2014第2学期『青木の現代文』第6講宮城谷昌光「他者が他者であること」要約&復習問題

【要約】(分かりづらい文章なので長めに書きました。自分で要約してみたものと比較して、類似した内容を本文から拾えているかどうか確認しましょう!!)

二十代の自分にとって、文学とは、無いことを書くことであり、有ることを書く歴史の対極にある行為であったので、そうした創作から遠くにある歴史は考察に値せず、また有ったという過去形を有るという現在形になおすだけの些細な冒険しかしない歴史小説を侮蔑していた。ことばの構築によって体現できる至上の美のかたちを目指している場合、歴史は雑音と雑色の混合体であるかぎり、文学より下位におかれなければならぬ形態だと考えていたが、ことばの純度を高める方法論を推し進めた結果、人間が小説の中で行動しなくなったことに気付いた。そうして30歳の手前になった時、小説の原理を問い直さねばならないと思った。5、6年は文体の模索を続けたが、生活は窮状を極めた。しかし、その時に感性と理性とで創作してきた自分に「悟性」が欠如していることに気付いた。それが欠如しているがために、全てが虚無に墜ちていくような文学形式しか創りえなかったことに気付いた自分は、同時に、他者がそれまでとは異なり理性ではなく悟性を備えてはじめて理解の糸口をみつけうる存在であり、そうでなければ全く無関係な存在であることにも気付いた。そういう他者の多くが、社会構造などによって無自覚に助けあって生きているという認識の有無は、どうやら歴史との接触から発しているようだ。歴史的事実が非凡でも何でもないものであり、歴史が歴史であるためには、常に創造が必要であるという自覚が生じた。悟性を備えてはじめて見えるという点で、他者が見えるということと歴史が見えることは恐らく同じであり、それによってはじめて自己が見える。おそらく文学の基本認識もそこにあり、その相関において文体を発展すべきであることを自分は三十七歳まで気付かなかった。問うて答えをえられないところから文学は発しているが、歴史を小説化する作業も同じ起点を持つ。人の存在に対する問いかけがなされて、はじめて小説と言える。また歴史は、逆説を常備し、しかも複成的である。歴史との接触なしに、現代を直視するだけでは、他人を理解出来ないように、そうした歴史に対する認識は得られない。

 

 

【復習問題】テキスト本文21行目、「そういう矛盾」とあるが、どういう矛盾か。80字以内で書け。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答例】

文学として、ことばの構築によって体現できる至上の美の形を目指すほど、人間は小説のなかで動かなくなり、かえって人を描くことを基本とする小説ではなくなったこと。