2015第1学期『現代文基本マスター』第2講広中俊雄「法と裁判」要約&漢字解答&記述解答例&復習問題

【要約】

裁判では、客観的な事実の発見と、客観的な存在である法の適用によって、「客観性のある結論」を導き出すことが、裁判官に期待されているが、現実には、裁判官も人間である故に「自分自身以外の眼でみることはできない」ことが問題になる。裁判官のなす事実の決定は、彼の前で証言する証人たちと同様に、機械的な行為ではなく、記憶の誤りや想像による事実の再構成などから逃れられない。これは刑事事件に関する限り、基本的人権の保障に関わる一問題であり、無実の者が誤判のために命を奪われてしまうような可能性が、日本をはじめ、死刑制度を持つ国々で残されている以上、客観的な事実の発見ということが貫徹され、裁判官がそれに自己の生命を掛けるだけの覚悟を持つことを要求し得るような、そして無実の者が処罰されることのないような制度を目指して、可能な限りのことをなすべきである。

 

【問1】

①訴訟 ②しんぴょう ③まぬか(まぬが) ④誇張 ⑤貫徹

⑥要請

 

【問7】(解答例)

裁判官に客観的事実の発見に自己の生命を掛ける覚悟を要請できるような、無実の者が処罰されることのない制度をめざすべきだ。 (59字)

 

《復習問題》

本文75行目「制度の問題として可能なかぎりのことをなすべきであろう」とあるが、こと「死刑」に関して筆者は、裁判官に「自己の生命を掛けるだけの覚悟をもつべきであろう」と述べるが、ここから筆者が死刑制度についてどのような考え方を持つと考えられるか。次の中から適当なものを一つ選べ(㊟解答は最下段ースクロールして下さい)。

①客観的な事実の発見ということに裁判官が自己の生命を掛けるだけの覚悟がある場合のみ、死刑を被告人に言い渡しても良い。

②裁判官は記憶の誤りや想像による事件の再構成から逃れられない以上、死刑制度自体を無くす形で、無実の者が処罰されることを避けるしかない。

③無実の者が誤判のために生命を奪われることは避けなければならないが、それを恐れるあまりに処罰の確実性を犠牲にするのは良くない。

④裁判官は、本来、客観的な事実の発見に責任と覚悟を持つべき存在であるので、被告人に対して確実な形で死刑を宣告できるよう努力すべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》②