【要約】
人類が目指してきたはずの豊かさは、それが達成されると逆に人が不幸になってしまうという逆説について、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になると説く。しかしこのように人類が豊かになったことを喜ぶことができないのは、社会の中で「好きなこと」をできるような余裕を獲得はしたが、その「好きなこと」は、決して「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなこと」ではないからだ。高度消費者社会という「ゆたかな社会」では、供給が需要に先行するどころか、供給側が需要を操作している。二〇世紀の資本主義の特徴の一つは、文化産業と呼ばれる領域の巨大化にあるが、それは大衆向けの作品を操作的に作り出して大量に消費させ利益を得る手法を確立した。そうした社会では、かつてカントが述べたような人間の主体性は期待できず、産業が、主体が何をどう受け取るのかを先取りし、予め受け取られ方の決められたものを主体に差し出している。つまり、豊かな社会の人々は、文化産業に「好きなこと」を与えてもらっているのだ。こうして暇を持て余し、しかも何が楽しいかも分からないた人々は、資本主義につけ込まれ、文化産業にお金と時間を、企業に都合の良いように使わされてしまう。こうした「労働者の暇の搾取」は資本主義を牽引する大きな力である。
【復習問題】
本文155行目に「ならば、どうしたらいいのだろうか?」と問いかけはあるが、それに対する筆者の答えは現れずに本文は終了している。筆者の言うように「暇が搾取」されないようにするには、どうすれば良いと本文の後で筆者は言うだろうか。本文を参考にして80字以内で書け。(㊟解答は最下段。)
【解答】
文化産業が提供する既成の楽しみや産業に都合の良い楽しみで暇を埋めるのではなく、自らの感性が真に求める楽しさや好きなことを主体的に求めることに暇を使うようにする。(80字)