2015第1学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第1講見田宗介「現代社会の理論」要約&記述解答&復習問題

【要約】

世界銀行等の貧困な層の定義は、一日に1ドル以下しか所得のない人が世界中に12億人もいて、75セント以下の「極貧層」さえ6億3000万人もいるというものだが、こうした貧困のコンセプトは、たとえ善意の意図からそれがなされ、一時的に良い政策につながっても原理的には誤っており、長期的には不幸を増大するような政策を基礎付けてしまうおそれがある。なぜなら貧困は、貨幣をもたないことにあるのではなく、金銭を必要とする生活形式の中で、金銭を持たないことにあるのであり、「南の貧困」は、そもそも貨幣を必要としなかった人々が、自然や共同体から引き離され、貨幣やGNPを必要とするシステムの内に投げ込まれてしまった上で、所得やGNPが低いままであることがその原因である。こうした二重の剥奪である〈貧困〉のコンセプトの正しさは、世界銀行等が用いる貧困層の定義よりも、はるかに多くの所得を有するアメリカに、やはり貧困を強いられている人間がいることでも証明される。貨幣からの疎外の前に貨幣への疎外があるために、特に現代の情報消費社会のシステムは、絶対的な必要を更新し、第一次的な剥奪を巨大化、重層化することで、〈必要〉とされる貨幣の数量を巨大化させ、新しく、切実な貧困の形を形成しているのである。

 

【問2】

貨幣をはじめから必要としていない世界を「所得」の量で「貧困」と定義しているから。 (40字)

 

《復習問題》

問1 本文25行目にある「貨幣への疎外」の内容を述べている部分を、45字以内(句読点含む)で抜き出し、以下の解答欄に合うように示せ。(㊟解答は最下段なのでスクロールして確認のこと)

 

[         45字以内           ]こと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

貨幣を媒介としてしか豊かさを手に入れることのできない生活の形式の中に人びとが投げ込まれる(44字)

2015第1学期『現代文読解』第1講中村良夫「風景学・実践編」要約&漢字解答&記述解答&復習問題&文学史(オマケ)

【要約】

小林一茶と飯田龍太の句を詠み比べてみると、前者が風景の視覚的美しさを詠み、後者が皮膚感覚で触った風景の気配を詠んでいるという違いに気付く。これらを通して、風景には視感覚の勝った風景と触感覚に秀でた風景の二つの側面が存在すると考えられるが、そうした風景を描いた風景画には、現実の風景知覚にあるはずの自己の身体が慎重に排除されている。しかし実際には、私たちが現実に風景を体験する時は、視覚と身体感覚が同時に働いているのであり、世界の生きた気配を内側から捉え、外側から形として客観視しているわけである。こうして現実の風景は、以上のような二つの側面の双対関係をもって我々の前に立ち現れる。

 

【問1】

ア 歓声 イ 排除 ウ 秩序 エ 鼓動 オ 息吹

 

【問4】

一茶が、視感覚で外側から捉えた風景の美を伝えるのに対し、龍太は、内側から触感覚で捉えた世界の生きた風景の気配を伝える。

 

《復習問題》

本文中では一茶の句と龍太の句を対比して、それぞれが伝えている風景の二つの側面が語られているが、龍太の句が伝えていることを具体的に説明した箇所を、13字で文中から抜き出せ。(㊟解答はスクロールして最下段参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》皮膚感覚で触った山河の気配

【問9 文学史 オマケ】

イ 松尾芭蕉 ロ 小林一茶 ハ 向井去来 ニ 与謝蕪村 ホ 松尾芭蕉

【よくデル!!『松尾芭蕉の紀行文と俳文』】

《覚え方》野ざらしの 鹿島はおいの 更科の 奥の庵で 旅を語りぬ (㊟五七五七七のリズムで覚える)

①野ざらしの 『野ざらし紀行』 ②鹿島は 『鹿島紀行(かしまきこう)』 ③おいの 『笈の小文(おいのこぶみ)』 ④更科の 『更科紀行(さらしなきこう)』 ⑤奥の 『奥の細道』 ⑥庵で 『幻住庵記(げんじゅうあんのき)』(俳文) ⑦旅を語りぬ 作品名ではなく「紀行文」であるということ(㊟紀行文とは旅をして、その時の経験や感想、見聞きしたものなどを記した文章。和歌や俳句、短歌あるいは漢詩などが入っていることが多い。旅日記のようなもの。「土佐日記」がその始まりとされる。俳文とは、当時の俳諧のエッセンスを盛り込んだ今で言うエッセイのようなもの。今回の設問の選択肢ロ 「おらが春」は小林一茶の俳文として超有名。) 

