【Exercise-解答例】
身体は、自分だけではなく社会的サービスなどによっても育まれており、社会的存在としての公共性を持つと考えられる。自殺が個人の自由だとする背景には、身体の所有権が個人にのみあるとの考え方があるが、公共性の前には自己所有権は制限されるべきである。したがって自殺は反社会的行為であり、個人が自由にして良いものではない。
【Exercise-解答例】
身体は、自分だけではなく社会的サービスなどによっても育まれており、社会的存在としての公共性を持つと考えられる。自殺が個人の自由だとする背景には、身体の所有権が個人にのみあるとの考え方があるが、公共性の前には自己所有権は制限されるべきである。したがって自殺は反社会的行為であり、個人が自由にして良いものではない。
【要約】
実存主義者達は、過去と未来の明晰な峻別の上に立ち、〈現在〉という曖昧な時間を認めないことで、人間の選択の純粋性と自由は保証されていると考えた。しかし実際の私たちは、任意に切り分けができないひとつながりの濃密な現在に生きており、こうした充実した現在に生きている限り、主体的に行動を選択しようとすればするほど、私たちは、かえって自己抛棄に身を任せなければならない。もちろん自由な意志として環境と対峙することはできる。しかし、その自由意志と環境が向かい合う場所=時代は、選択することが出来ないという現実に直面する。
【問1】
(ア)任意 ①人情 ②避妊 ③解任 ④忍耐 ⑤認可
(イ)濃密 ①濃霧 ②納品 ③首脳 ④有能 ⑤農業
(ウ)絶対 ①体操 ②優待 ③連帯 ④怠慢 ⑤対立
(エ)疾走 ①湿地 ②疾風 ③失速 ④執筆 ⑤漆黒
(オ)逆説 ①雪辱 ②仮設 ③骨折 ④仮説 ⑤関節
【復習問題】
問題1 次の文章=要約の空欄に当てはまる表現をテキスト本文中から抜き出して書け。
問題2 空欄Xにあてはまる言葉を講義を思い出して書け。5字。
実存主義者たちは、選択の場所と選択の自由意志、つまり( 1 )と( 2 )とを切り分け、現在を二重の空白の時間とも言うべき、( 3 )と考えて、( 2 )を選び取ることができる人間の自由を保証した。しかし、( X )、つまり人間の肉体と精神を鮮やかに切り分けられるという考えが滑稽で非現実的であるように、自分の( 1 )と( 2 )を切り分ける考え方は、やはり楽天主義としか言いようがない。実際の私たちは、任意にそれらを切り分けることが不可能な、ひとつながりの濃密な現在に生きるしかなく、こうした現在に生きている限り、( 2 )に向けて行動を選択はできても、その行動を完結させるという結果は選ぶことができず、主体的に行動を選べば選ぶほど、かえって結果に対して、私たちは( 4 )の姿勢で臨まねばならない。もちろんそれは人間が環境や外的条件に逆らえない存在であるという意味ではなく、人間は自由意志を持って環境に対峙はできるが、そもそも自分が存在するその環境、あるいはその環境と巡り会う機会を前もって選ぶことは不可能なのである。
問題3 本文11~12行目《 》(《投げだされて、しかも企てるもの》《現在》)の表現効果を説明するものとして最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
①二つの《 》は、同じ表現があっても他の表現との差別化はかるという効果を持ち、意味的には人間や人間のあり方のメタファーになっている。
②二つの《 》は、強調の意味を持ち、他の同じような表現と比べて筆者が特に読者の注目を促す効果がある。
③二つの《 》は、同じ表現が他にも見られるものがあるが、《 》は、哲学的、形而上学的意味でその言葉を説明する際に使用している。
④二つの《 》は、同じような表現が他にも見られるが、《 》の付いたものは筆者の主張の前提を特に表す効果を持つ。
《解答》
問題1
1過去
2未来
3純粋な空白
4自己抛棄
問題2
心身二元論
問題3 ③
【要約】
言葉は、その本性上、一般的なものを固定的にしか表現できない。したがって純個別的、純瞬間的な「事象」の具体的全体をそのまま言葉で表現して伝えることは、どのように言葉を駆使しても不可能である。その点で、言葉は絵が事物を描写しうるほどには事物を描写することができず、音楽が感動を表現しうるようには感情を表現することはできない。言葉と表現したい事象とのギャップは不可避であり、それを切実に経験する人間は、しばしばミソロゴスになる。また人が、コミュニケーションを拒否している状態は、そのミソロゴスと言葉への不信が根深いことを指し示している。