(再アップ)2015第2学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第11講富山太佳夫「方法としての断片」要約&記述解答例&参考&復習問題(再アップ)

以前アップした分がシステムエラーでごっそり抜けてしまってました。直前期ですが、再アップしますのでまだ確認していない人は読んで下さい。

 

【要約】

世の中はパロディ時代のようだが、果たしてパロディとは何か。それは、読者を楽しませるという特徴の他に、何かのもじりであるという特徴を持つ。したがってそれの醸し出す笑いは原型とパロディとの間にあるズレということになるが、認識論的に面白いのは、そうであるにも関わらず眼の前にあるのはパロディだけという点である。また、パロディがそのようなものである以上、もとになるものが権威を持つ場合、我々はその権威を笑うことになる。それは諷刺的な笑いで常に攻撃的なものになる。時にはそのような毒をふくんだ笑いが弱者に向けられてしまうこともあるが、そもそもこうした性質を欠いたパロディが溢れた現代のパロディ狂乱の時代は、文化の成熟という点では良い時代とは思えない。現代の消費社会においては、パロディそのものがパロディの対象となり、商品として消費されてしまう。そういうパロディには文化の成熟をもたらすような、伝統を批判し、かつ継承する方法としてのラディカルな力を認めることはできない。

 

【参考】本文に登場するパロディの原型たち

◯雉も鳴かずば打たれまい

◯泣く子と地頭には勝てぬ

◯所信表明演説

◯夜目遠目笠(傘)の内

◯『女の一生』モーパッサン

 

【問1】原型とパロディとの間のズレに起因する。(19字)

原型とパロディとの間のズレを笑う点。(18字)

そこにないものとの関係のありようを笑う。(20字)

 

【問2】少ないとは言え、権威権力を持たない弱者を笑いにする毒性を持つパロディもあるから。(40字)

 

(別解)少ないとは言え、おおぜいのひとに共有されている弱者を笑いにすることもあるから。(39字)

 

《復習問題》

テキスト本文63~64行目「このパロディ狂乱の時代がそのまま文化の成熟を示す良い時代だとは思えなくなってくるのだ」とあるが、どうして「パロディ狂乱の時代」は、「文化の成熟を示す」ようには思えないと筆者は考えているのか。「消費社会」との関係を考慮して説明せよ(㊟解答例は最下段。スクロールして確認のこと、なお解答には青木方式㊾を意識のこと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答例》

パロディそのものをパロディにする「消費社会」では、パロディのもとになる優れたものを継承しつつ、権威には反発しそれを乗り越えようとする力は生み出されないから。(78字)