2015第1学期第1回『Weeklyテスト演習(応用)』佐伯啓思「市民とは誰か」要約と解説講義補足 

【要約】

西欧は「個人主義社会」だから西欧には「個」が確立しているが、日本はムラ社会、集団主義社会だから「個」が確立していないと言われるが、実際はヨーロッパ社会ほど、一方で個人主義を唱えながら、他方で国家意識や地方意識が強く、地域共同体や家族という集団の凝集力が高いところはそれほどない。そしてこうした「個」と「集団」の強い緊張が、「公」と「私」の鋭い峻別を生み出している。一方日本では、「私」の世界と「公」の世界の区別が極めて曖昧であり、ヨーロッパでは「公」と考えられる世界へ、日本では「私」が当然のようにはみ出している。これは、日本の「公」が「お上」の観念と同一視されており、「公」は国家的、政治的、官僚的なことがらであるという了解ができあがってしまったことによる。さらに、戦後日本では、戦前の国家主義の反動で、「公」よりも「私」を重視する風潮ができあがってしまっているために、「公」は、個人の感情や個人の利害打算にすぎない「私」に席巻されてしまうということも起きている。

 

【解説講義補足】

《問5》

①記述問題なので本文を読解する前に「何をきいているのか」をチェックする。

②『(本来は家の中でしか見られないはずの)「私」の世界の親子関係が、家の外にまで及んでいる(=はみ出している)』ことを説明せよ・・・ということだが、こうした内容に関連すると思われる箇所に注意しつつ本文を読み進む。

③講義で述べたように、第8段落から、ヨーロッパの子供たちが「公」の世界のルールを重んじているという内容と対比する形で、日本における子供の姿が説明されている。また、(講義では省略したが)11段落に傍線部分と同じ表現を見つけることもできる(→「こうなると、ヨーロッパでは『公』と考えられる世界へ、わが国では『私』がはみだしていく」の箇所)。

④③で見つけた箇所、及びその前後から問5に使える材料を抽出し、まずは「簡単な答え」=ラフを作成してみる。

⑤今回は、ラフを作成する際に、どのようなポイントを抽出すれば良いのか。③で発見した箇所に注目すれば、いずれにせよ8~10段落に注目する必要があることがわかるが、さらに正確に、設問でチェックした「『私』の世界の親子関係が、家の外にまで及んでいる」という表現に対応する箇所に注意すると、(講義で説明したように)8段落の「家の中も外も何の区別もなく、甘やかされ」ているという表現が、「『私』の世界の親子関係」=甘やかし、「家の外にまで及んでいる」=「家の中も外も何の区別も」なく・・・という風に対応していることを確認できるので、ここを使って「ラフ」を作成する。

⑥(ラフの作成)日本では、家の内外に関係無く、親が子供を甘やかしてしまっている状況。〈34字〉

⑦(字数調整)⑥で作成したラフは、字数が不足している。傍線部内容説明問題で字数が不足している場合は(講義で述べた青木方式を使い)、ラフを詳しく説明するための「根拠」「理由」を本文から探し、ラフに加えるようにする。今回のラフ「日本では、家の内外に関係無く、親が子供を甘やかしてしまっている状況」が「なぜ」翔生じているのか?本文では⑤でチェックした箇所に『「公」の世界のルールというような感覚は極めて薄い』とか『ヨーロッパにおける、家の外は基本的に「公」という感覚とは異なっている』とか『日本的な「公」観からは、家の外へ一歩出ると「公」の世界であるという理解は出てこない』とうように、その理由が説明されている。

これらのいずれかを「根拠」「理由」として⑥で作成した「ラフ」に加えれば良いであろう。

⑧(完成)日本は、ヨーロッパのような「公」の世界のルールというような感覚が薄いため、家の内外に関係無く、親が子供を甘やかしてしまっている状況。 〈66字〉

  (参考・・・別解)「公」の世界のルールという感覚が薄いために、家の内外の区別なく、「私」の世界と同じように「公」の世界でも親が子供を甘やかしてしまう状況。 〈68字〉

