2014第1学期『現代文読解』第11講山崎正和「近代の擁護」復習問題&要約&漢字解答&記述解答

【要約】

近代では、多くの人々が自分の内側に自我を発見し、また自分を世界の中心として自覚し、世界と対峙する誇り高い存在として感じ始めた。それはすなわち自然を含む世界の全てを認識する主体であり、自分自身を支配し、世界を変革していく意志の中心になったということである。またそれは政治的には自由主義の根拠、哲学的には人間中心主義の支えとなったが、こうした自我は自由な反面、絶えず存在の孤独にさいなまれる存在であり、それは、人間関係だけでなく、長い時間の中で、自分の人生が大きな生命の一部であるという実感を失うことによるものであった。人間はこうした不安から、何らかの生命の永続性のイメージを求め始める。それが自然への従属につながり、人間は自らの身に迫る現実の危険無しに、イメージとして生命への脅威を見るとき、そこに崇高美を感じ、ひざまずくのである。

 

 

【問1】

ア 周知 イ 業績 ウ 対峙 エ 嫌悪

 

 

【問4】

自分の人生がより大きな生命の一部だという実感を失うことで感じる、永続する生命の鎖という、種族維持によって支えられる生物学的な生命から見捨てられたという不安。

 

 

【問5】

自我中心に世界を変革しようとする考えが、種族維持によって支えられる生物学的な「生命」から見捨てられた「不安」を生んだゆえに、かえって人間は、永続する生命の「象徴」を求め、自然を敬うようになった。

 

 

【復習問題】

テキスト本文7行目、「業績本位の社会」とはどのような社会か。次の1~5の説明のうち、適切でないものを一つ選べ。(㊟解答は最下段)

  1. 宗教的共同体が自己を拡張する機会を提供するわけではない社会。
  2. 獲得した自由が、人生の成功を保証するわけではない社会。
  3. 家柄によって、就く仕事が決定されているわけではない社会。
  4. 生まれた村や家が、安定した人生を保証するわけではない社会。
  5. もっぱら業績に頼ることが生存の危機をもたらすわけではない社会。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】5

2014第1学期『センター現代文』第11講(問題番号は10)竹田青嗣『陽水の快楽』要約&漢字解答&復習問題

【要約】

井上陽水の「あこがれ」は、ロマン的世界の崩壊あるいは喪失といった定型に属する歌だが、それが〈物語〉化された形で現れたアリスの歌と比較すると、何とも奇妙かつ絶妙な形で閉じられていることが分かる。アリスの歌は、たしかに青春というロマン的世界の喪失がモチーフだが、そこで歌われている情感の定型は、実は自己哀惜と呼ぶべきものであり、それに対して陽水の「あこがれ」は、ロマン的世界を通過した者が、その世界を対象化し、それが幻想であったことを自覚する内容を含んでいる。これはサント・ヴーヴのディスクールに見られるロマン的世界の挫折という〈物語〉的定型だが、陽水の「あこがれ」は、さらに、「つい、あこがれてしまう」と歌うことで、たとえディスイリュージョンの自覚があっても、やはりそのロマン的世界に惹き付けられずにはいられないという心情の機微をゆるやかに編み上げている。

 

 

【問1】

(ア)  傑作 ①潔癖 ②血統 ③傑出 ④結審 ⑤欠損

(イ)  刻印 ①国宝 ②告示 ③酷使 ④彫刻 ⑤克服

(ウ)  色彩 ①際限 ②盆栽 ③採光 ④砕氷 ⑤多彩

(エ)  渇望 ①総括 ②枯渇 ③一括 ④円滑 ⑤活動

(オ)  貴重 ①珍重 ②記帳 ③潮流 ④山頂 ⑤調停

 

 

【復習問題】テキスト本文21行目「いかにも陽水的な響きを刻印されたものである」とあるが、「陽水的な響き」を言い換えたものとして適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ。(㊟解答は最下段)