しかしこうした言葉と事象との距離と断絶への意識は、言葉に対応するもの、言葉が指し示そうと意図しているものへの注意と凝視を前提としている点で、そもそもそれらが不在ならば人はミソロゴスどころか、言葉を容易に信じ、それに没入する。その人は「ひとりよがりのピロロゴス」とでも呼ばれる存在である。特に、現代のような情報と宣伝の時代では、言葉の氾濫の中にあるわれわれは、その公共性と社会性が単なる名目に過ぎないものに、容易に実在の仮象を与えるのをそのまま見過ごしている。われわれは言葉に麻痺し、それがいかなる事実に対応するかを確かめようとしない。このような状況は、危険と悲惨をもたらす可能性があり、「ひとりよがりのピロロゴス」は、いつの時代でも特定の権力や特定の集団が宣伝する名目を信じて踊らされてきた。したがってわれわれはまず、この種のピロロゴスであることを断じて拒否しなくてはならない。しかしこれはミソロゴスになることとは異なる。ミソロゴスの心情は、言葉に関する真の認識の欠如から由来しており、人間としてあるべき最終的な立場でもない。言葉の限界と欠陥らしきものを早急に断定して言葉を責めるのではなく、まず言葉とは人間にとって何なのかを、もう少し見極める努力をしなくてはならない。
【問4】
言葉は、一般的なものを固定的にしか表現できないので、事象の純個別的な具体的全体を伝えられない。
【復習問題】
次の対立項のうち、本文46~47行目の現代社会の状況に関係するものを次の中からひとつ選べ。
①クローン ⇔ オリジナルと本物
②実存⇔実在と仮象
③ヴァーチャルリアリティ⇔リアリティ
④シミュレーション⇔モノとことば
⑤情報⇔経験と実践
【解答】④
【要約】
自然科学の知は、人間と対象を切り離すことで得られた普遍的な知ではあるが、世界と自分との関わりをそれで説明することはできない。それは、科学の知が最初から主体を抜きにして得た客観的な知であるからである。それに対して神話の知は、その関わりに宇宙論的意味を見出し、非合理ながら生活に気品をもたらすものである。現代人は、自らの貧しい生き方から脱却するためにも、自分にふさわしいコスモロジーを作り上げるべく各人が努力しなければならないが、そのためには自分の無意識の神話産生機能を働かせる一助として、古来からある神話や昔話を「非科学的」「非合理的」ということで簡単に排斥することなく、その価値を見直してみることが必要である。
【復習問題】本文54行目「知りすぎている」とあるが、何を知りすぎているのか、次の①~⑤の中から適切なものを選べ。(㊟解答は最下段)
①古来からの神話や昔話
②自然科学の知
③神話や昔話が「非科学的」で「非合理的」なこと
④自分の存在価値を見出すために「神話」が必要なこと
⑤自然科学の知が万能であること
【解答】③
㊟②だとわれわれが「自然科学の知」について「知りすぎている」から、インディアンのコスモロジーをそのままいただくことはできない-となってしまう。それの何がいけないのか。
われわれがインディアンのコスモロジーをいただくことができないのは、「自然科学の知」を知りすぎているからではなく、「自然科学の知」を持っているせいでインディアンのような「信仰」を持てないことが理由である。
第1段落に「環境について多くのことを知り」とあり、またその後に「自然科学の知が大きい役割を果たす」とある。つまりここからも「多くのこと」とは「自然科学の知」そのものではなく、「自然科学の知」のおかげで知り得た環境についての「多くのこと」ということになる。
ということは、近代人が環境について「多くのこと」を知っているというのは、言い方を換えれば『インディアンの「信仰」の元になっている「環境に対する説明」が、科学的には間違ったものであることを知っている』ということである。
【要約】
『広辞苑』と『ウエブスター』には、既に「視点」とその訳語である“point of view”の「視点」のずれを感じるが、前者が「ものを見る立場。観点」を重視しないのに比べて、後者は、その「立場」に重点を置いた定義になっており、その点で日英語の「視点」の用例が「視点が定まらぬ」と「全知視点」になっているのは、奇しくも洋の東西の視点の本質を言い当てている。明治以来、日本人は西欧の「目のつけどころ」を熱心に取り込んできたが、そもそも「ものを見る立場。観点」が曖昧な日本人が、そのような「目のつけどころ」(西欧的なアイデア)を自分のものにできると考えたのは性急であった。しかしそれは日本文化が劣っているというわけでは無い。例えばそれは、大和言葉に制約されたものの見方が、遠近法の言葉を持つ西洋のそれと異なっているだけである。日本語や、それが反映した日本絵画は、西洋のそれらと異なり、現実と等価の表現を志向していない。
