2014第2学期『青木の現代文』第7講熊野純彦「差異と隔たり」要約&復習問題

【要約】

ことばの誕生を準備するものは、ことばに先立つ交流のかたち、生理的欲求とは隔てられたやり取りの形式にある。子どもは「交話的機能」を最初の言語機能として身につけるが、それは話し手と聞き手の接触に関わり、会話の開始、持続、終始や、経路の確認などを可能にする。こうした機能を、子どもは乳児の間に、成人との社会的ゲームによって先取りして習得している。交話的機能がそのようなものであるかぎり、交話的機能の原型は、触覚的次元に求められる。そしてこのような会話の開始や終止、聞き手の注意の喚起に際して、相手の身体の一部に触れる行動は成人についても観察されるが、言語の発生の元は、言語それ自体に先行しながら、言語そのものと何らか地続きなものであろう。ヒトの子どもは、誕生したのちも、ことばをことばとして受容する以前に、つまり有意味な音声を理解する前にことばの響きに囲まれ、他者たちの声にさらされているが、その時、乳児はことばの音のつらなりをひとつの旋律として感受していると思われる。それは言語における非分節的な側面であり、非連続的で分節的なことばに先行し、いまだことばでないものである。このようなことばの韻律的なあらわれかたは、ことば以前とことば以後とをつなぐもののひとつであろう。こうしたことばの韻律的なあらわれかた、韻律化されて、たとえば唱和されることは普遍的なことがらであり、そこに自らの声が他者の声と交じり合うという経験の原型が形作られる。こうした非言語的な音声のやりとりは自己目的的なものであるが、ことばが単なる手段、道具ではないことを考えれば、ことばによるやり取りにはこうした、目的-手段という枠組みでは捉えがたい面があり、その点でことばは交流のかたちそのものと言える。ことばが生まれ出ようとする場に身をおくことで、こうした既成の言語理解によって覆い尽くされていることばの側面に目を向けることが可能になる。

 

 

【復習問題】テキスト本文2行目で、筆者は「ことばが生まれ育まれていく条件をかんがえるためには、ことばにさきだつ交流のかたち」に注目する必要があると言っているが、その「交流のかたち」とはどのようなものか。次の①~⑤の中から最も適当なものを選べ。

 

①言語によるやりとりに先だち、お互いが交流の意志があるかどうかを確認することを目的としたもの。

②言語そのものと地つづきである次元で、皮膚を介した触覚的な経験によって交流をしようとするもの。

③ことばによるやりとり以前の、意味のやりとりとは異なる次元での、交流そのものを目的としたもの。

④必ずしも特定の相手に伝えたい情報があるのではなく、単にことばを不特定多数に発するようなもの。

⑤ことばを交わす行為それ自体によって、伝達内容を超越した内容を相手に伝えることを可能にするもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

2014第2学期『現代文読解』第7講柳澤 桂子「病と科学」要約&漢字解答&復習問題

【要約】

科学信仰は、すべての病気を科学の力で克服できるという幻想を人々に与え、その結果、病気から人間を排除し、人間本来の自己感覚を否定し、病人の、苦しみを受容する能力を奪ってしまった。そのように、患者が自分の病気も痛みも死も、自分の問題として受けとめることができなくなった状況において、患者の自己決定権を議論してもはじまらない。自己決定という考えは、患者が病気とそれに伴う苦しみを、自分自身のものとして受容している状況で、はじめて成立するものである。

 

 

【問1】

ア脅威 イ慢性病 ウ錯覚 エ警告 オ受容

 

 

【復讐問題】テキスト本文71~72行目「病気とそれにともなう苦しみを患者に返し」とはどういうことか。次の①~⑤の中から最も適当なものを選べ(㊟解答は最下段)。

①医師に委ねられた病気や痛みを再び患者が自分のものとして感じることができるようにすること。

②治療するか治療せずに苦しむかの決定権を権限が強過ぎる医師から患者に返すこと。

③医師は病気だけに注目するのではなく、病気を持つ人間やその環境も視野に入れて病気を理解し、治療しなければならないこと。

④患者に苦痛を与えずに治療した医師に、金品を余分に贈る習慣に対し、医師は余分にもらった分をすぐに患者に返すべきだということ。

⑤患者が、進歩する医療技術に身体と精神を安心して委ねられるように、医師は配慮すべきだということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】