 

①    大人にも子供にもあまりかわりなく、定型的でセンチメンタルな情動を醸し出すもの。

②    ディスイリュージョンの自覚を含んだ、ロマン的世界への心情の機微を歌ったもの。

③    一般に若い男女にとって「あこがれ」の対象であるものへの、大人からの貴重な解答。

④    距離を取りつつ魅力を感じる世界への心情を、定型とはやや異なる形で歌ったもの。

⑤    幻想は持ちつつ、惹きつけられるロマン的世界の真理を若者に語りたい欲望を歌ったもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】④

2014年6月27日金曜日京都校「代ゼミプレ夏期スペシャルセミナー」山田詠美「眠れる分度器」解答

今日やったパターンで考えると・・・

堤防を越えようとする時、その汗のしたたりは、[     ]になる筈だ。

となります。さて、【空欄に転換】した[     ]にはどんな表現が入るでしょうか。

2行手前に「そして、ある堤防まで辿り着いた時に、現在は、現在のためにだけ存在するようになるのを予感した」という表現があります。

傍線部分が[     ]の直前の「堤防を越えようとする時」と対応するのが分かりますか?

そこから[     ]に入る表現を推理します。

すると、さきほどの対応から堤防まで辿り着いた時」以降の「現在は、現在のためにだけ存在するようになる」の箇所が大きなヒントになるのが分かります。

「現在は、現在のためにだけ存在するようになる」とは、「現在」が「他の目的のために存在することをやめる」ということです。

ということは「現在」が存在するのは、その「現在」を生きるためだけだということでもあります。

つまり現在=目的となるわけです。

これに合うのは・・・➁ですね。

➀とか➂を選んだ人は「ヤバい」です。夏期講習会「青木邦容の現代文」(小説&評論解法集付属)を必ず受講しましょう。

2014第1学期『医系小論文』第10講【MEDICAL☆KING】 №6 EXと解答

【Q】「健康」を追求することについて、反論せよ。150~200字程度。ただし「たしかに」からはじめて逆接譲歩構文を使うことを必須とする。

【解答例】

 たしかに健康であることは、生活習慣病の予防、延いては際限なく膨らみつつある医療費の抑制のためにも各々が目指すべきものであろう。しかし、健康であることが義務とされたり、健康に対する統一的な見解が強制されたりする状況は受容しがたい。むしろ健康を意識せずにいられる状態こそが真の身体的・精神的・社会的に良好な状態と言えるのではないか。

2014第1学期『現代文読解』第10講(問題番号は9)内山節「挫折と危機のなかで」復習問題&(詳しい)要約&漢字解答

【要約】

アイルランド人を「貧しい」暮らしに甘じんているとして、彼らにお金を儲ける楽しさを教えなければならないと考えた経済学者ウィリアム・ペティの、民衆の精神の「変革」という発想は、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」や、トクヴィルの語ったアメリカの開拓民の精神と並んで、近代的世界の幕開けを準備したものである。伝統社会の労働は、楽しみや喜びと同意であったが、金儲けの楽しさを覚えた近代の労働は、単なる手段と化した。人間が金儲けの楽しさを覚えた社会では、このように「金儲け」のために生活する人々が生み出され、労働や生活それ自体が楽しみであった時代は去り、労働は単なる金儲けの手段になり、生活は疲れを取るための消費の場と化した。サブプライムローン問題にも象徴的に表れているが、現代社会ではすべてのものが市場の手段、道具にされて使い捨てられていく。これが金儲けの楽しみを覚えた社会の末路とも言える。伝統社会では生産と労働は一つのものだったが、近代的な労働では、それらは乖離している。その状況下では労働は剰余価値を作り出す手段でしかない。つまり人々は有用性を作り出すためではなく、単に賃金を得て生活するためだけに労働するのである。手段化された労働は必要なくなれば切り捨てられる。そこにはもはや伝統社会における労働に誇りを持ち、自分の労働が尊重されることを喜びとした精神は存在する余地はないのである。

