2014第2学期『青木の現代文』第11講イ・ヨンスク「言葉という装置」要約&記述解答&復習問題

【要約】

わたしたちにとってことばは、意識の背後に隠れた自然なものでなければならない。サピアは「ことばの自然さは幻想にすぎない」と言ったが、そのような「幻想」を認識するのは、ことばについての知識をたくわえ、外部から観察できる言語学者だけであって、ことばを話す言語主体にとっては、やはりことばは意識されてはならないものなのだ。しかしことばは意識しなくてはならない部分を持つという点で、ことばと意識の関係はきわめて入り組んでいる。それは特定の文法や表現の枠組みであるが、これらを意識しては、ことばの働きを阻害する原因となる。ことばと意識の関係は、したがって、身体と道具のような関係でなくてはならない。道具が人間の身体の延長として身体性を獲得している限りで、それが意識されないように、ことばも身体の延長であるかぎり、それは外的物体としても内的心理としても意識されない。「道具としてのことば」と「装置としてのことば」との違いは、この身体性の介在の有無にある。道具としてのことばは、私たちに自由を与えるが、装置としてのことばは、どこまでも外部の力として、わたしたちを拘束する。

 

 

【問2】歩行の際に、足の動きは意識されないように、ことばを口にする時に意識されるのはその内容だけだということ。

(別解)「アシ」ということばを口にするときに、はじめは「ア」、次に「シ」というように意識しているわけではない。

 

【問3】特定の社会や文化の枠組みのなかで特定のことばを身につける

 

【問4】日常においてことばそのものを意識することはほとんどないために、文法や表現の枠組みを意識させられうるような場面に出会うと、それが不自然に内面化するから。

 

【問5】熟練した職人や卓越した演奏家が道具や楽器を操る際に、道具や楽器の存在はほとんど意識されていない点で、人間の身体のような身体性を獲得しているということ。

 

【問6】日常において、ことばは身体化されており、外的物体としても内的心理としても意識されずに使用されるから。

 

【問7】道具としての「ことば」は、「身体化」し、「意識」せずに自由に使えるが、装置としてのことばは、身体化できない外部の力として意識しなくてはならず、その使用に違和感を感じる。

 

 

【復習問題】本文62行目「ことばが身体の延長であるかぎり、それは外的物体としても内的心理としても意識されない」とあるが、「外的物体としても内的心理としても意識されない」とはどういうことか。次の①~⑤の中から最も適当なものを選べ。

 

①ことばの使用において、それを自らが扱う純粋な客体としても、思考内容にあるものとしても意識しないということ。

②ことばの使用において、それを文字などの物質としても、人間の生み出した観念としても意識しないということ。

③ことばの使用において、それを身体化しているゆえに、ことばは意識しないが、文法や表現は意識するということ。

④ことばの使用において、装置としてのことばは意識するが、道具としてのことばは意識せずにコミュニケーションが可能だということ。

⑤ことばの使用において、結局、何らかの形でことばを意識しなくてはならないが、それは物質としてではないということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】①