【問5】
西欧の価値観が必ずしも日本文化に当てはまるとは限らないから。
(別解)西欧の価値基準が、日本を評価できる普遍的なものではないから。
【問6】
対象に自己の感情を投影せずに、対象を客観的に捉えようとする、ものを見る立場。
【復習問題】テキスト61行目「外界のものを外界のものとして表出する絵画の言葉」が制約する物の見方(立場)を端的に説明した箇所を、20字以内で抜き出せ(括弧なども一字と数える)。(㊟解答は最下段)
【解答】
「平行線が一点に交わる点」を見る立場(22~23行目)
【EX】AIDなど、生殖補助医療で生まれてきた人たちの「出自を知る権利」を認めたと仮定して、もし実際に「告知」する場合、何が必要だろうか(何に配慮すべきだろうか)。
【解答例】ガン告知同様に、告知の目的がはっきりしていることや、患者・家族に受容能力のあることを前提とした確認が必要であろう。また告知には、医師及びその他の医療従事者と患者・家族の信頼関係が必須であり、告知後の患者の精神的ケア、支援ができることという条件を満たすべきである。
【要約】
楽しい旅、充実した旅ととんと縁の無い「ぼく」が、その乏しい経験から得た教訓の第一は、「ふだんと違うことをすればひどい目にあう」という、何ともありふれたことであった。その教訓は、旅行中に親しくなった新婚夫婦からもらった懐用の変なかたちの財布を、普段は鞄の中にしまっておいたのに、いよいよドイツでの新生活が始まるという際に、それを使ったことがきっかけで生まれたものである。ふだんと違うことをしたせいでその財布をホテルに忘れてしまったのである。これに懲りて、それから二年間はふだんと違うことをしないことに努めて、平穏な日々を送れたのだが、一度だけ「ふだんどおりした」ためにひどい目にあった。ボッフムという都市で、日本でと同じく、自分の前にある信号ではなく、目の前を走る自動車のその延長線上にある信号を頼りに横断歩道を渡ろうとしたために、右折専用の信号を見てカーブしてきたバイクを転倒させてしまったのだ。明らかな「ぼく」の信号無視ということで、バイクの修理費を払うという痛い出費をさせられた挙げ句、その被害者の自宅へ招待されるという奇妙なおまけまで付いた。これに非常に懲りて「ふだんと違うことをするのがよいこと」を海外生活の第二の教訓にした。食事をはじめ、「郷に入れば郷に従う」を実践したのであるが、この教訓をいまのところ「ぼく」は変える気は無い。
【復習問題】(㊟解答は最下段)
本文最終行「妻によれば、ぼくはお金に縁がない、ただそれだけのことだそうだが」について。筆者の「妻」がこのように言ったのはなぜか。次の中からその説明として最も適当なものを選べ。
①筆者が普段とは異なることをしても、また普段と同じことをしても、そして地元の人に従うような普段とは違うことをする努力を続けていても、結局はお金に縁の無い生活をから抜け出せずにいるから。
②筆者が普段と違うことをしてひどい目にあい、また普段通りのことをしても、またひどい目にあったことで、地元の人に従うような、安上がりな旅行をするように心がけた結果、それが今のところはうまくいっているから。
③筆者が、普段と違うことをしてひどい目にあい、また普段通りのことをしても、またひどい目にあったという経験を経て、地元の人と一緒に料金が安い食事を食べられるような機会を持てるようになったから。
④筆者が、ふだんと違うことをしてひどい目に遭ったことをきっかけに、ふだんと違うことはしないようにしていたのに、それでも結局は多額のお金を無くしてしまうような不幸にあうことがこの後も続いたから。
⑤普段と違うことをしないように努めて、無事平穏な生活を送っていた矢先、バイクの事故の加害者になったことで、普段と違うことをするのがよいという教訓を得て、安い旅行ができるような知恵を筆者が身につけたから。
【解答】②
【問3】ある種の合意に基づいた、行動一般にわたる、ある種の共通性が、自覚的、あるいは無自覚的なある種の習慣として見られること。
(別解1)はっきりと申し合わせをしないのに合意に達しているような、ある人間集団の生き方、生活の仕方に見られるある種の共通性。
(別解2)はっきりと申し合わせをしていないのに合意に達したルールに基づき行動するうちに、集団が、ある種の生活習慣において共通性を持つこと。
【問6】
ア 簡潔 イ 零細
【要約を確認する復習問題】
次の文章は本文の『要約』である。テキストを参照しながら空欄に当てはまる言葉を以下の選択肢の中から選び、『要約』を完成させよ。㊟解答は最下段。