 【問1】

 ア 中葉 イ 培 ウ 抹殺 エ 顕在

 

【復習問題】

講義を参考に(  )に入る語句を考えよ。五字以内。(解答は最下段)

生産物からの疎外が起こるのは、労働が自由な活動ではなく強制された苦役として無理やりやらされる(     )に陥っているからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

労働疎外

2014第1学期『センター現代文』第10 講(問題番号は9)馬場あき子『おんなの鬼』要約&漢字解答

【要約】

□芸能に登場する鬼は、血なまぐさい惨虐のイメージが強い一方で、その内側は抒情的な優しさや、人間的な懐かしさ、美しさなどに脆い、憧れの情を抱いている点で、女と内面的な近さを持ち、それ故に女は一瞬の飛躍によって鬼に変質をとげられる要素を内包しているとも言える。実際、『今昔物語』における母や、奥州黒塚の鬼の話における鬼女は、女から鬼への変貌を描いたドラマであり、そこには日常そのものの代表のような部分が、いつのまにか恐ろしいものに変質している怖さや、平凡な、という以上に誠実な一女性が、極限的な心情の混乱の果てに鬼へと変貌する、哀しくも美しい、女の激しいフラストレーションの爆発の姿が描かれており、またわれわれはそうした鬼への変貌の果敢な凄絶さに酔おうとさえする。また「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」という三橋鷹女の句からも、不幸な女性の、無私の人生の果てに、不意に自覚された激しい自我が、表現を求めつつ昇華してゆく一瞬のおそれといった精神を読み取ることができる。そうした古い女が鬼になっても遂げようとした激しい昇華の一瞬は、希薄化さえしはじめている現代の女性の自我からすると、魅力的なのではないかと思わせる。

 

【問1】

(ア)背信 ①廃物 ②配合 ③祝杯 ④勝敗 ⑤背景

(イ)特効 ①攻撃 ②購読 ③成功 ④時効 ⑤広大

(ウ)無私 ①初志 ②創始 ③私情 ④視野 ⑤風刺

(エ)怠惰 ①耐用 ②退屈 ③滞在 ④大勢 ⑤怠慢

(オ)拡散 ①画策 ②拡張 ③味覚 ④核心 ⑤品格

2014第1学期『青木邦容の現代文』第9講熊倉 千之「日本人の表現力と個性」要約と復習問題

【要約】

『広辞苑』と『ウエブスター』には、既に「視点」とその訳語である“point of view”の「視点」のずれを感じるが、前者が「ものを見る立場。観点」を重視しないのに比べて、後者は、その「立場」に重点を置いた定義になっており、その点で日英語の「視点」の用例が「視点が定まらぬ」と「全知視点」になっているのは、奇しくも洋の東西の視点の本質を言い当てている。明治以来、日本人は西欧の「目のつけどころ」を熱心に取り込んできたが、そもそも「ものを見る立場。観点」が曖昧な日本人が、そのような「目のつけどころ」(西欧的なアイデア)を自分のものにできると考えたのは性急であった。しかしそれは日本文化が劣っているというわけでは無い。例えばそれは、大和言葉に制約されたものの見方が、遠近法の言葉を持つ西洋のそれと異なっているだけである。日本語や、それが反映した日本絵画は、西洋のそれらと異なり、現実と等価の表現を志向していない。

 

 

【復習問題】テキスト61行目「外界のものを外界のものとして表出する絵画の言葉」が制約する物の見方(立場)を端的に説明した箇所を、20字以内で抜き出せ(括弧なども一字と数える)。(㊟解答は最下段)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

「平行線が一点に交わる点」を見る立場(22~23行目)

 

