【要約】
私たちは、己を己の身体から切り離し、内と外、心と体、主観と客観を分断しているが、こうしたデカルト的な考え方によって、純粋な内面性としての〈私〉が作り出された。一方でデカルトは、身体をただの自動機械と措定し、フーコーは、そうした身体が〈生産〉の効率化のために〈従順な身体〉として管理されると説いた。しかし、現在の消費社会では、この身体はむしろ〈消費〉のための身体になっている。現在では、身体はモードとファッションのコードによって解読される記号となり、消費される夥しいモノの流通過程に組み込まれているからだ。そうした身体は、たしかに私の身体なのだが、その中にデカルトの措定したような〈私〉は存在しない。〈私〉はかろうじて、身体の表層で織りなす意味作用によって表わされるのみである。このようにデカルトの近代的〈私〉が見られない身体は、単なる機械として管理され、記号として消費されるモノでしかない。
【復習問題】
本文4行目「本物の〈私〉」を言い換えるとしたら、本文中のどの表現が適切か。それを10字以内で抜き出せ。(㊟解答は最下段。)
【解答】
純粋な内面性