2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第3講藤原辰史「『食べもの』という幻影」要約&記述解答例&復習問題

【要約】

食べものとは何かという問いに答えることは難しい。というのも、綺麗で、安全で、汚れがないだけではなく、過剰なパッケージや添加物、あるいは広告費を投入しているせいで生命を、あるいはその由来を抹消された食べものに慣れてしまった消費者が、本当は食べものは、叩いたり刻んだり炙ったりした生きものの死骸の塊であり、あるいはまた排泄物や吐瀉物と変わらないということを理解するのは困難だからである。私たち消費者は、「食べもの」という幻影を食べて生きている。その幻影には、食品は見た目が重要であるといった価値観や、そうした消費者の価値観を逆手にとった食品偽装や、あるいは食品加工に携わる人々への差別といった物語が含まれる。こうした幻影は捨てることは簡単にできないが、食品企業の作る物語に新しい物語を対抗させることは可能である。そのためには、生きものの命を奪う場所に、その亡骸を美味しく食べる場所を近接させるなどする、「食べること」の制度の再設計が必要である。そうすることでまた「生物のサイクル(循環する物語)のなかに生きる私たち」を確認するのである。「私」は飼っていた鯉を釣り上げ、祖父がそれをさばいて料理するという過程を眺め、圧倒された思い出があり、ある居酒屋で鯉の洗いを美味しく食べながら、鯉という「食べもの」の物語に、しばらく酔うことができたが、本当に心に残る「食べもの」は、その来歴が、食べる人を圧倒させるものなのである。

 

 【記述解答例】

《問3》

見た目の美しさや清潔さを求め、生命が奪われる過程を含む来歴を抹消された「食べもの」に慣れた我々は、食べものが、実際は料理された生きものの死骸の塊であることを理解するのは難しいから。

《問5》

現在は、分断されている生きものの命を奪う場所と、その亡骸を美味しく食べる場所を近づけ、生命が奪われていく過程に近接して生命が育っていく過程を体験できるようにした場所が、食べることの拠点となる社会を設計すること。

《問6》

小学生のころ、自分が可愛がっていた鯉を獲物として釣り、祖父に料理してもらって食べるという、生きものの命を奪って食べるという場所に居合わせた記憶。

 

 

【復習問題】本文33~34行目「食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられない」とあるが、この部分とほぼ同じ内容を述べている部分の最初の5文字と終わりの5文字を抜き出せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

他の生物を~りつけない(27~29行目)

2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第2講丸山真男「現代における態度決定」要約&復習問題

【要約】

私たちの認識は、私たちが無自覚の内に身につけた、社会に蓄積された色々なイメージを通したものである点で既に整理、選択されたものであり、さらに行動連関の中で実際に様々な現実の事象などと関わり合っているゆえに、常に一定の偏向を持たざるを得ない。むしろ社会事象に対しては、問題は偏向を持つか持たないかではなく、それを自覚し理性的にコントロールすることで客観性に到達しようと試みることであり、自らに偏向があることを否定することは、かえって自らの偏向の隠蔽や社会的責任の回避につながる。

 

 

【復習問題】

1行目で筆者は「私たちの認識は無からの認識ではありません」として、その例として私たちが「概念」を通して認識していると述べているが、「概念や定義」がそうした認識のための「引き出し」になるのはどうしてか。その理由を50字以内で述べよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

私たちが物事をそれとして認識するには、先に概念によって事象を分類し、定義づける必要性があるから。