 

上記の解答は、解答にある採点基準と-

 

①(日本では、)「私」の世界(家の中)と「公」の世界(家の外)との区別が曖昧な状態にある、という指摘

≑ 「家の内外に関係無く」

②「私」の世界(プライべートな親子関係)が「公」の世界(家の外)にまで拡張している、という指摘

≑ 「(日本は、ヨーロッパとは異なり)親が子供を(外でも)甘やかしてしまっている」

③「公」の世界のルールに対する関心が薄い、という指摘

≑ 『(日本は、ヨーロッパのような)「公」の世界のルールというような感覚が薄い』

 

-というように概ね対応している。

 

記述が苦手な人は、まずは「簡単な解答」=「ラフ」が書けるようになることを目標としよう!!(その後は【青

木方式】で何とかなります(笑))

 

《問7》

講義で述べたように、(特に苦手な人や解答スピードを上げたい人は)『中間チェック』利用し、本文を前半と後

半というように分割して、それぞれの情報から選択肢を吟味する。

(講義で説明したように)前半の情報で既に④が×なのは確認できた。後の選択肢はどうか?後半部分を読解後

に吟味してみると-

 

1たしかに(「公」の世界に出ると、ヨーロッパでは、親は子供に厳しい態度に出るとあるが(6段落)、その理

由は選択肢のように、子供というものが未熟な存在だと考えているからではなく、本文で何度もくり返されてい

たように(=講義で説明した【オタクの法則】を思い出そう!)、ヨーロッパでは「公」と「私」がするどく峻

別され、(家の外は基本的にすべて「公」という感覚を持ちつつ)「公」の世界のルールを重んじているからであ

る(7段落、9段落)。

2「国家のために個人が抑圧された時代を経験した」は、10段落に「戦前の国家主義」とあり、またその反動で

「公」よりも「私」を尊重する風潮になったことが説明されている。またそれに続いて選択肢の後半は11段落

の説明とそのまま合致する。

3ヨーロッパに紛争が多かったことが、個人主義傾向を生んだとあるが、3段落にあるようにヨーロッパで「激

しい国家間抗争」があった歴史が生み出したのは、逆に「国家意識や地方意識」である。「個人主義的傾向」で

はない。

4先に述べたように前半情報で×(講義で述べたとおり)。

5 7段落にあるように、一人前の「個人」として認めてもらえる条件は「公」の世界のルールに反しないこと

であって、選択肢のように「家庭のルール」を守ることは条件ではない。

 

以上、お疲れさんでした!! 青木の講義情報はこちらをチェック!! → 青木の講義はココで受けられる!!

ついでにテレビにも出てます・・・「今しょ!」の人ほどではありませんが(笑) 一部紹介→ TV

2015第1学期『現代文基本マスター』第1講内田義彦「資本論の世界」要約

【要約】

人間は労働そのものを常に嫌っているわけではないことは、子供を観察すれば理解できる。彼らは目的を定立し、その目的にあった道具を作り、またその目的に合うように、自分の身体なり神経なりを操縦している。そうすることで彼らは自分自身を生産しているのだ。しかしこの一連の過程が、子供自身から離れ、他人の命令によってなされる時、子供は労働を嫌いになる。こうして労働は非効用になり、楽しみの対象ではなく嫌悪の対象となる。

2015第1学期『センター現代文』第1講河合隼雄「イメージの心理学」要約&復習問題

【要約】

自然科学の知は、人間と対象を切り離すことで得られた普遍的な知ではあるが、世界と自分との関わりをそれで説明することはできない。それは、科学の知が最初から主体を抜きにして得た客観的な知であるからである。それに対して神話の知は、人間に、それらの関わりに宇宙論的意味を見出させ、非合理ながら彼らの生活に気品をもたらすものである。現代人は、自らの貧しい生き方から脱却するためにも、自分にふさわしいコスモロジーを作り上げるべく各人が努力しなければならないが、そのためには自分の無意識の神話産生機能を働かせる一助として、古来からある神話や昔話を「非科学的」「非合理的」ということで簡単に排斥することなく、その価値を見直してみることが必要である。

