2013夏期講習会『センター現代文』第5講大岡信『抽象絵画への招待』漢字解答とイメージチャート

【イメージチャート】

絵の値段が「号いくら」という数値によって決められる習慣

⇒絵画を動かす大きな背後の力が、近代の新興ブルジョアジーの手に移って後のこと=虚飾屋で、鑑識眼においても自信を持たない新興ブルジョアジーが、お大名を歴史の背景に追いやり、台頭してきた後のこと⇒絵画を「号いくら」というように金銭的数量に還元するのは、合理的な方法であった⇒新興ブルジョアジーは活動家であり、移動し移転することを厭わない存在

⇒絵は備え付けの調度品ではなく「商品」となった⇒普遍的/合理的に見える値段の付け方が重宝された=画家はパトロンを失い、相対的独立を果たす=アルチストいなった。

「号いくら」の習慣と同時発生=「純粋主義」の思想⇒絵画的要素以外の一切の排除=画家を「色彩それ自身」「形態それ自身」の価値の探求へと向かわせる=19世紀末期激発

⇒ルネッサンス期には決して認められない画家=パトロンが存在していた社会は、絵の形態や法則性のみ関心を寄せるような画家を決して許容しなかったであろう

⇒「純粋主義」の画家=「色彩それ自身」「形態それ自身」の価値の探求に力を注ぐ

⇒「純粋主義」=号いくらの合理主義に代表される一種の数量主義を生む原因の一つでもあった=純粋にキャンバスの上に実現された色彩と形態によるイメージの世界が絵画の価値を決定するという思想の一般化・普遍化=キャンバスの上に実現されたもの以外には何一つ考慮する必要がない=キャンバスの大きさで、合理的に、その絵を完成させる労働力を尊重し、絵の価値を決めるということ=金銭的合理主義の普及につながる=芸術をただ「芸術」として尊重することが、かえって芸術を金銭的合理主義へと導いたという「逆説」

⇒絵画を見せかけだけの「大きさ」でその価値を計ろうとする思想は、現代絵画を退廃させる一因である=通俗合理主義ー純粋主義=表裏一体=相補関係=画家の関心を、キャンバスという、枠に囲まれた平面に過ぎないものの上へと集中させるように見える=画家は新奇な意匠を追いかける=絵画における商業主義(の広がり)=画家の中には「止むに止まれる内的必然」、つまり自分が真に表現したいと思うモチーフがないにも関わらずただ絵を売るために創作するだけの存在になるということ。

問1

(ア)新興 ①恒例 ②功   ③構築 ④復興 ⑤厚遇

(イ)重宝 ①果報 ②国宝 ③奉仕 ④途方 ⑤来訪

(ウ)覆   ①中腹 ②伏線 ③復元 ④福祉 ⑤覆水

(エ)投   ①投合 ②絶倒 ③統一 ④点灯 ⑤舞踏

(オ)稼   ①転嫁 ②不可解③美化 ④稼働 ⑤寡黙