2013/2014冬期Ⅱ期『青木邦容の現代文頻出テーマ解法総チェック』冬だ!青木だ!⑧内田樹『下流志向』復習教材

【問題】37行目「人々は戻り道のない社会的降下のプロセス」を「こう宣言することによって」歩み始めるのはなぜか。50字以内で説明せよ。

 

 

 

 

 

 

《解答例》

相互扶助・支援のネットワークに属していないせいで、社会を生き抜く際のリスクをヘッジできないから。

2013/2014冬期Ⅱ期『青木邦容の現代文頻出テーマ解法総チェック』冬だ!青木だ!⑤外山滋比古『日本語の論理』復習教材

【問題】19行目「多元論の論理は生物学的である」と言えるのはなぜか。50字以内で答えよ。(ヒントは「有機的」という言葉)

 

 

 

 

 

《解答例》

矛盾するものであっても共存させている点が、有機的なつながりを持つ生命の現象と共通するから。

2013冬期Ⅰ期『青木邦容のハイレベル現代文』第4講岩井克人『未来世代への責任』復習教材

問題 65行目「私は『悪魔』の一員として失格した」と言いながら、70~71行目「私も立派に『悪魔』としての役割を果たした」とあるが、これはどういうことか。120字程度で説明せよ。

 

 

 

 

 

 

《解答例》

経済学者の論理が追放した「倫理」を環境問題の解決に必要であるとした点では「悪魔」一員として失格だが、同時にその「倫理」が地球上で枯渇しており、環境問題の解決が、結局は「倫理」によっては不可能であることを暗示した点で「悪魔」的であるということ。

2013冬期Ⅰ期『青木邦容のハイレベル現代文』第3講川勝平太『「美の文明」をつくる』復習教材&補足解説

問題1次の文章=要約の空欄に当てはまる表現をテキスト本文中から抜き出して書け。

文化と経済とは対立的に考えられがちだが、経済が生産と消費、供給と需要、販売と購入とからなり、生産・供給・販売は、文化としての( 1 )である消費・需要・購入に従属すると言える点で、経済は文化に従属する。その文化は遍在し、それが他地域から憧れられて、取り入れられ普及すると、その地域の文化は文明になる。そうした文明は、文化と異なり偏在し、興亡し、また移動する。文化が中心性と普遍性を備えると、文明になる点で文明の基礎には文化があると言える。近代文明は資本主義として勃興したが、その出生には、( 2 )に見られる禁欲や、世俗的贅沢、あるいはアジア地域の文化への憧れといった、( 3 )要因があった。特に大航海時代前後においては、黒死病に生命の危機を募らせたヨーロッパは、アジアに胡椒・香辛料を求め、また東南アジアは多文化交流の坩堝であり、ヨーロッパ諸国は東方の物産、特に木綿に魅惑され、やがてそれが経済的理由から買えなくなると、自分達で作りだした。後に産業革命の主軸になるのが木綿産業であるが、その点でまさに文化革命が主導して産業革命が後を追いかけたと言える。こうしてヨーロッパ人の生活危機、宗教意識、またアジアの文明への憧れが、ヨーロッパに人類最初の経済文明をもたらしたのである。

問題2 76行目~77行目「西洋資本主義~説明しておこう」とあるが、これを説明することで、筆者は最終的に何を強調したかったのか。次の空欄に当てはまる形で11字以内の表現を本文から抜き出せ。

(        )ことを強調したいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

問題1

1.生活様式

2.プロテスタンティズム

3.非経済的・文化的

問題2

文化が文明の基礎である

 

【補足解説-問4】

4番の選択肢がなぜだめなのかという質問をもらった。まず対比の法則で「本文にない対比が選択肢に作られている場合はペケの法則」を思い出して欲しい。

本文における文化と文明の対比は-

文化ー遍在・永続 VS 文明-偏在・興亡(長続きはするが、移動)

