2015第2学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第3講木岡伸夫「風景の中の時/時の中の風景」要約&復習問題

【要約】

年をとるにつれ、なぜ時の経つのが早く感じられ、しかも年をとった今、そのことが昔ほどは気にならないのはなぜか。そうした問題を考える際に「時間」を主題化することは、時間は言挙げされない仕方でしか経験されないという性格から、そのあり方そのものを変えてしまうことになる。したがって直接に時間を問うのではなく、時間がそれに即して現象する「記憶」や「風景」といったものを取り上げるしかない。集団の共有する物語としての風景は「原風景」と呼ぶべきもので、それは同時に時間的にして空間的なものである。したがって時間への問いと風景への問いは同じになる。その「原風景」は、かつてあるものが存在したことの記憶と、それが現に失われつつあるか、既に失われたという事実が結びつくことによって生じる点で、その失われゆくものとのつながりは、〈距離〉を生み出し、その距離が、風景の中の時の移ろいの早さとして実感される。しかし濃密な今の連続を生きる若者には、風景の中の時は常に現在に連続しているために、過去との間にそうした安定した距離を構成する余裕がない。その危機意識が時の経過が早まるという驚きを作りだしている。しかし年齢と共に、過去を瞬時に取り戻すことができるようになると、その危機が顕在化しなくなり、無常の感は薄れていく。それが年を取るにつれ、時の速さが気にならなくなる理由でもある。

 

《復習問題》

テキスト本文87行目の「距離」には〈 〉が付けられており、他の箇所の「距離」と意味を異にして用いられている。その意味の説明として最も適当なものを次の①~⑤のうちから選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

①哲学的風景論の構造を持っていることを意味する。

②距離が、時間的にして空間的であるということを意味する。

③現代人の原風景までの距離が遠いことを意味する。

④自らの生活の中の世界が風景であることを意味する。

⑤記憶の中で失われていくものへの愛惜を意味する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

⑤(ここでの「距離」は「離れを距ぐ」と説明されている。原風景が原風景足りうるのは、記憶の中でそのものとのつながりが生きており、それが失われていくことへの「もったいなさ」「惜しみ」が生じること(=離れを距ぐ)からであり、そういう心理から時間が経つのが速いという実感が生じる。)