【要約】
今日のわれわれの社会は、一般的にいって、思考型の人間を作ろうとしている傾向が見られる。したがってこのような現代の思考肥満症的徴候をもつ社会において、純粋な感覚の質的体験が無視されていくのは当然と言える。デカルトは思考を自我の土台としたが、シュタインは感覚の質的体験の回復を通してこれを批判した。デカルト的意味における思考は、純粋思惟にやや似た状態を現出させるが、このような状態は我々を睡眠に誘いやすく、かえって自我意識は弱められてしまう。したがって思惟や表象を通して自我に近づこうとするデカルト的なアプローチは、毎夜睡眠によってその存在を否定されてしまうという事実からも、かえって自己同一性を否定することになる。それに対し、感覚体験における自我は、視覚や聴覚のような外部感覚と、均衡感覚や運動感覚のような内部感覚から立ち現れる。その点で感覚体験は概念的思惟よりも自我の体験という点では優位にあると言える。また、悟性の作り出す思考内容は伝達しやすく、したがってわれわれは思考存在になればなるほど、普遍的存在になってくるが、感覚体験はその伝達しにくさから、純粋な感覚存在に近づけば近づくほど、われわれは個体内存在としての自我を体験するとも言える。このような純粋感覚体験は人間特有のものであり、動物の本能的な感覚とは一線を引く。一方で動物は、人間の持つ概念的内容を先取している部分があり、その点で人間が感覚を退化させて本能的なものに近づけ、知性のみを発達させるならば、人間存在は動物に接近することになる。われわれの高次の感覚は、動物の本能的反応にとらわれたそれとは異なり、自然科学が見過ごしてきたひとつの客観的認識能力が備わっているのではないか、というゲーテ的感覚論をシュタインは著書の中で暗示しただけで、この世を去ってしまった。
【問1】
(ア)針葉樹 ①申請書 ②針小棒大 ③辛酸 ④深海魚 ⑤森羅万象
(イ)肥満 ①費用 ②肥料 ③避難 ④披露 ⑤卑下
(ウ)思潮 ①登頂 ②珍重 ③拡張 ④風潮 ⑤傍聴
(エ)根拠 ①拠点 ②許諾 ③去就 ④挙手 ⑤虚勢
(オ)体系 ①中継 ②一計 ③刑罰 ④系図 ⑤絶景
《復習問題》
テキスト本文23~24行目にある『「悟性の力を行使する勇気をもつこと」は啓蒙思潮の時代以来人生の基本的態度になってきている』について、どうして「悟性の力を行使する」ことが「啓蒙思潮の時代以来」、「勇気をもつこと」になるのか?その理由としてもっちも適当なものを次の①~⑤の中から選べ。
①悟性によって世界を把握しようとする態度は、従来の聖書や神学という当時の権威的な思想に反することだったから。
②理性による思考の普遍性と不変性を主張する啓蒙思潮は、当時の社会ではその内容が理解されないことだったから。
③デカルトの「われ思考す、故にわれ存在する」というデカルトの考え方が、あまりにも斬新すぎて当時の人に理解されなかったから。
④悟性が概念を用いて、混沌とした感覚対象を関連づけ、秩序づけるその簡便さが当時の人にとっては魅力的だったから。
⑤純粋な質的体験が、精神的なものでありかつ自我の存在を強めるものとして、当時の人々には認識されていたから。
《解答》
①