である。しかし4の選択肢は-

文化は「どこにでも」「常に」存在 VS 文明は「一部の地域」に「長期」にわたって存在

となっており、本文にはない「常に」VS「長期」という対比を持つ。ここは少なくとも「永続」VS「興亡」(「長期」)でないといけない。したがって4は不正解。また講義でも言ったが、「他地域に影響を及ぼす」のではなく「(ある文化が)普及」すると「文明」になる。

2013冬期Ⅰ期『青木邦容のハイレベル現代文』第2講小浜逸郎『人はなぜ働かなくてはならないのか』復習教材

問題 94行目~96行目「労働は人間精神の~潜ませている」とあるが、「それははじめから関係的な行為である」とはどういうことかを具体的に説明した箇所を二箇所指摘し、それぞれ最初と最後のの5字を抜き出せ。

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

◯人はそれぞ~ている」。

◯できあがっ~ている」。

2013冬期Ⅰ期『青木邦容のセンター現代文』第5講橋爪大三郎『はじめての構造主義』補足解説

問1 テキスト69㌻~70㌻参照

問2 理由説明は、まずその傍線部の内容が理解出来ていないと「理由」が導き出せない。なので、傍線部を言い換える必要がある。当然青木方式22で「不足情報」=「このこと」が出ているので、この内容を追いかける。「このこと」は第4段落の内容を指しているのだが、どういうことを言っているかというと「言語のいかんいよって対象の切り取り方が異なる」、たとえば英語と日本語の比較で描かれているように、言語が異なれば、単に「表現の仕方」が異なるのではなく、何を何と分類する(あるいは分類せず一緒にする)のかが全く異なるということを述べているのである(『青木の現代文「単語の王様」』〈代々木ライブラリー〉112㌻~116㌻参照)。

 しかし、ここで「このこと」の内容は分かったとしても、なぜそれが「とても重大」なのかは分からない。なぜかというと「書いていない」からである(笑)。なので、青木方式6を意識して、傍線部Aと対応する箇所を探しながら読み進む必要が生じる(青木方式18「後回し」)。

 すると先ほど捉えた「このこと」の内容と同じ内容が6段落以降に頻発するのが分かる。13~15行目「英語だとか~依存してしまうのである」、16行目「言語が異なれば、世界の区切り方も当然異なるのだ」、17行目「ある言葉が指すものは~構わなかったのである」-がそれだ。また筆者が、そもそも「とても重大である」と言うことは、青木方式9で私たちの常識や通念と異なっているはずである。その点で、12行目「日本人はふつう~信じている」という内容と対立する、言葉の違いが世界の(捉え方の)違いであるという発想は、たしかに「重大」な意味を持つ。これらをコアにして(青木方式27)選択肢を吟味する。

 

コア=世界のあり方は、言語に依存している=言語が何を指すかは、社会的・文化的に決まっているだけで、自然現象の中に物理的、物質的な根拠はない(私たちの通念とは異なる)。

 

1 そもそもコアがない 

2 まず「このこと」の内容を日本語と英語の例に限っているのがおかしい。日本語=「水」「お湯」「氷」、英語=“water” “ice”という分節の仕方の違いはあくまで「例」」であり、またそのことを人類学者が「気付いた」ことが重大なことではない、という意味でこれもコアなし。

3 「言葉が何を指し~関係がないこと」を「色の識別を通して気付いた」のではない。またコアもない。

4 そもそも「文化の多様性」の維持という話はしていない。

5 コアがある。これが正解。

 

問3 これも設問構造自体は問2と同じである。29行目にある「ちょっと考えると~思える」という表現からこれが我々の「思い込み」「通念」だということが分かる。なので筆者の言いたいことは、青木方式9からそれとは対立する内容であることをまず前提として押さえておく。ちなみに9段落~11段落の内容を簡単言うと、我々は普通、言語を誰にでも同じように聞こえる物理音として、最初から例えば「ア」という音と「イ」という音は違う音として、最初から区別されているように思っている。しかし、「ラ」はどうか?「ラ」をローマ字に直すと「Ra」あるいは「La」であるが、我々はこの違いを「無視」している。しかし英語ではそうはいかない。彼らは「R」と「L」をはっきりと区別している。これはどういうことか?実は4段落から8段落に書かれていた「対象を言語で指し示す場合」と同じように、言葉の「音」も、絶対的な区別を持つ物理的なものではなく、各民族でそれを区別するかどうか、実はその言語を使う民族の「勝手」=「恣意」だと言うのである。したがって「R」と「L」を区別する民族もいれば、我々みたいに「ラ」は「ラ」一語で、そこにRとLの区別を立てていない民族もいるということになる。これはすなわち傍線部Bにあるように、言葉は最初から物理的な「音」として明確な区別を持つものではなく、様々な形で存在する「音」を区別するかしないかを各言語で決められた上に成立しているものだと言っているのだ。

