2015第2学期『現代文基本マスター』〈本題〉2山折哲雄「花鳥諷詠 高浜虚子の『刀刃段々壊』」要約&復習問題

【要約】

最近、京都などの古寺を訪れる人々の流れが変わったと思うようになった。人々の流れは仏や菩薩の鎮座するはずの本堂を抜けて行ってしまう。しかし、堂を出て、自然を目にすると人々の流れは途端に停滞気味になる。仏や菩薩たちは、もはやお堂の中には鎮座しておらず、自然の中に居所を移し、そのはるか後景にその姿を隠しているのを人々は感じとっているのではないだろうか。仏教が日本に伝来する以前から、このような「気配を感ずる心」はあった。ところで高浜虚子は花鳥諷詠を、終生変わらぬ心の拠りどころにし、人心がどんなに揺れても微動だにしない俳句の天地とした。その花鳥諷詠は、自分の身辺を包む四季の現れの形を写すことであった。またそれには、主観を排し、「自然の多部分を抹殺して一部分を生かすこと」が大切であるという。そしてこうした虚子の俳句の無方法の方法は、実は日本の寺の庭を前にして、停滞し、滞留するわれわれ日本人が無意識に手にしているものなのかもしれない。

 

《復習問題》テキスト本文28行目「自然に念頭に浮かぶのが虚子の言葉である」とあるが、どうして「そんなとき」に「私」は虚子の言葉が念頭に浮かぶのか。60字以内で説明せよ(㊟解答例は最下段。スクロールして確認のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答例》自然を前にした時、そこに仏や菩薩たちの気配を感ずるわれわれの心の動き方を、虚子の写生が端的にあらわしている気がしたから。(60字)