたが、解答を見ると「主体性を感じ取ること」となっていました。私の抜き出したところは解答と同じ意味だと思うのですが、やはりダメですか?

 

《青木のAnswer》

構いません。同じ意味なので解答になります。抜き出しは別解が色々出るときもあります。注意しましょう。また「これでも良いのでは?」というのがあれば、質問して下さい!!

2015第1学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第12講吉田秀和「ソロモンの歌」要約&補足解説

【要約】

芸術というものは、理論さえ学べば後は個性に従って創作すれば良いというものではなく、幼い時の根本的な体験を土台として、ある芸術作品を手本にとり、理論を学びながら最初の試みにとりかかるものである。その手本が何かということは、その芸術家の一生を支配するものである。日本の芸術家にとって、西洋の大芸術は当然そのような手本になり得るが、彼らの根本的な体験はそうした見本と大きく隔たっている点で、成熟や円熟という形で根本的な体験につながる表現に迫っていくことは並大抵のことではないだろう。大芸術家の存在は、その国の芸術だけではなく、そこに住む街の人や市民の感受性の規制にまで及んでいく。花の生け方ひとつとっても、日本の生け方とヨーロッパのそれは大きく異なる。これは、過去の大芸術家が芸術として表した花の生け方が、それぞれの文化における原型あるいは根本的なものとなり、それが伝統として私たちの花の生け方に関する審美観に影響を与え続けているからに他ならない。

 

【問1】

テキスト巻末参照(103㌻)

【問2】

◯設問には「あるいは」が使われているので、一瞬「幸福」「不幸」どちらか片方の理由を説明すれば良いように思えるが、傍線部を見ると「時には不幸かも知れない」と、「不幸」である場合も多少なりともあることを暗示しているので、制限字数は少ないが一応両方の理由について触れるべきである。

◯青木方式27で一文にし、不足部分を補う形で傍線部内容を理解した後、その理由を考える。

◯不足部分「これ」の指す内容は「バッハ、モーツァルトと~ロシア人音楽家たち」を指す。これらは具体例なので抽象化すると8~10行目との対応から「大芸術(家)」と言い換えられる。

◯また青木方式28から傍線部の下に注目する。すると「国の芸術を決定づける」とある。

◯以上の情報を整理すると「大芸術(家)の存在が国の芸術を決定づける」となるため、それがどうして「幸福」「不幸」になるか推論する。

◯「幸福」→本文の内容から「手本」になることがわかる。「不幸」→36行目の「生け方をしてしまう」という表現や52行目の「規定し支配する」というやや強めの言い方から「国民の審美観などの感受性に関わるものを『縛ってしまう』=『あるものしか美しいとしなくなる』『美しいものを創る際に、手本になったものと似たようなものしか作れなくなる』」ということが考えられる。

◯以上を簡潔にまとめてみよう。

 

【解答例】大芸術家の存在は手本となる反面、感受性等の画一化を生むから。

 

【問3】

◯問2と関連している。

◯青木方式28から空欄の下をチェックすると、「それは芸術家の創作ばかりでなく、街の人、市民の感受性の規制にまで及んでいく」とあり、ここから空欄には、直前の段落の内容が大きく絡んでいることが分かる。

◯直前には問2で見たように、大芸術家の存在が後に来る数世紀の「それぞれの国の芸術を決定づける」ことが表されていた。

◯ということは、どの国でもそのような傾向があるということだ。

◯そういう内容に合うのは2しかない。

 

【問4】

◯違いを述べる場合は「Aは~(だが)Bは~」あるいは「Aは~なBとは異なり~」等という構文を意識し、はっきりそれらの違いが明らかになるように書くべし。

◯青木方式1及び青木方式9で本文読解時におおよその情報を拾っておくべき問題だった。

◯該当箇所は42~47行目。ここを先の構文でまとめる。

 

【解答例】西洋の生け方は華麗で重層的だが、日本は暗示的な生け方である。(30字)

2015夏期『上智大現代文』第4講宇野邦一「反歴史論」要約&復習問題

【要約】

思考が脅かされている。ただその思考を、個人的行為、あるいはある純粋な行為、過程、運動と見なすことは自明ではない。たしかに思考は私の外からやってくる要素だけではなく、私の中の様々な要素によって脅かされてきたが、その「脅かし」について考えようとすると、思考そのものについてもう一度考える必要があり、その「思考」は何らかの定義によって思考を限定することができない地平で、あるいは思考が限定的な何かに従う以前の地平で、問題にされなければならない。またそれは同時に思考の内部と外部の境界や、配置や、関係を捉え直すことでもあり、それはまさに哲学の領分であるが、ただ哲学を援用するだけではその「思考を脅かすもの」を退けることはできない。なぜなら哲学的に考えることも思考を限定することであり、思考を脅かすものである以上、思考そのものが脅かされ、疲弊し、変質していくさまを「本来的な思考」に照らし合わせることが不可欠である。

