【要約】
チェーザレ・パヴェーゼの日記からは、ひたすら自分の日記に読みふけっている作者の孤独な姿が浮かんでくるが、それは彼の日記が、ただ毎日つけられたものではなく、彼がそれを繰り返し読み、意見や抽象的思念を追加していたものだからである。こうした再読と記述の追加とは、日記を書くという行為の何か本質的な部分につながっている。なぜなら日記を《自己》を保存する容器と考えるなら、当然そこには保存したものを将来いつか取り出してくるという前提があるはずだからである。それはまさにパヴェーゼが日記に対して行った再読そのものである。しかし、記述の追加という点で、日記における自己の保存は、ジャムの保存とは異なる。というのは、ジャムは消費し尽くされればそこで保存の目的は達成されるが、日記の場合は、記述の追加という形で自己は増殖する。その点で日記は、蓄財や切手・昆虫などの収集に似ている。ただし日記において保存される《自己》は、収集や蓄財の対象とは異なり、他の財と交換されうる余地はないという点で手段の自己目的化が激しく進行する。こうした自己目的化、あるいは自己疎外は、実は近代社会に内在する性格の縮図にもなっている。というのも、自己の記録に拘泥する日記の向こう側に、美術館や博物館、あるいは古文書館などに見られるように、単純な消費の対象とはならない知識や財を記録し、保存し、永遠化することに多大なエネルギーを投じる、近代以降の社会に生きるわれわれに宿命的なフェティシズムが透けて見えてくるからだ。ところで日記は保存という行為の本質を何にもまして純粋に守り、いかなる現実の目的にも拘束されない点で、逆にある種の自由や解放を作者にもたらすとも言える。自己にまつわる記憶を喚起し、それに想像力に結び付けて、存在の感覚を確認することこそが、パヴェーゼのような日記作家の、何ものにも換えがたい楽しみであったに違いない。
【問1】
㋐根幹 ①関 ②幹 ③肝 ④勧 ⑤管
㋑購入 ①綱紀 ②巧拙 ③紅葉 ④購読 ⑤海溝
㋒堕 ①惰眠 ②無駄 ③蛇行 ④堕落 ⑤妥結
㋓倒錯 ①交錯 ②画策 ③添削 ④索引 ⑤圧搾
㋔依然 ①威力 ②安易 ③維持 ④依拠 ⑤経緯