2015第1学期『センター現代文』第10講竹田純郎「生命の哲学」要約&漢字解答&復習問題

【要約】

生命体それぞれにとって環境は、個々の生命体が関わっていく物質を含むと同時に、それぞれに固有の身体的行為を引き起こす「媒体」を含み、その意味でそれは物理的空間としては一つでも、等質の単一の全体として扱えず、また環境の激変でもない限りは、生命はそのような「境域としての環境」に関わらざるを得ない存在なのである。

 

【問1】

(ア)摂取 ①摂理 ②屈折 ③溶接 ④拙劣 ⑤節度

(イ)湖   ①枯淡 ②鼓舞 ③点呼 ④凝固 ⑤湖沼

(ウ)渇き ①恐喝 ②円滑 ③渇望 ④活路 ⑤概括

(エ)誕生 ①丹念 ②生誕 ③大胆 ④嘆息 ⑤端正

(オ)測り  ①二束三文 ②促進 ③変則 ④憶測 ⑤一触即発

 

《復習問題》

テキスト本文51行目には「環境のありとあらゆるものが、それぞれの生命体に情報をもたらし、それぞれの身体的行為を引き起こすかぎり、それらは媒体である」とあるが、それでも「オオカミ」のとっては「ありとあらゆるもの」は「媒体」になることはないと言える。それはどういう理由からだと思うか。次の①~⑤の中から最も適切な説明を選べ(㊟解答は最下段。スクロールして確認のこと)。

①「環境のありとあらゆるもの」が「媒体である」というのは、ここでは「それぞれの生命体」にとってという意味であって、「環境のありとあらゆるもの」が、オオカミ固有の身体的行為を引き起こすとは考えられないから。

②「環境のありとあらゆるもの」が「媒体である」というのは、ここではあくまでそのオオカミが動き回れる四肢と、多くの知覚を持っている限りという話であって、全てのオオカミがそうだとは限らないから。

③「環境のありとあらゆるもの」が「媒体である」というのは、ここでは川や湖や空や森といった、全ての動物にとっての自然を意味し、オオカミの生息地特有の環境にあるものを取り立てて説明した訳ではないから。

④「環境のありとあらゆるもの」が「媒体である」というのは、ここでは「境域としてのあらゆるもの」が、代表的な「生命体それぞれの身体的行為」を引き起こすという意味であって、オオカミは視野に入れていないから。

⑤「環境のありとあらゆるもの」が「媒体である」というのは、ここでは「境域としてのあらゆるものが、生命体それぞれの身体的行為」を引き起こすという意味であり、オオカミは境域としての環境にいるとは限らないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《解答》①