2014年夏期講習会「上智大現代文」第5講要約&復習問題

【要約】

私たち人間は、自分の言葉、母語を子どもの頃からいつの間にか知っているので、ことばについて疑問に思うことはない。これは母語が、我々に選択の余地がなく、もの心がつかぬうちに、無理やり社会の暴力によって覚えさせられたものであるからだ。その意味では言語は、個人がただただ受け入れるしかない社会のシステムであり、社会的現実として誕生の瞬間から人間を縛り付ける。したがって言語によって指されるモノとそれを指し示すオトとの関係は、誰にとっても必然的で自明のことであり、また絶対的に正しいように思われる。しかし、良く考えれば、これらの関係には必然性はなく、言語ごとに随意に決まっている。これを「記号の恣意性」とソシュールは呼んだが、説明されると分かりやすいこの性質は、言語というものの全体にどのようなかかわりを持っているかについてはもう少し深く考えてみる必要がある。現代人は未だに、モノとことばはイコールであるとする言霊的な感覚を持っており、人の名前がその人の本質を表しているように思うが、人の名も結局は親が恣意的に付けた記号に過ぎないのだ。

 

 

【復習問題】本文20行目「社会的事実」という言葉の例として適切なものを次の中から一つ選べ。

a 未開社会において、熊に魂があるという信仰があるために、それを別の社会の人間が宗教の一種であるとみなす。

b ある学生が、資格を取れば取るほど就職に有利になると考え、学業よりも資格試験の準備に時間を費やすようになる。

c モノとモノが社会の中で交換される際に、貨幣が媒体として大きな役割を果たすために、貨幣を大切なものとみなす。

d ピロリ菌がガンの発生原因だと聞き、自分の胃にもそれが存在すると思い込み、除菌することでその発症を防ごうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【解答】C(社会的事実とは、ある社会の中での「人間の作った」決まり事がまるで自然法則みたいに、人間に捉えられ、その人間を縛ることです。貨幣は単なる交換手段に過ぎないのに、貨幣経済の中にいる我々は、貨幣自体に価値があると思い込み、それを大切な物とみなします。貨幣を中心とした我々の経済システムが、我々の思考、価値観を縛っているわけです。)