【要約】
正岡子規の写生をめぐる、外界の事物を素直に「ありのまま」に「詠み込む」という考え方、つまり外界の事物は、ただそれらを名指すだけで簡単に詩の中に取り込めるという見方は、文学一般、ことに詩に見られることばの働きについて大きな誤解を招く可能性がある。これは、ものの名前を詩人がいくつか呼び出すことで、ただちに詩の中に現実の一部を再現でき、その光景がおのずと「観る者」の心を動かすというものだが、本当は、そこにそうした効果を挙げるようにことばを選び、組み合わせる詩人の能力がなければ、それは不可能である。何度も使い古された表現に人々は意識を向けることはなく、そうした描写はただの符丁以上のものではないために、表現自体が読者の目に入らないだけでなく、描かれた対象も見えなくなる。そうならないためには従来の慣習やきまりを破るような表現が必要な点で、普遍的なリアリズム固有の描写表現や、その定式はない。結局は、斬新な工夫を凝らした「思いがけない語」こそが、読者の目に対象をまざまざと浮かび上がらせるのであって、対象に対する言語による描写の「客観性」の尺度から写実を語ることはできない。子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」の句が、「写生句」としてリアルに響くのは、永久不変の写実の原則に従っているからではなく、花を詠む際の伝統的な約束をあっさり無視しているからである。
【問1】
イ 固執 ウ 瞬時 エ 固有 オ 斬新 カ 異彩
【問3】
ものにはそれぞれ決まった名前があるので、外界の事物を名指せば、「ありのままの事物をありのままに」リアルに再現できる。
【問5】 子規の鶏頭の句は、写実の原則に従っていないからこそ、意表を突く表現になり、読者を刺激することで眼の前に鶏頭を何本もリアルに浮かび上がらせる点で高く評価できる。
【復習問題】次の文章の空欄①~⑤に当てはまる言葉を次の選択肢A~Oの中から選べ。(㊟解答は最下段)
短歌、俳句の世界は、明治20年代に至って近代化の動きが見られるようになる。そこでの革新者の筆頭は( ① )と言えよう。彼は、俳句では松尾芭蕉よりも( ② )を高く評価した。また和歌では( ③ )を尊重し、浪漫的な「明星」派に対抗して( ④ )的歌風を打ち立てた。長塚節(1879~1915 歌人、小説家。茨城県結城郡の豪農の家に生まれる。正岡子規の門下に入り、『馬酔木』『アララギ』に多数の短歌を発表した。30代前半に東京朝日新聞に連載した小説「土」は日本の農民文学を確立した作品といわれる。結核のために37歳の若さで夭逝)、( ⑤ )らはその門下生であり、ここに根岸派が結成された。
A 新感覚 B 万葉集 C 正岡子規 D 川端康成 E 小林一茶 F 河合曾良 G 伊藤左千夫 H 写生 I プロレタリア J横光利一 K小林多喜二 L西行 M与謝蕪村 N吉田兼好 O古今集
【解答】
① C② M③ B④ H ⑤G