2015第1学期『青木邦容の基礎→標準現代文』第2講山崎正和「演技する精神」要約&復習問題

【要約】

人間の自由意志が働きうるのは、実はわれわれがまだ行動を開始していない段階に限られ、たとえ意志の結果、行動が始められたように見えても、そこに因果関係はない。なぜなら人間の自由意志と、現実に「やる気になる」ことの間には、人間の態度の転換を求めるような飛躍的な断絶が潜んでいるからだ。その結果、われわれは行動の能動的で主体的な姿勢の中へは、実は受動的に連れ込まれていると言える。人間は、自己の生理的な傾向や、環境の強制に逆らって目的を選ぶことはできるが、人間の自由とはたかだかそれだけのものであり、そもそも我々は、意志を抱く特定の瞬間を選ぶことができない。我々は、行動の実践の中で自己を動かそうとする時、実はそれが能動によるものなのか受動によるものなのかを区別できず、その意味で行動に向かって意志を抱いた瞬間に、実は抱かされているというような、奇妙な二重構造のなかにある。

 

《復習問題》

テキスト本文26行目「逆説」とあるが、次の中から本文の中におけるこの「逆説」の意味を表した文として、最も近い内容を持つ例文を次の①~⑤の中から選べ。

①情報を発信したいという能動的欲望は、人に自分を知って欲しいという受動的欲望である。

②クレア島人が言った「クレタ島人はみな嘘つきである」

③人間は、「自由」の「刑」に処せられている。

④人が存在し続けようとすることは、他人の志向性を必要とする。

⑤「この壁に張り紙をしてはならない」という張り紙がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》

④(自分が存在し続けようとする=能動的、他人の志向性を必要とする=もし他人に意識されなければ、その人は存在しないのと同様になるので、志向性=意識を向けられることが必要=受動的)