【要約】
子どもたちが隠れん坊をしないで「複数オニ」や「陣オニ」など変形した隠れん坊をすることには見過ごしがたい意味がある。それは子どもたちが、隠れた者、オニ、相互に役割を演じ遊ぶことによって自他を再生させつつ社会に復帰する演習の経験を失うことを意味するからだ。「複数オニ」「陣オニ」そして「高オニ」といった隠れん坊の系譜を外れた身体ゲームは、そのまま「人生ゲーム」に通じるものを持つ。これらは共通のコスモロジーを有し、それは私生活主義と競争民主主義に主導された市民社会の模型としてのコスモロジーであり、産業社会型の管理社会の透視図法を骨格に持つコスモロジーである。「人生ゲーム」が新しいゲームにいくら取って代わられようが、そのコスモロジーは変わることなく、またそれによって子どもは、他人を打ち負かすことを主眼にした、そうした管理社会特有のコスモロジー自体に飽きてしまう。しかし外に出て「陣オニ」あるいは「高オニ」をするにしても、これらはやはり同構造のコスモロジーを持つということから、やはりすぐに飽きてしまう。そうした中で。子どもたちは同じ隠れん坊の変わり種でありながら、全く異なるコスモロジーを持つ遊びに出会う場合がある。それがかんけりだ。かんけりでは、子どもは管理社会のコスモロジーに蹴りを入れることに快感を覚える。また、かんけりで隠れている者は、根源的な相互共同性に充ちたコスモス(秩序)を持つ、市民社会からのアジールに籠り、そこに安堵感を覚えている。かんけりには、「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」といった遊びが持つ、他人を打ち負かすことに価値を見出すコスモロジーではなく、仲間を助けることに喜びを覚えるコスモロジーが展開している。またかんけりでは、それゆえに、隠れた者は、「隠れん坊」とは異なり、オニに見つかっても市民社会に復帰したいとは思わず、また隠れた者が友を奪い返して戻ってこようとする時、市民社会の制外的領域であるアジールを目指すのだ。
【問1】
(ア) 恒常的 ①恒例 ②貢献 ③振興 ④均衡 ⑤小康
(イ) 変換 ①勧誘 ②寛大 ③鑑定 ④帰還 ⑤換気
(ウ) 多寡 ①豪華 ②負荷 ③寡黙 ④貨物 ⑤過分
(エ) 猛然 ①猛火 ②妄想 ③網羅 ④本望 ⑤消耗
(オ) 交錯 ①昨日 ②作為 ③削除 ④索引 ⑤錯誤
《復習問題》
テキスト本文31行目「オニは聖なる媒介者であることをやめて秘密警察に転じ」とあるが、「聖なる媒介者」とはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。
① 隠れん坊においては、隠れた者は擬似的な死の世界に置かれた者と見なすことができるが、オニはそうした隠れた者を発見することでそれを蘇生し、元の社会に連れ戻す役割を演じることで、自らも社会に復帰する存在であるということ。
② 隠れん坊で、隠れた者はオニに見つけてもらうことで蘇生できるという希望を持ちながら籠るが、オニはそうした隠れた者を発見することで、社会から引き離された状態からはじめて解放され、新たに社会の仲間にもなるということ。
③ 隠れん坊をする際に、オニはまず人間社会から追放された存在として彷徨し、また隠れる者も社会から追放された存在として籠もるが、後者は前者と異なり、前者を発見すれば社会に復帰できる感動を味わえるという違いを持つということ。
④ 隠れん坊では、オニは人間社会から自らを追放した存在として描かれるが、社会から引き離され擬似的に死んだ状態になった隠れる者を発見することで、改めて人間として社会に復帰できる機会を与えられた存在だということ。
⑤ 隠れん坊におけるオニは、隠れた者にとっては恐ろしい存在に思われがちだが、元々社会から引き離され、擬似的に死んだ状態に置かれた「隠れた者」を蘇生し、社会に復帰させるために彷徨することを選んだ聖なる存在だということ。
《解答》
①