《要約》
〈語ー文法〉的なことば観には、ことばそのものの持つ第一次的、本質的な対話性に目を向ける視点がないために、ことばが身体と接続する土俵も見えてこないが、本来、ことばは現実の身体無しにはあり得ないものである。また一方でことばには、身体がその生身で直接に生きる世界とは別に、ことばがそれだけで独自に開く世界があり、「ことばの宇宙」と呼ばれている。ことばはこのように身体に根ざしながら身体を超えるものであるという両義をその本性とするものである。
《要約》
〈語ー文法〉的なことば観には、ことばそのものの持つ第一次的、本質的な対話性に目を向ける視点がないために、ことばが身体と接続する土俵も見えてこないが、本来、ことばは現実の身体無しにはあり得ないものである。また一方でことばには、身体がその生身で直接に生きる世界とは別に、ことばがそれだけで独自に開く世界があり、「ことばの宇宙」と呼ばれている。ことばはこのように身体に根ざしながら身体を超えるものであるという両義をその本性とするものである。