【要約】
あいまいだからよい最たるものとしての言語の使用が、生きた人間の日々の証であり普遍的な契機だとすれば、人間の日常性はあいまいさによって支えられていることになる。人間の意識の対象世界が無限の奥行きと多様性を見せるのに対して、言語は有限であるために、個々の言語は必然的に広がりを持った領域を受け持たざるを得なくなる。言語はもともと不連続なものであるから、言語による分節化は連続世界の離散化になるが、誰にとっても共通な、確定的部分への離散化が不可能である故に、言語はあいまいさを持たざるを得ないのである。逆に数学世界の二値論理的概念は、〈曖昧性〉を持つ自然言語では表すことができないことを考えれば、自然言語の〈曖昧性〉が理解出来る。そしてその〈曖昧性〉は、思考とコミュニケーションの場で本質的に現象する。もし言語が〈曖昧性〉を持たなければ、思考は前進せず、またコミュニケーションも成立しない。なぜなら、変化する現実世界と時間の流れの中で、双方共に限られた時間の中で行われる動的プロセスだからである。やはり言葉はその〈曖昧性〉ゆえに使用に堪えるものなのである。
《復習問題》本文中に登場した「分節化」という表現についての説明として、最も適当な例を次からひとつ選べ。
①雑踏の中の人々の会話に耳を澄まし、会話内容を理解しようとする。
②名札に書いてある商品名と、コンピューター上のデータを照らし合わせて在庫チェックをする。
③暴走し、人を轢いてしまった「自家用車」を「殺人道具」と呼ぶ。
④どこからどこまでが自分の仕事の範囲かを決めてから仕事に掛かる。
⑤自然を見て、美しいと感じ、それを詩にして朗読してみる。
《解答》③ 本来は分類されていない混沌とした世界を認識のために言葉によって分類し、同時に意味を与えること(「青木の現代文単語の王様」(代々木ライブラリー)112㌻参照)。この場合、一般的には「自家用車」と呼ばれているものを、「殺人道具」と呼ぶことで、「自家用車」一般から切り離し=分類し、新たに「殺人」に使われた「道具」という意味を与えた。