 

【復習問題】本文54行目「知りすぎている」とあるが、何を知りすぎているのか、次の①~⑤の中から適切なものを選べ。(㊟解答は最下段ースクロールして下さい)

①古来からの神話や昔話

②自然科学の知

③神話や昔話が「非科学的」で「非合理的」なこと

④自分の存在価値を見出すために「神話」が必要なこと

⑤自然科学の知が万能であること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】③

㊟②だとわれわれが「自然科学の知」について「知りすぎている」から、インディアンのコスモロジーをそのままいただくことはできない-となってしまう。

それの何がいけないのか。

われわれがインディアンのコスモロジーをいただくことができないのは、「自然科学の知」を知りすぎているからではなく、「自然科学の知」を持っているせいでインディアンのような「信仰」を持てないことが理由である。

第1段落に「環境について多くのことを知り」とあり、またその後に「自然科学の知が大きい役割を果たす」とある。つまりここからも「多くのこと」とは「自然科学の知」そのものではなく、「自然科学の知」のおかげで知り得た環境についての「多くのこと」ということになる。

ということは、近代人が環境について「多くのこと」を知っているというのは、言い方を換えれば『インディアンの「信仰」の元になっている「環境に対する説明」が、科学的には間違ったものであることを知っている』ということである。

2014/2015冬期直前講習会『青木邦容の現代文頻出テーマ解法総チェック』田中克彦「ことばとは何か 言語という冒険」配点と要約

【配点&正解】☆サテライン講座で配点を言うのを忘れました<(_ _)>申し訳ないです(;゜ロ゜)ちなみに合格点は50点満点中35点です。

《問1》

Ⅰエ Ⅱイ Ⅲア (各2点)

《問2》

a ア b エ c ウ d イ (各2点)

《問3》

オ (5点)

《問4》

イ (5点)

《問5》

ウ (7点)

《問6》

ア (5点)

《問7》

イ ウ (各7点)

 

【本文のポイントと要約】

まず本文の《ポイント》が、【青木方式⑩】で抽出できたかどうか確認してみよう!!

《ポイント①》(13行目)言語は、それを話す人間なしには自立した存在としてはあり得ない点である。

《ポイント②》(24~26行目)しかし言語の場合は、そこにそれを話す人間がいなければ生まれもせず、存在もしなかったことは明らかだ。そして、言語を話す人間には、そこに複数の話し手からなる言語の共同体があるというのが前提条件である。

《ポイント③》(29~31行目)すでに述べたように、そもそもそれは、言語の存在の場であり、言語を支える場であり、それなくしては言語を研究することさえできないのである。

《ポイント④》(54~56行目)方言や民族語が堂々たる風貌をもって現れるためには、それを母語とする言語共同体が、国家あるいはそれに準ずる政治体として昇格することが前提であって、そのためには、これらの言語は「文章語」になっていなければならない。

(補足)民族語が「国語」(という言語)にランクアップするには、やはり言語共同体自身も国家あるいはそれに準ずる政治体にランクアップしないといけない=言語と言語共同体はワンセット!さらに「文章語」を持つというのは、単なるコミュニケーションの言葉=母語ではなく、国を形作るために必要な言語であり、これがあるということは言語が他言語とは異なる「客体」として扱われていることであり、またそのようなものがあるからこそ独自の教育などが行われる。

☆(ポイント①~④をまとめると・・・)言語は、それを話す人間とその共同体を必要とし、またその言語が国語あるいは準国語であるためには、その共同体も国家や準国家に昇格することが必要とされる。

《ポイント④》(14~15行目)言語学は、言語それじたいを、まるで自立したものであるかのような存在として扱ってきた。まるで話す人間などいなくても、存在したかのように。」

《ポイント⑤》(31~33行目)ひとたび、そこから言語をとり出してしまえば、あとは用のない、むしろ言語そのものの研究にはじゃまものとして捨て去られ、視野からとり除かれる」

☆(ポイント④⑤をまとめると・・・)言語学は、言語それじたいを自立した存在として、それを話す人間とその共同体を視野から外した。

《ポイント⑥》(39~41行目)十九世紀ヨーロッパ~国語を創出した。

《ポイント⑦》(44~46行目)これらの言語はもちろん、十九世紀になって忽然と現れたのではなく、それにさかのぼる数世紀を通じて育てられていたものが、それぞれの民族・政治状況によって、一挙に躍り出たのである。

