2013第1学期『青木邦容の現代文』第8講分 岩井克人『資本主義と「人間」』要約

フロイトによれば、人間の自己愛は過去に三度ほど大きな痛手を被ったという。つまり、人間は自らが中心であると思っていた世界から追放されたわけだ。しかし資本主義の歴史を振り返れば、もう一つの傷があることに気付く。「ヴェニスの商人」に象徴される商業資本主義は、あくまで差異が利潤を生み出すとしたが、現在進行中のポスト産業資本主義においても、差異そのものである情報を商品化して利潤を生み出している点で、同様の資本主義の原理が見られる。それどころか、経済学が、労働する主体である人間を利潤の源泉であると説いた産業資本主義においても、結局は労働生産性と実質賃金率との間の差異を媒介にして利潤を生み出していた点で、「ヴェニスの商人」は内在し続けていた。その意味で、資本主義の歴史において人間が富を創出する主体としてそこに存在することは一度もなかったことになる。これが四番目の傷の正体である。

2013第1学期『医系小論文』MEDICAL KING №5 解答例

【発想のイメージトレーニング】

①たしかに健康であることは、生活習慣病の予防、延いては際限なく膨らみつつある医療費の抑制のためにも各々が目指すべきものであろう。しかし、健康であることが義務とされたり、健康に対する統一的な見解が強制されたりする状況は受容しがたい。むしろ健康を意識せずにいられる状態こそが真の身体的・精神的・社会的に良好な状態と言えるのではないか。

②(訳)「健康」とは「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」

2013第1学期『青木邦容の現代文』第7講分 多木浩二『生きられた家』要約

《要約》

日本の家は、象徴的なしぐさによって意味の次元でその様相を変えている点で、実体としては希薄であっても意味に浸透されていると言える。この希薄化は、日本の家では空間と物の結びつきが全く一時的な現象で、物があらわれたり、消えたりするという性格に見られるが、それらの物は部屋に生じる出来事を変えるという意味で、機能性と象徴性を兼ねそろえている。日本の家は、そうした物の登場によって空間の意味が決定されるという意味で、出来事(使用)の空間であり、物にこころがあるという日本伝来の考え方も、こうした空間や場面全体を変える契機となる物の性格や物と生活の関係から生じてきたのであろう。

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