日本では、近代化を何よりも優先する特殊な状況下で、欧米以上に近代的価値至上主義の社会を作り上げた。そこにはヨーロッパの近代精神史に見られる、「科学的な知の恐怖」ともいうべきものが見受けられず、ただ科学的知性が絶対視され崇拝される状況だけがあった。また個の確立という思想にしても、それは自己肯定と他人への批判の方法として使われるのみで、ヨーロッパの思想史上に見られるような、自己反省の契機とはならなかった。つまり、戦後の日本の社会が作り出した精神の習慣は、ヨーロッパ近代が生み出した精神を近代化に必要な部分だけを都合良く摂取し日本的なものに作り変えることによって展開されていたわけである。そのように近代的価値至上主義の社会を作り出す過程で、西洋近代の思想を摂取する際に、思想というものは本来的にローカルなものであることを日本は忘れてしまい、その結果、日本的な近代思想を、普遍思想のように語る問題点をも生み出してしまった。