【要約】
わが国の庭園は、近代以前は石を立てることによって象徴性を獲得するような「象徴主義庭園」だったが、近代の和風庭園はそのような伝統的な文化を捨て去って行く。その結果、素直な広闊な庭園、のびやかな自然をすべて見たままに解釈すれば良い、「自然主義的庭園」が生み出されていくことになった。近代以前の「象徴主義的庭園」は、それを解釈するための世界的前提を必要としたが、自らの感性に合わせて作られた「自然主義的庭園」は、そうした前提を持たないという意味で、近代の精神的基盤の上に成立していたと言える。最近、奈良の依水園という庭園を訪れたが、これも日常的感覚の延長に組み立てられる驚きを基礎としている、つまり形而上学的な世界的前提をその鑑賞に必要としないという意味で広義の「自然主義的庭園」といってよい。
【問1】
①手法 ②境地 ③意図
《復習問題》
テキスト本文81~82行目に『「あれは何だ」と叫ぶのが、ここでの正しい庭園鑑賞法だったのだと、改めて理解するのである』とあるが、なぜ筆者はそのように思ったのか。その理由を説明した次の文に当てはまる表現を本文から50字以内で抜き出せ。
◯[ 50字以内の表現 ]が用いられているから。
《解答》
日常的感覚の延長に組み立てられる驚きを基礎とした、広義には「自然主義的庭園」といってよい作庭法