【要約】
十九世紀以降の日本では、漢文が公的に認知された素養であったが、多くの人々は、専門家になるためではなく、基礎学問として学んだ。つまり漢学は知的世界への入り口として機能したのである。そもそも中国古典文は、特定の地域の特定の階層の人々によって担われた書きことばとして始まり、その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき、高度なリテラシーによって社会に地位を占める階層、士人や士大夫が、その世界を支えたが、そうした漢籍に親しむ過程で、日本人の中にも士大夫の思考や感覚の型が形成されていった。日本における近世後期の漢文学習の担い手は士族階級だったが、彼らは士人意識に同化し、武を文に対立するものではなく、忠の現れと見なしていくことで、文、つまり行政能力が武に支えられているという意識を持つに至った。寛政以降の教化政策で、学問は士族が身を立てるために必須の要件となり、漢文学習という修身に始まる行為は、漢文が道理と天下を語る言葉としてある点で、治国・平天下、つまり統治への意識を士族やその子弟にもたらしたのである。
【問1】
(ア)棒読み ①窮乏 ②痛棒 ③膨張 ④無謀 ⑤存亡
(イ)占める ①浅薄 ②旋風 ③占拠 ④宣告 ⑤潜在
(ウ)軍功 ①拘泥 ②首肯 ③巧拙 ④功罪 ⑤生硬
(エ)容易 ①経緯 ②簡易 ③遺産 ④偉大 ⑤委細
(オ)契機 ①鶏口 ②啓発 ③契約 ④恩恵 ⑤警鐘
【復習問題】
本文37行目「思想でなく文学にしても、同じことが言えます」とあるが、何が「同じ」なのか。その説明としても最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。(㊟解答は最下段)
①無為自然を説いている点で、農民や商人に向けたものでは無いこと。
②高度なリテラシーが必要とされる点で、士人に向けたものであったこと。
③士人向けに書かれている点で、統治を学ぶために編纂されていたこと。
④特定の階層の人に向けたものである点で、特別な言葉が使用されていたこと。
⑤士人に向けの書き物である点で、古典世界のシステムを構築したこと。
【解答】②