この傍線部のコアは青木方式32で直前の内容を、今説明してきたような感じで捉えれば良い。

コア=言語は、最初から区別のある物理的な音声ではなく、どこにどのような区別を立てるかは、言語が異なれば全然違ってくるものである=各言語の区別の仕方が言語の音を成立させている。

 

1「それ(=物理的な音声そのものにある特徴)」を「全く関係」ないとしている点が×。33行目にあるように「区別されるのは物理的な音声の特徴」であるが、どの特徴を元にそれを区別するかは各言語によって違うと言っているのだ。

2 コアなし。論外。アメーバ選択肢。

3 「表現上の区別」」ではない。欲しいのは「音の区別」。

4 「物理的特徴」は「ある」。

5 「私たちが音声としての言語を区別できる」のは「区別の立て方」による=コア「各言語の区別の仕方が言語の音を成立させている」となる。正解。

 

問4 「シニフィアン」と「シニフィエ」が結びついたものが「記号」になるという意味を理解出来ているかどうか。本文では「犬」の例で説明されているが、ここを簡単にまとめると「犬」=「イヌ」という表現(の仕方)とその表現が持つ「意味やイメージ」=「概念」が結びついたものが「記号」としての「言葉」だと言うのである。本文にある犬の例に沿ってもっと単純化すれば、音と意味が結びついたものが「単語」だと言うわけである。

これをコアにする。

 

1 コアなし

2 「シニフィアン」はそもそも「表現の多様性」のことではない。

3 「チューチュー」は「鼠」という意味と合わさって「鼠」という単語を作る、「シニフィエ」ではなくむしろ「シニフィアン」である。

4 表現は「シニフィアン」である。

5 コアに合致。正解。選択肢内「音のイメージ」とあるので「イメージ」は「シニフィエ」じゃないのかという文句を垂れるアメーバがいるかもしれないので補足。選択肢には「〈ai〉という音のイメージ」とある。ということはこれは音のイメージ、つまり表現された「音の特徴」の意味なので「シニフィアン」になるのだ。

 

問5 青木方式21及び22を使う。この傍線部Dは形式的には1文だが、意味内容的には「不足情報」を持つ。「何」が「消極的に表現するしかないわけである」のかということだ。これは前の文を見れば分かる。「あ」が「どういう音か説明しようとする」ことである。ここまでの筆者の主張が分かっていれば、傍線部の直前の内容だけでコアは取れるが、もし分かりにくければ青木方式33で直前の内容を説明した箇所を探してみると良い。すると69行目~70行目に「同じように、「あ」~決まるのである」という表現に注目できるであろう。しかしここまで読み進むまでに「オタクの法則」で(青木方式7)、大根の価値の例が述べられているので、ここから筆者の言わんとすることが分からなければ、それこそ「ウソでしょう~!?」となる(笑)。要するに、「あ」は「大根」と同じく、それ自身に最初から決められた意味や価値があるのではなく、他のもの、たとえば他の文字・言葉、あるいは文脈などとの関係をもってはじめて「あ」の意味は決まると言っているのだ。ちなみに「あ」の例は「例」であって筆者の言いたいことは62行目「言語や記号システムの中には、差異(対立)しか存在しない」ということなので、解答の際には「あ」の例にこだわる必要はない。

 