2014第1学期『現代文読解』第9講(問題番号は8)竹内整一「花びらは散る花は散らない」記述解答&復習問題&要約

【問6】

「みずから」の身辺の出来事を全てさらけ出せば、それで「おのずから」小説になるとして、その出来事の責任を負う主体である「私」が不在である文学。

 

 

【要約】

「則天去私」と「自己本位」ということの同時認識、同時成立に夏目漱石の文学の要点があるように思えるが、そこには「みずから」決断して為すことが、自然や天の「おのずから」にしたがうことだという考え方がある。自然主義文学では、私という「みずから」の身辺に起きたことを、「残る処なくさらけ出して」行けば、それで「おのずから」小説になるという発想があったが、そこには、誰も起きた出来事に責任を負う主体はいない。これは自己弁護、現実の無条件容認主義に堕しているといわざるをえないが、何より問題は、我々自身の中に、こういう発想があるがゆえに、こういう文学が書かれ読まれてきたことである。こうした発想には、「みずから」と「おのずから」の同一性・連続性が前提されており、それが「甘え」や「無責任の体系」として批判されてきたが、これは一方で「みずから」を超えた働きへの感受性が表明されているとも考えられる。幾多のすぐれた思想、思想の名に値する思想は、そのような感受性を研ぎ澄まし、日本の思想の陥りやすい傾向-単にそれを「甘え」や「無責任」と断じる思想傾向-を批判することで創出される。

 

 

 【復習問題】

次の説明文に当てはまる作家を、テキスト問5の選択肢の中から選べ。(解答は最下段)

①    (1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。

②    (1892-1927)東京生れ。東京帝大英文科卒。在学中から創作を始め、短編「鼻」が夏目漱石の激賞を受ける。その後今昔物語などから材を取った王朝もの「羅生門」「芋粥」「藪の中」、中国の説話によった童話「杜子春」などを次々と発表、大正文壇の寵児となる。西欧の短編小説の手法・様式を完全に身に付け、東西の文献資料に材を仰ぎながら、自身の主題を見事に小説化した傑作を多数発表。1925(大正14)年頃より体調がすぐれず、「唯ぼんやりした不安」のなか、薬物自殺。「歯車」「或阿呆の一生」などの遺稿が遺された。

③    (1862-1922)軍医・小説家・評論家。島根県生。名は林太郎。東大医学部卒。陸軍軍医としてドイツに留学、衛生学等を学ぶ傍ら文学・美術に親しむ。帰国後は公務の一方で評論・翻訳に力を注ぎ、また小説家としても活躍した。代表作に『舞姫』『山椒大夫』『高瀬舟』等がある。陸軍軍医総監・帝室博物館総長・帝国美術院院長。

④    (1906-1955) 昭和時代の小説家。明治39年10月20日生まれ。昭和6年「風博士」でみとめられる。戦後「堕落論」「白痴」などを発表。無頼派とよばれ,文明批評,歴史小説,探偵小説などの分野で活躍した。昭和30年2月17日死去。48歳。新潟県出身。東洋大卒。本名は炳五(へいご)。作品はほかに「吹雪物語」「日本文化私観」「不連続殺人事件」など。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

① ハ ②イ ③ホ ➃ロ

 

2014第1学期『青木邦容の現代文』第8講建畠晢「美術館のジレンマ」要約を兼ねた復習問題

【要約を利用した復習問題】

次の文章内にある空欄に当てはまる表現を以下の選択肢から選べ。(解答は最下段)

