【要約】
ぼくは色が苦手である。色を塗れば塗るほど冴えない色になっていき、と同時に色のコンプレックスが増えていく。色を生み出す天才は羨ましいが、それは至極、運命的なものに思える。色を生み出すことが得意ということは、自然描写の過程で独自の色が出てくるような意識的なものとは違い、また論理的に考え出された色とも違う。そうした過程無しに、いきなり色を生み出せる力こそが、やはり運命的なものなのではないか。実際、形とはことなり、色は線形で進むことはない。良い色のための論理は存在しない。だから色は運命でもあるかのようにあらわれるとでも言いたくなる。もちろん、ぼくだって最初の一色を塗るときは綺麗だが、それは白と対比されるからだ。したがって色を重ねて色を生み出す運命を、やはり切り開いてはいけない。ぼくは、先人の絵の色合いを借りて、それを応用し発展させようとしても、結局は失敗するが、誰もが、突然の運命で人類の絵のどこかにあらわれた色をお手本にして、自然描写の要領で応用しながら、少しずつ発展させているものかもしれない。そうであれば、自分が色を生み出せないことは、そう悲観することもない。
【問7】(解答例)
白い画面への最初の一色は、何でも白と対比されるために綺麗になるから。(34字)
《復習問題》
テキスト本文81~82行目「そうであれば~こともない」とあるが、なぜ筆者は「悲観することもない」と考えたのか。その理由を60字以内で述べよ(㊟解答例は最下段。スクロールして確認のこと)。
《解答例》
みんなが先人の絵の色合いをお手本にしているならば、色を生み出せないことに自分がコンプレックスを感じる必要はなくなるから。(60字)