2014年第2学期『医系小論文』MEDICAL☆KING №4【解答のためのRIFERENCE】解答例

【解答例】

リスト中最も優先されるべきはCの医学部学生であると私は考える。彼女の生存を前提にすればその次にAの保育園児であり、さらにBがその後に続く。その理由は年齢と性別およびその医学的知識から、Cが一番生存率が高いと考えられるからである。一般的に寿命が長いとされる女性で、しかも年齢が若く、医学知識を有するCを生かすことで、女性で年齢が若いAを助けられるかも知れない。またBは男性だが年齢が若く生き延びる可能性が高い。

2014第2学期『青木の現代文』第6講宮城谷昌光「他者が他者であること」要約&復習問題

【要約】(分かりづらい文章なので長めに書きました。自分で要約してみたものと比較して、類似した内容を本文から拾えているかどうか確認しましょう!!)

二十代の自分にとって、文学とは、無いことを書くことであり、有ることを書く歴史の対極にある行為であったので、そうした創作から遠くにある歴史は考察に値せず、また有ったという過去形を有るという現在形になおすだけの些細な冒険しかしない歴史小説を侮蔑していた。ことばの構築によって体現できる至上の美のかたちを目指している場合、歴史は雑音と雑色の混合体であるかぎり、文学より下位におかれなければならぬ形態だと考えていたが、ことばの純度を高める方法論を推し進めた結果、人間が小説の中で行動しなくなったことに気付いた。そうして30歳の手前になった時、小説の原理を問い直さねばならないと思った。5、6年は文体の模索を続けたが、生活は窮状を極めた。しかし、その時に感性と理性とで創作してきた自分に「悟性」が欠如していることに気付いた。それが欠如しているがために、全てが虚無に墜ちていくような文学形式しか創りえなかったことに気付いた自分は、同時に、他者がそれまでとは異なり理性ではなく悟性を備えてはじめて理解の糸口をみつけうる存在であり、そうでなければ全く無関係な存在であることにも気付いた。そういう他者の多くが、社会構造などによって無自覚に助けあって生きているという認識の有無は、どうやら歴史との接触から発しているようだ。歴史的事実が非凡でも何でもないものであり、歴史が歴史であるためには、常に創造が必要であるという自覚が生じた。悟性を備えてはじめて見えるという点で、他者が見えるということと歴史が見えることは恐らく同じであり、それによってはじめて自己が見える。おそらく文学の基本認識もそこにあり、その相関において文体を発展すべきであることを自分は三十七歳まで気付かなかった。問うて答えをえられないところから文学は発しているが、歴史を小説化する作業も同じ起点を持つ。人の存在に対する問いかけがなされて、はじめて小説と言える。また歴史は、逆説を常備し、しかも複成的である。歴史との接触なしに、現代を直視するだけでは、他人を理解出来ないように、そうした歴史に対する認識は得られない。

 

 

【復習問題】テキスト本文21行目、「そういう矛盾」とあるが、どういう矛盾か。80字以内で書け。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答例】

文学として、ことばの構築によって体現できる至上の美の形を目指すほど、人間は小説のなかで動かなくなり、かえって人を描くことを基本とする小説ではなくなったこと。

2014第2学期『現代文読解』第5講加藤周一「羊の歌」要約&漢字解答&記述解答&復習問題

【要約】

子供の頃の私は、父に連れられて父の生家を訪ねることを楽しみにしていた。私たちは田舎に行くたびに二晩か三晩泊まったが、子供の私にとって、そうした小さな旅行の楽しみの性質は、後年、時に太平洋を越え、時にインド洋を越えた旅の楽しみとあまり違わない気がする。それは、離陸したばかりの旅客機の中で味わう感覚と、小さい私が汽車で荒川鉄橋を渡る感覚が少しも違わないからである。それらの旅は、私にとっていつもの生活の時間表からの決定的な解放であり、しかも、もうひとつの日常性との接触は、まだはじまっていないという点で、あらゆる社会から切り離された一刻の私自身を味わうことができるという共通点を有していた。しかし、父の生家へ向かう村の道を歩く感覚は、空港での感覚とは全く異なっていた。むき出しの好奇心でもって「東京の人」である私たちが通り過ぎるのを村の子供たちは、ただ見守っていたが、そうした視線によって、子供の頃の私は、自分が「東京の人」であることを発見し、自分がその村に決定的に属していないことを知った。その頃の私は、自分が彼らの一人であったらと願ったが、一方で村の子供たちが「東京の人」になりたいという願いを持っていることを想像できなかった。村の子供たちに、自らが潔しとしない憧れを持っていた頃の私は、彼らを観察し、その内側を想像し、彼らの側の事情を理解することは出来なかったわけである。私の両親は、自分の子供を誇りとしてから、自分たちの子供の心に起こっている、このような事情を決して想像することはできなかった。

