2015第1学期『センター現代文』第1講河合隼雄「イメージの心理学」要約&復習問題

【要約】

自然科学の知は、人間と対象を切り離すことで得られた普遍的な知ではあるが、世界と自分との関わりをそれで説明することはできない。それは、科学の知が最初から主体を抜きにして得た客観的な知であるからである。それに対して神話の知は、人間に、それらの関わりに宇宙論的意味を見出させ、非合理ながら彼らの生活に気品をもたらすものである。現代人は、自らの貧しい生き方から脱却するためにも、自分にふさわしいコスモロジーを作り上げるべく各人が努力しなければならないが、そのためには自分の無意識の神話産生機能を働かせる一助として、古来からある神話や昔話を「非科学的」「非合理的」ということで簡単に排斥することなく、その価値を見直してみることが必要である。

 

【復習問題】本文54行目「知りすぎている」とあるが、何を知りすぎているのか、次の①~⑤の中から適切なものを選べ。(㊟解答は最下段ースクロールして下さい)

①古来からの神話や昔話

②自然科学の知

③神話や昔話が「非科学的」で「非合理的」なこと

④自分の存在価値を見出すために「神話」が必要なこと

⑤自然科学の知が万能であること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】③

㊟②だとわれわれが「自然科学の知」について「知りすぎている」から、インディアンのコスモロジーをそのままいただくことはできない-となってしまう。

それの何がいけないのか。

われわれがインディアンのコスモロジーをいただくことができないのは、「自然科学の知」を知りすぎているからではなく、「自然科学の知」を持っているせいでインディアンのような「信仰」を持てないことが理由である。

第1段落に「環境について多くのことを知り」とあり、またその後に「自然科学の知が大きい役割を果たす」とある。つまりここからも「多くのこと」とは「自然科学の知」そのものではなく、「自然科学の知」のおかげで知り得た環境についての「多くのこと」ということになる。

ということは、近代人が環境について「多くのこと」を知っているというのは、言い方を換えれば『インディアンの「信仰」の元になっている「環境に対する説明」が、科学的には間違ったものであることを知っている』ということである。