 

《復習問題》

テキスト本文49行目に「人間は本来考えないものであったのではなく、本来考えるものであり、本来的に考えるものであった」とあるが、「本来」考えるということ「本来的に」考えるものであったということの説明として、最適なものを次から選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

a 古代ギリシア人の思考を「本来的」と形容し、人間がもともと生き延び、行動するために思考することを「本来」で表した。

b 例外的にしろ、人間は思考する存在であることを「本来」で示し、疲弊し変質する前の思考のあり方を「本来的」と表現している。

c 思考は、元々は純粋な過程、行為、運動であったことを「本来」で示し、人間は歴史的に考える存在であることを「本来的」で表した。

d 人間は例外的にしか、思考する存在ではなかったことを「本来的」で示し、そうした思考が脅かされていることを「本来」で表した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

b

2015夏期『上智大現代文』第3講佐藤信夫「レトリック・記号etc.」要約&復習問題

【要約】

私たちの不断のことばづかいのなかには、人間の身体に関する語彙の比喩的な用法が多い。私たちの言語の数は有限であるのに対して、自然界のものごとは無限の様相を見せるために、人間は自分の身体ないしはそれに準ずるものに優先的に配分した語を、森羅万象を表現するのに比喩的に流用したのである。ところでそういう意味で、「目」は鼻や口や耳と同様に明らかに身体の一部であり、比喩を提供する場合が多いのだが、それに対して身体の延長とも言うべき「視線」は、視線以外のものごとを言い表すために比喩として用いられることのきわめてまれな語であり、みずからの生態を表現するのに、ほかのことがらに関わることばづかいを比喩的に借りたがるようである。

 

《復習問題》

テキスト本文24行目に「近ごろ私は『視線』にいささか興味をいだいている」とあるが、その理由として最も適当なものを次から選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

a 吉行淳之介の小説「手鞠」が「私」を感心させる表現を含んでいたから。

b 身体の延長である視線も、身体同様に比喩の有力な供給源だと考えたから。

c 身体の延長であるのに、比喩になるより自らを表すのに比喩を借りたがるから。

d 「視線」が身体に属するのかそうでないのかに非常に関心が持たれたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

c

2015夏期『上智大現代文』第2講松井邦子「『科学』の語りとその真理性」要約&復習問題

【要約】

患者にとっての病気とは、医科学的認識に捉えられる以外のものを、人生や生活の多様性から見て、広範囲に含むものだが、それが問題にされる場は専門技術体系の複合組織のひとつである医療機関である。その結果、患者にとっては病を包括する病気が問題であるのに、医師側は医学的認識に把握される「病気」しか問題にしない。こうした認識のズレは両者の間に軋轢が生じる原因になるが、たとえ患者が苛立って医師側を批判しても、医科学という真理に基づいた医師側にとってそれは、感情論、あるいは医科学的真理に対して真偽の対象ですらないものである。社会構成主義は、こうした現状を受けて「真理」を語る医師たちの科学的言説自体が、患者の語る感情論の言説と同じように、言語で構成された世界解釈の一つに過ぎないと考えた。医師の語る「真理」とは、医学を学び医学のルールを体得した者しか見いだせない「現実」であり、それは「ありのままの現実」ではなく「医学共同体における現実」として構成されたものでしかないのである。

 

《復習問題》

テキスト本文70行目「『がん』が『がん』と呼ばれる必然性はなくなる」とあるが、その理由として最も適切なものを次の中から選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

a 「丸い塊」を「がん」と呼ぶのは、あくまでも医学共同体における言語の共同体的作用に過ぎないから。

b 「がん」という言葉は独立した意味を持たず、「がん」以外の言葉との関係によってはじめて意味を持つから。

c 「がん」という言葉は、突起のある丸い塊として見いだせるものを認識する能力があってはじめて使えるから。

d 医学を体得した者でなければ見いだせない「がん」は、その他の人にとっては「丸い塊」でしかないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

a ( bは講義で説明した問4と同じで、「『がん』が『がん』と呼ばれる必然性はなくなる」の言い換えでしかなく「理由」になっていない。)

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