よってコアは「言語や記号システムの中には、差異(対立)しか存在しない」=「言葉の意味や価値は、その言語体系内の他の言葉等との差異で初めて決まる」にする。

 

1 そもそも「そのものが本来持つ音声や意味、あるいは絶対的価値」などは表現する以前に「ない」と言っているのだ。

2 「あいうえお」と「かきくけこ」の「文字の形や、それらの組み合わせの違い」から「意味の差異」が強調されるという話自体がない。

3 「属性」とはあるものが元から持っている性質のこと。つまり「あ」という文字や音の特徴(=属性)が、「あ」の意味を決めるのではなく、他のものとの「対立」=「差異」から初めて意味が決まるということ。例えば、「あ」は「い」でも「う」でも「え」でも「お」でもない・・・、というように表せば「50音」の中での「あ」を説明でき、またそれは例えば、10円の価値がそれだけで高いか低いのかが分からないのと同じである。100円と比較すれば低く、1円と比較すれば高い。つまりそれ自身が価値を持つのではなく、他の関係(=対立=差異)等によってはじめてそれが決まるのが言語だというわけである。コアを持っているのはこれ。

4 「言葉の曖昧性を排除」するとか、「表面的な言葉の意味や形にはあえて注目しない」とか、無関係。

5 「あえて意識的に区別しようとしない」という表現が蛇足=余計。後はコア通りなんだが・・・おしい(笑)。

 

問6 青木方式17、30を使って吟味していく。

1青木方式30で×。始まり方の説明がアウト。「その局面を裏付ける具体例」では、筆者は、言語が物理的現象であることを証明することになってしまう。

2青木方式30で×。後半の説明がおかしい。「その差異こそ」の指す差異が、ここでは「シニフィアン」「シニフィエ」の間にある差異になってしまっている。

3青木方式30で○。始まり方、終わり方、共に良し。

4青木方式30で×。終わり方の説明が無茶苦茶。そもそも「言葉が何を示し、何を意味するか」は、「音声の区別」で決まるという内容は本文にない。

5青木方式30で×。「シニフィアン」「シニフィエ」は「実体」ではない。あくまで記号を形作る、表現とその意味であり、それは他のものとの関係によって変化するゆえに「実体」ではない。

6青木方式30で○。

2013冬期Ⅰ期『青木邦容のセンター現代文』第2講山崎正和『無常と行動』復習教材

問題1 次の文章=要約の空欄に当てはまる表現をテキスト本文中から抜き出して書け。

問題2 空欄Xにあてはまる言葉を講義を思い出して書け。5字。

実存主義者たちは、選択の場所と選択の自由意志、つまり( 1 )と( 2 )とを切り分け、現在を二重の空白の時間とも言うべき、( 3 )と考えて、( 2 )を選び取ることができる人間の自由を保証した。しかし、( X )、つまり人間の肉体と精神を鮮やかに切り分けられるという考えが滑稽で非現実的であるように、自分の( 1 )と( 2 )を切り分ける考え方は、やはり楽天主義としか言いようがない。実際の私たちは、任意にそれらを切り分けることが不可能な、ひとつながりの濃密な現在に生きるしかなく、こうした現在に生きている限り、( 2 )に向けて行動を選択はできても、その行動を完結させるという結果は選ぶことができず、主体的に行動を選べば選ぶほど、かえって結果に対して、私たちは( 4 )の姿勢で臨まねばならない。もちろんそれは人間が環境や外的条件に逆らえない存在であるという意味ではなく、人間は自由意志を持って環境に対峙はできるが、そもそも自分が存在するその環境、あるいはその環境と巡り会う機会を前もって選ぶことは不可能なのである。

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

問題1

1過去

2未来

3純粋な空白

4自己抛棄

問題2

心身二元論

 

 

2013冬期Ⅰ期『青木邦容のハイレベル現代文』第5講山崎正和『藝術・変身・遊戯』解説及び復習教材

問題 10行目「二重のクウキョ」とはどういう状態か。50字以内で述べよ。(解答は一番下)

