消費者として実体としての商品そのものを比較できない資本主義社会では、広告を媒体として商品が比較されるが、そこに見られる客観的対応物を欠いた差異は、商品の価値に帰着しえない広告自身の価値を生み出す。この過剰なる差異性ゆえに企業は広告活動をするわけだが、その点で本来商品について語る媒介としての広告は、それ自体商品となっている。これは一般商品の価値の尺度である貨幣が、同時にそれらの商品同様に需要の対象となるという関係と同じであり、そこには形而上学的奇妙さが見られ、またそれへの驚きが、広告についての真の考察と差異性を持った言説を作り出す。