《ポイント⑧》この、「言語の増大」は、もっと正確に言えば、かくれていた方言や民族語が、堂々と世界に知られ、尊重される「国語」あるいはそれに準ずる「準国語」として姿を現わしたということにほかならない。

☆(ポイント⑥~⑧をまとめると・・・)十九世紀から二十世紀にかけてヨーロッパでは、民族独立が相次ぎ、それに伴ってそれぞれの国が、母語に基づく国語あるいは準国出するという「言語の増大」が起こった。

 

☆各ポイントのまとめをさらにひとつに【まとめる】=【要約】

言語は、それを話す人間の意識や言語共同体なくしては存在しない。しかし言語学はそれらを視野から外し、言語じたいを自立したものとして扱った。ところが近代の民族独立に際して母語が国語となる状況が生じたことで、言語学も言語共同体を考えに入れなくてはならなくなった。それは、方言や民族語が「国語」や「準国語」になるには、それらを母語とする言語共同体の国家やそれに準ずる政治体への昇格が前提だったからである。

2014/2015冬期直前講習会『青木邦容の現代文頻出テーマ解法総チェック』見田宗介「現代社会の理論」記述解答補足

【問3】

貨幣をはじめから必要としていない世界を「所得」の量で「貧困」と定義しているから。

【問6】

南も北も貨幣への疎外と貨幣からの疎外を貧困の原因とするが、後者は、〈必要〉のラインを定義する貨幣の数量が巨大である。

2014/2015冬期直前講習会『青木邦容の現代文頻出テーマ解法総チェック』室井尚「哲学問題としてのテクノロジー」記述解答補足

【問4】

人間が主体である「道具」の時代の一般的な理論認識が、「機械」の登場に伴い、物理学や数学を中心とする科学的知識システムに取って代わられ、「装置」の登場後は、情報系・認知科学系中心のそれへと変化した。

2014/2015冬期直前講習会『青木邦容のセンター現代文直前総整理』マッハチェック!!

【第1問】大澤真幸『電子メディア論』

問1 【青木方式㉕】でどんどんマーク!!

問2 傍線部Aを【青木方式㉒】でスルー⇒17~18行目「ともあれ~示しているだろう」に到達⇒③⑤にしぼられる⇒25~26行目「この研究~教えてくれる」に到達⇒⑤の「感受性をむしばまれ」は明らかにアウト⇒愛国心が高揚しているのだから感受性がむしばまれていることはない。

問3 傍線部B分析「宇宙戦争に挿入された臨時ニュースが事実として受け取られたことは、荘子の『胡蝶の夢』を想起させる」⇒理由を考えてみる⇒想起させるのは「似ているから」⇒どこが似ているのか⇒37~40行目「目下のわれわれの~ことからくる」⇒図A参照

無題

ここから【青木方式㉒】あるいは【青木方式㉞】でコアを取る⇒「夢(虚構)の中の夢(虚構)が現実に思われている」⇒⑤

問4 【青木方式㉗】で一文に⇒一文の中の「キャントリルの事例が示唆している」に注目すると、ここが問3で見た内容と同じことを言っていることが分かる⇒「偶有的な他者として機能する」がわからない場合⇒【青木方式㉒】から49行目の「この根本的に偶有的な他者」に注目し、その前後の内容から推測するor46行目の「一瞬露呈しかかった偶有的な出来事」もヒント⇒一瞬露呈「しかかった」ということは、結局は露呈しなかったということ⇒一瞬現実だと思われた臨時ニュースは、実はそうではないと(結局は)認識されたーという構造から「偶有的」とは、火星人侵入のニュースのように、現実的ではない情報を流す可能性があるにも関わらず、人々は(キャントリルの例で見たように)それに気付かないということ⇒ところがその点を隠蔽しているので⇒現実の一貫性が保たれているのだ⇒このアウトライン(【青木方式㉞】)に合うのは①しかない。