《テキスト掲載設問補助解説》

問2

イ第1段落後半の内容が理解出来ているかどうか。私たちは現実の日常生活の中で、「前向き」に生きている時がある、つまりそれは「主体的」に生きているわけだが、そういう時にはある目的達成のために、現在の自分を手段にしてしまう。すると常に主体的であろうとすればするほど、「かえって」今の自分は、次々と手段化され、決して「今」が充実することがないと言っている。青木方式21・22から指示語「これは」に注目。直前の「(目的に向かって)生き急ぐ」⇔「置き去り」という矛盾した表現に注目。あるいは青木方式6から、31行目「ところで~だろう」内「このような逆説」という表現に注目しても解ける。

ハやはり青木方式21。1文にして考える。まず「目的のないものに目的追求の姿勢で立ち向かう」に注目。この表現が意味するところは「頑張っても無駄に終わる」ということ。また、青木方式24で空欄直後の指示語以下を見る。「それを避けることは難しい」とあり、またこれを(必要ならば)28行目「キョウセイされている」まで読みつなげても良い(青木方式33)。いずれにしても「できないことをさせられている」という意味になることが分かるであろう。ここから人間の「悲劇」という表現が導かれる(「滑稽」という表現が付いているのは、人間がそれに気付かずに、自分達にとって「良いこと」と思って続けている点を皮肉っている)。

問3講義で説明済み

問4講義で説明済み

問5講義で説明済み

問6 理由説明の公式を使う。また傍線部に関して今回は「充実して生きようとする人間の善意」「裏切られる」が「ピックアップ」されている。こういうタイプの問題は、まずそれぞれを説明しようとするとうまくいくことが多い。

「充実して生きようとする人間の善意」→17行目に注目「人間は~押しつけてくる」→人間は人生を充実させるために様々な技術を産み出す。

「裏切られる」→13~15行目に注目「人生のかな~のである」→現在を充実させるということから人間を遠ざけてしまう(=当初の目的から遠ざかっていく)

これらをドッキングすると直接理由が完成。

 

(直接理由)充実した生のための「技術」はかえって人間を、現在を充実させて生きることから遠ざけるから。

 

これに公式を当てはめてまず間接理由を考えてみる→「なぜ技術は人間を、現在を充実させることから遠ざけてしまうんだろう?」→18行目に注目『技術は、人間にたいして「目的追求(未来に向けて今を犠牲にする)」の姿勢を押しつけてくる』からだ。

 

→間接理由に採用。直接理由とドッキング→《解答例》充実した生のための「技術」は人間に「目的追求」の姿勢を押しつけ、かえって現在を充実させて生きることから遠ざけるから。

 

問7 本文の要約的問題。まず大切な箇所を青木方式11から31行目「ところで」以下だと認識できたかどうか。そもそも人間の人生が否応なく目的追求型になってしまっている中で、芸術が何を人生にもたらすのか。一言で言えばそういう人生の「中断」である。「中断」ということはまたそれを始めなければならない。しかし、一時の間「中断」することで、人生は「充実したもの」を僅かながらではあるが取り返せるというわけである。

 

そこで-まずポイント①「実人生を充実させる」が欲しい。これはミクロ。

    ポイント②としては「芸術の意義」=34行目から「目的追求の姿勢を逆転させる構造(持つから)」をマクロとして使いたい。

《解答例》芸術は、その目的追求の姿勢を逆転させる構造によって、人間の実人生を充実させる。

 

ダメな解答=アメーバ解答は「芸術は、現実行動の流れを中断し、人間の目的追求の姿勢を逆転させる構造を持つ。」という感じのもの。つまりこんな解答は、「一箇所をまとめただけ」で「(筆者の主張を)考えておらず」、またもしこういう「~構造を持つ」という終わり方にしていたならば、芸術の「構造」の説明になってしまっており、設問が要求する「実人生に対する芸術の意義」を説明していない点でも×。アメーバ。

【復習教材《解答》】10行目「二重のクウキョ」とはどういう状態か。50字以内で述べよ。

過去と未来の間で、現在の自分を未来の自分のための「手段」とすることで、自分の現在を生きていない状態。