 

 

【問1】

ア にわ イ 精通 ウ 到底 エ 憧れ オ 讃嘆(賛嘆)

 

 

【問3】

すべての日常性からの解放の感覚。

(別解)日常性からの解放の感覚を味わうこと。 

     すべての日常から解放された自分を味わう。

 

 

【問4】荒川は、太平洋よりは狭いが、小さい私の汽車の中の感覚は、太平洋を越える時の旅客機の中で味わう感覚と少しも違わない。

【復習問題】

テキスト本文30行目「ひとつの村は、そこに誰かが決定的に属していて、誰かが決定的に属していないところなのだ」とあるが、筆者=「私」が、「決定的に属していない」と感じた理由にあたる一文を、本文から25字以内で抜き出せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】子供たちはすべてを知り、私は何も知らなかった。

2014第2学期『センター現代文』第5講木村 敏「境界としての自己」漢字解答&要約&復習問題

【要約】

人間だけでなく全ての生きものは、その環境との境界面で、環境との最適な接触を維持することによって生命を保持しているが、その際の環境には、ある個体と関係を持つ他の個体や、個体内諸条件も含まれ、個体と環境との接点あるいは境界というのがなにを指しているのかを一義的に確定するのは難しい。そもそも個体自身の諸条件が、環境とも見なされるなら、「個体」とはそもそも何なのかが分かりづらい。一方、複数の個体が環境との境界面においてその集団全体の存続のために、環境との最適の接触を求めているのは、個体の生命維持の行動と変わらない。その点で、それらを一個の「個体」と見なすこともできるが、その場合でもやはり境界の「こちら側」と「向こう側」を確定するのは難しい。その個体に準じるような集団内部では、各個体が内部環境でありながら、個々の欲求によって活動し、しかも個体としての集団のまとまりは失われないからだ。自己意識を身につけた人間は、環境との折衝の中で新たな戦略を手に入れたが、その自己意識ゆえに集団行動と真っ向から対立する。これでは生存に有利なはずの自己意識が、逆に人間の生存を脅かすということにもなる。その「私」の自己意識とは、単なる個体識別能力ではない。それは、自己の存在が唯一無二の存在であるという特権的な意味を与え、他のもろもろの個体間の差異とは絶対的に異質の特異な差異でもって他者と区別する。こうした自己意識は、生き物それ自身とそれ自身でないものとの境界そのものとして、この境界を生き、意識するところに生まれる。その意味では境界は、生命の営みが行われる、形をもたない生命の住処とも言える。

        (参考イラスト1)            (参考イラスト2)

境界としての自己イメージ1 境界としての自己イメージ2

 

 

 

【問1】

(ア)駆逐 ①蓄積 ②牧畜 ③逐次 ④竹馬 ⑤構築

(イ)摂取 ①拙劣 ②摂理 ③雪辱 ④応接 ⑤屈折

(ウ)習慣 ①歓喜 ②監視 ③看護 ④循環 ⑤慣例

(エ)折衝 ①承諾 ②詳細 ③衝突 ④交渉 ⑤省力

(オ)尽く ①迅速 ②敵陣 ③甚大 ④尋常 ⑤尽力

 

 

【復習問題】

テキスト本文78行目「『私』自身ですら、これを意識したとたんに中心から外へ押し出される」とあるが、それはなぜか。その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ(㊟解答は最下段)。

 

①「私」が円の中心であり、私以外の全ての他者は中心の外にいるという意識は、私という中心から外れないと意識できないから。

②「私」の内部には、中心という内部があり、それが何らかの理由によって、中心の外にいる私以外の他者に脅かされるから。

③「私」は「内」でありながら「内」と「外」の境界自身でもあるという非合理な位置を占めている故に、そこにとどまれないから。

④「私」自身が、「私」を意識すると、自己を客観視することになり、私以外のすべての他者との絶対的区別がなくなることになるから。

⑤他者は外部世界に、自己は内部世界に置かれているが、特異点としての「私」という自己は、自意識の強さから外部世界に押し出されるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】