問5 難問は【青木方式㉟】で先に選択肢の構造や内容をチェック⇒火星人襲来のニュースの例とケイト・スミスの例が「結び付けて」(71行目)考えられる、その内容を説明すれば良いことがわかる⇒55~61行目当たりが傍線部対応ということがわかる⇒ケイト・スミスが「ごく平凡な人」という思い込み⇒彼女と対話している錯覚⇒ケイトの献身は、他の聴取者達の献身への想像につながり、その結果「自分も国債を買わねば」という考えを持つようになる⇒ケイト・スミスという「超越的他者」(送り手)の「偶有性」(嘘)が隠蔽=欠落しているゆえにケイトは「普通の他者」と思われた⇒これは臨時ニュースの「虚構性」が隠蔽されて真実だと思われた構造と同じだ⇒ここから③が選べる。

 

問6 【青木方式㊳】から始まり方、終わり方が対応しているのは①しかない。

【この問題から学んだ教訓!!】

①時間制限を守ろう!!つまりいつも通りやれ!!

②読解手順を守ろう!!本番だけ特別なことをするな!!

③【青木方式⑩】と【青木方式㉒】を常に意識せよ!!その場で解けなくても焦るな!!

④一文で考え、同じ内容のものを探すか、因果関係が前後にないか常にチェック!!

⑤傍線部の直後に指示語があれば、すかさずその下に続く内容をチェック!!(【青木方式㉘】)

⑥コアやアウトラインがイメージできない設問は、どこからヒントを得れば良いか、先に【青木方式㉟】 で選択肢をチェック!!

⑦それでもヒントが得られない場合は、【青木方式⑩】及び【青木方式㉒】でチェックした、他の箇所や他の設問から「今、何の話を、筆者は重視しているのか」から選択肢を絞り込む!!ダメな選択肢は【青木方式㊱】で消去していく!!

 

【第3問】脇 明子『魔法ファンタジーの世界』

問1 【青木方式㉕】でどんどんマーク!!

問2 傍線部Aを【青木方式㉗】で一文にして考えるとー「本を読む」ということの意味を考えるために「そんなことをやってみた」結果が傍線部Aだとわかる(【青木方式㉙】因果関係パターン)⇒「そんなこと」とは「時間をかけて物語の世界を体感しようと試み」ること⇒つまり今まではそういう読み方はしていなかった⇒コアの一つ⇒これまでは「筋を追う」だけの読み方⇒コアの一つ⇒傍線部を一文にして考えると、その一文が17行目「それに加えて、今回気がついた~ありがたさだ」の箇所につながることがわかる(【青木方式㉒】)⇒ありがたいと思うから、今までそういう体感をしてこない読み方をしていたことにもったいなさを感じているわけだ⇒これらのコアを持っているのは④だけ。

問3 傍線部Bはも一文で考える⇒アニメやゲームの領域からは、「宇宙の中で拘束を受けながら生きている人間の条件」について考えさせられる内容が欠落している⇒またその一文の直後に【青木方式㉘】適用の指示語があるので、その下をチェック⇒「社会全体の病理」に着目⇒これらを【青木方式㉒】でつなげる⇒56行目「殺傷場面やグロテスクな場面も比較的平然と読んでいられる」62~63行目「読者もまた無神経になるか~ないのだ」64~65「それらが『具体性の世界』から遊離してしまおうとしているからだ」=(特に5段落にあったようなことにはならず=五感が使えず、現実の世界への愛着もわかない)⇒①が合致する⇒③はよさげだが「ただひたすら人間がそこで楽しみを得られるような工夫が盛り込まれている」が、56行目「殺傷場面やグロテスクな場面も比較的平然と読んでいられる」に合わない。

問4 傍線部Cで問われている「つながり」は、【青木方式㉒】から69~72行目「神話が~ないだろうか」を読めばわかる⇒要は魔法などで一時的に外れても、死などの「人間の受けている拘束」を結局は受け入れなければならないという例を選べば良い⇒④しかない⇒死神との約束で自分の死のタイミングを知るという「魔法のような」力を授かったが、結局は不摂生がたたり死んでしまうという話が、まさにぴったり。

 

問5 傍線部Dを【青木方式㉒】でつなげると、79~80行目「あらためて~ないだろうか」に注目できる⇒⑤しかない。

 

問6 (ⅰ)【青木方式㊳】から① (ⅱ)②