記号論における《コード》ということばは、もとは書く材料としての板を意味する《コーデックス》ということばをその起源とするが、やがて《コーデックス》は、文字、書かれたものを意味するようになり、そして書かれている内容、書物、書き物一般をも指すようになった。文字で書かれたものは立派に見えるということから、コーデックスの子孫である《コード》は、法律、規則という意味を持つようになったが、《コード》が単なる規則や法則と違うのは、それが( A )されておらず、また文化的な現象の法則性のようなものまで指す点である。ここで言う文化は、ある人間集団の共通した生き方、生活の仕方のことを指すが、そこにはその集団だけに通用する( B )のようなもの、つまり《コード》が生じる。その点で文化とはコード的な現象であると言える。人間が自覚、無自覚を問わず、文化を共有出来るのは、言語という《コード》のおかげである。
①抽象化 ②普遍化 ③明文化 ④認識 ⑤ルール ⑥非文化的 ⑦文化の概念 ⑧コード的現象 ⑨理解
⑩シンボル
【復習問題(問2に登場した語彙確認)】
①特許権は( X )な強い権利であるから、この権利が有効に活用されるには、あるものの特許を他が侵害した場合、その使用を強制的に有無を言わさず停止させることができる。
上記の( X )には、「自分に関わるもの以外のものを退ける」という意味の言葉が入る。どういう言葉を補えば良いか。テキスト問2(16㌻)の選択肢を参考に答えよ。
②我々は、本質的には連続する世界を、言葉によって( Y )的に「分節」(分類)している。
上記の( Y )には、「気ままで自分勝手なさま、論理的な必然性 がなく、思うままにふるまうさま」という意味の言葉が入る。どういう言葉を補えば良いか。テキスト問2(16㌻)の選択肢を参考に答えよ。
【解答】
【要約を確認する復習問題】
A③
B⑤
【復習問題】
①X 排他的
②Y 恣意
【要約】
開発途上国の文化汚染状況だけでなく、先進国の文化爛熟と病弊の進行を見るにつけても、今こそ文化とか文明と言われるものが、人間にとって何なのかということを本気で考える必要性がある。そのためには社会進化と文化の不可分な関係を、動物社会における具体的な文化現象の把握によって、明らかにしていかなければならない。そもそも文化とは、善と悪の両面を兼ね揃えたものであるが、動物世界は、善という全肯定の世界である。そこから悪は、文化という培地によって人間が創造したものであることがわかる。人間は、霊長類の頃から、他の哺乳類にはない、独自の特性を持っていたが、これは捕食圧をほとんど受けない恵まれた環境の中で進化してきたことによるものである。食物連鎖という生態学的法則の拘束を受けないために、霊長類は人口の自己調整や攻撃性の抑制機構を独自な方式で編み出す必要に迫られた。つまり、自分たちの世界に食う食われる関係を作り上げたのだが、それは同時に元来第一次消費者として草食獣である霊長類が、同時に肉食獣的性質を内包することになったことを意味する。そしてこれは人類においては、その草食獣的性質が善の範疇に入る特性になり、肉食獣的性質が悪の範疇に入る行動を創造することになったのである。
【問3】
(a)摂取 (b)病弊 (c)分岐
【問7】
(解答例1)自然的存在からはみだしてしまったから。
(解答例2)生物なのに自然的存在から外れているから。
【問10】
(解答例1)食う食われる関係を作り、草食獣的性質と共に肉食獣的性質を内包する二面性を持った。
(解答例2)人間の善にあたる草食獣的性質と悪にあたる肉食獣的性質という二面性を持った。
【復習問題】この文章を一言で述べると、次のどの内容が最も適当か。一つ選べ。(㊟解答は最下段)
➀捕食圧を受けなかった哺乳類の突然変異
➁霊長類の肉食獣的性質と草食獣的性質
➂人間の創造した文化の悪の側面の源流
➃文化と文明の爛熟期から見える人間の未来
➄人間の計り知れない闘争性と権勢欲とその本質
【解答】➂
9月1日より第2学期が始まり、受講生の皆さんに当サイトを利用した学習を勧めておりますが、2日未明よりGoogleやYahooなどの検索エンジンを使用して「青木邦容」「don-aokione.com」と入力しても、当サイトが検索結果に反映されないという不具合が長期にわたり生じていました。
また9月2日以降、各校舎で講義しました『現代文読解』第1講の復習問題等のページがサイトに反映されないという不具合も同時に生じてしまいました。
早急に改善策を講じた結果、当サイトが検索結果に反映されるようになり、また「メディアと最新情報」も更新できるようになりました。
この度は、生徒の皆さんや関係者各位に御迷惑をお掛けしましたことをここにお詫び申し上げます。