2014第2学期『青木の現代文』第1講小林秀雄「読書の工夫」要約&復習問題

【要約】

自分を忘れ、小説中の人物となり、小説中の生活を自らやっているように錯覚する楽しみに身をゆだねることは、小説中の一番普通の魅力であり、かつ根本の魅力である。したがって普通の読者はこの魅力以上の魅力を小説から求めようとはしないが、この読み方は、小説の濫読によって自分を失い、他人を装う術が知らず知らずに身に付いてくる危険性を伴う。実際、小説に毒されて他人を装う術がすっかり身についてしまい、本当と嘘との区別がつかなくなってしまっているような文学好きが存在し、こういう類いの人間は、小説を読んでいれば実地に何でもやっている気になれるので、実地に何もやらなくなる。このような中毒を起こすのは、小説を、自分を失う一緒の刺激のようなものとしてしか受け取っていないからだ。小説だけではなく思想の書物も同じだが、読書もまた実人生の経験と同じく真実な経験である点で、絶えず書物というものに読者の心は目覚めて対していなければならない。小説で言えば、読書もまた小説を読む事で、自分の力で作家のつくるところに協力するような態度が必要であり、この協力感の自覚こそ、読書の本当の楽しみと言える。思想の本で言えば、自分の身に照らして書いてある思想を理解しようと努めるべきだということである。小説も思想の本も、他人を装う術を覚えるような読書の仕方は避けるべきである。

 

 

【復習問題】

本文30行目「読書もまた実人生の経験と同じく真実な経験である」とあるが、これはどういうことか。その説明として最も適当なものを次の①~⑤の中から選べ。(㊟解答は最下段)

①普通の人は、読書によって自分を失い、他人を装う錯覚に陥るが、いくらそのような状態になっても現実世界からは逃れられないということ。

②筆者が、読書を「自分を失う一種の刺激のようなもの」と表現しているように、読書は刺激的で、本当は自分を見失うものではないということ。

③読書と言えど、自分が実地に書いてあることを自分の身に照らして楽しんだり理解したりする点で、その他の現実の経験と本質は変わらないということ。

④読書は、「こちらが頭を空にしていれば、向こうでそれを満たしてくれるというもの」ではなく、自分で頭を知識で満たす努力が必要な行為であるということ。

⑤読者は人生の中での一つの経験である以上、本の内容も全くのフィクションではなく、自分の人生を自覚的に生きるのと同じくらいのリアリティを持つということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】③