【要約】
四季がはっきりしていることが現実にとっても文学にとっても重要な特徴であり続けてきた日本、そして近年の日本以上に四季の変化が豊かなアメリカ東海岸からカリフォルニアに来て、ほとんど何の変化も見せない、そのコバルト色の空に対して、最初は単純で明快なグッド・フィーリングを覚えたが、やがてスタンフォード大学で日本の古典文学の授業が始まると、事情は一変した。季節の変化など存在しない、コバルト色の空の下で、季節感の細かい変化を表現の軸の一つにした古代・上代の日本文学を講じるのは、あまりにも違和感があり過ぎたのだ。それは、ある種のパニックどころか、「カルチャーショック」より深刻な、一つの虚無感を引き起こした。しかし、カリフォルニアは、現在そこに住む人間にとっては、季節の変化がないという意味でパラダイスであり、20世紀の終わり頃のカリフォルニアに住んでいた人間にとっては、疲労した近代文明の「その次」の生き方を示す、優越感を感じられる場所としてパラダイスであった。いずれにしても『そこにいる』あるいは『どこかにいる』という感覚を全く感じさせないその場所は、ガートルード・スタインの名言の一部を借りれば、まさに「thereのないカリフォルニア」と言える場所だった。このような「パラダイス」では、「枕草子」は教えられない。また、清少納言の「季節批評」は「there」だらけの狭い島国の産物であることが、痛いほど感じた「私」は、この場所には長く止まれないことを強く自覚するのであった。
【問1】
(ア)祖先 1組織 2○ 3粗略 4険阻 5租税)
(イ)深刻 1慎 2浸 3親 4辛 5○
(ウ)澄 1澄明 2調律 3眺望 4早朝 5潮流
(エ)先端 1担 2 探 3鍛 4○ 5淡
(オ)浮遊 1誘 2○ 3優 4勇 5憂
《復習問題》(㊟解答は最下段なのでスクロールして確認のこと)
本文51行目『「歴史の終わり」を生きていた』というのは、この場合、どういう意味か。次の中から最も適当なものを選べ。
①イデオロギーの闘いとは全く無縁な場所で、ただ富の蓄積だけを考えて生きていたということ。
②自分自身に誇りを持ち、自らの手で歴史を作ろうという気概を持って生きていたということ。
③資本主義対共産主義といった、思想の闘いには全く無関心のままに大学に通っていたということ。
④何に対しても心を乱されることなく、ただ変化のない環境で毎日を凡庸に生きているということ。
⑤季節の区別を知りながら、その情緒を理解しないままに、ただ天気を愛して生きているということ。
《解答》 ④ (㊟アウトラインは「季節の問題に象徴されるような「悩み事」とは無縁に、ただ変化のない環境で、平穏で変化のない毎日を生きている」ということ。)