【要約】

 一般的には美術館=展覧会という印象が強いが、そもそも美術作品の本来のありように照らせば、展覧会という鑑賞形式は不自然という意味で不思議である。元来、美術作品というものは、その自立した価値を個別に鑑賞すべきものであって、展覧会のテーマに見られる、作品自体の“外”にある基準に則して鑑賞されなければならない謂われはないからだ。それどころかそうした鑑賞形式下では、自立した作品の鑑賞を妨げ、その自立性を脅かしかねない。美術館は、たしかに作品を時の権力や宗教への奉仕から解放し、“芸術のための芸術”の安住の地となったが、その鑑賞形式の( A )ゆえに作品の自立性を脅かすというジレンマを持っている。しかし、たとえ美術館を否定し、作品を外に出すという方法で作品の自立性を回復しようとしても、結局は作品を路頭に迷わせるか、企業なり行政なりの新たな権力にモニュメントとして奉仕させるようになるか、またあるいは永続的な作品でなくしてしまうなど、結局は( B )という同じジレンマに陥ることになる。そういう点では、ジレンマさえ気にしなければ、美術館は作品にとっては居心地の良い空間と言える。こうした矛盾した存在が美術館であり、それでも近代的な使命として作品を市民に公開するということを遂行しなければならないのが、美術館の不可避的宿命である。そうであるからこそ、美術館の学芸員は、展覧会が自らの思想の表明であることを自覚しなければならない。展覧会は鑑賞者に、一定の文脈で作品を鑑賞させ、また鑑賞者を( C )にするからである。これは観客が学芸員の目のフィルターを通してしか作品に接することができないということであり、そういう意味で学芸員は( D )を有する。この点でやはり、美術館は作品の自立性を脅かす存在から抜け出せない、深く矛盾した存在であるが、その解消しがたいジレンマの中に美術館の魅力の源泉がある。モダニズムを象徴するアポリアとも言える、この矛盾の重要性に気づき、( E )べきであろう。

【 問1】空欄A.C.Dに当てはまる語句をそれぞれ一つ次から選べ。

➀普遍性 ②権力 ③象徴 ④博識 ⑤特殊性 ⑥苦行 ⑦文脈 ⑧奉仕 ⑨世俗性 ⑩ジレンマ

【問2】空欄B.Eに当てはまる表現を次からそれぞれ一つ選べ。

➀作品の自立を脅かす 

②作品を路頭に迷わせる

③作品を王侯貴顕の館へ戻す

④作品の我が儘を許容する

⑤作品を世俗に奉仕させる

⑥学芸員の名前を冠して責任の所在を明らかにしたような展覧会がもっと開かれる

⑦学芸員がいかに権力者であるかという自覚を持ち、その力をふるわないようにする

⑧学芸員が美術館の中で行っていることが、いかに恣意的で偽善的かが分かるような展覧会の開催をもっとする

⑨学芸員の立場を、もっとニュートラルに近づける努力をともなった展覧会の企画を行う

⑩学芸員が、もっと鑑賞者に対しても作品に対しても中立的で謙虚な気持ちになれるような、自らの名前を冠した展覧会を企画する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

問1 A ⑤ C ④ D ②

問2 B ① E ⑥

2014年6月8日日曜日名古屋校「代ゼミプレ夏期スペシャルセミナー」山田詠美「眠れる分度器」解答

今日やったパターンで考えると・・・

堤防を越えようとする時、その汗のしたたりは、[     ]になる筈だ。

となります。さて、【空欄に転換】した[     ]にはどんな表現が入るでしょうか。

2行手前に「そして、ある堤防まで辿り着いた時に、現在は、現在のためにだけ存在するようになるのを予感した」という表現があります。

傍線部分が[     ]の直前の「堤防を越えようとする時」と対応するのが分かりますか?

そこから[     ]に入る表現を推理します。

すると、さきほどの対応から堤防まで辿り着いた時」以降の「現在は、現在のためにだけ存在するようになる」の箇所が大きなヒントになるのが分かります。

「現在は、現在のためにだけ存在するようになる」とは、「現在」が「他の目的のために存在することをやめる」ということです。

ということは「現在」が存在するのは、その「現在」を生きるためだけだということでもあります。

つまり現在=目的となるわけです。

これに合うのは・・・➁ですね。

➀とか➂を選んだ人は「ヤバい」です。夏期講習会「青木邦容の現代文」(小説&評論解法集付属)を必ず受講しましょう。