2014冬期『青木邦容のハイレベル現代文』第5講松井健「自然の文化人類学」補足解説&要約

【要約】

人間には概念装置を通す以外に、身体的な営みによる理解があり、コミュニケーションにおいても身体は必須の役割を果たすものとして普遍的かつ社会的なものである。身体は、長きにわたり、社会においてその成員が閉鎖的に相互に関係を持つことで、単なる肉体的物理的な所与としてだけでなく、文化的社会的な意味を持つものとなる。またそれは、文化的社会的なコミュニケーションにおいて、送信装置や受信装置として機能すると同時に、概念的なものよりも、一層深い納得を与えてくれるが、かえってそれに基づいた想像力が、共同の身体性を育んでいる人や集団にしか及ばないことから、他者の排除の契機になることもある。

【補足解説】

㊟番号は“Aokiroid5.0”青木方式集番号参照のこと

 

(準備)①によって問4チェック⇒指示語の問題なので、特に53を意識⇒「教育」における競争や管理に対する反抗が、「こうして選択された」弱者に対する攻撃性に変化している例について、筆者はこの辺りで語っている模様⇒テーマかもしれないと意識⇒④によって問1をチェック⇒直前には「たしかに」という表現から、身体が文化的、自然的といったふたつの範疇に属するといった内容が来ているはず。⇒⑦によって文章を4段落と5段落の間で分割⇒読解開始

(読解)

【第1段落】空欄aがあるが、㉗を使って一文にしても㉒に当たるような「繰り返し」はないので、ここは無理せずスルー。

【第2段落】14~15行目にある「身体は~普遍的なものである」は、空欄aを含む一文の繰り返し(㉒)。ここから空欄aに「普遍」が入る。

この段落では、身体は普遍的な所与であると同時に、一つ一つの社会で鋳造された社会的なものだと説かれている。つまり身体=普遍的かつ社会的-となる。問1でチェックした脱落文から予測した直前の文は「身体=文化的or自然的」。なので空欄イは正解候補から外れる。

【第3段落】空欄Ⅰを含む一文で考える(㉗)。「この意味では」は㉚にあるように「イコール」を意味するので、「この意味では」までの内容をヒントにする。要するに身体を使った広い意味でのコミュニケーションの説明が書かれているわけだが、これをどのように表現するか。身体=肉体と考えれば簡単だが、慎重に行くなら㉒を使って27~28行目まで読んでから答えても良い。

空欄ロの直前は、問1でした予想に合わないので×。

【第4段落】第2段落の説明で見たように、27~28行目は空欄Ⅰの前後と対応している。ここで空欄Ⅰに「肉体装置」を入れる。空欄bもこれまでの空欄と同じように考える。「社会化された身体」が[ b ]的に構築されているというのだが、この部分は15~17行目と同じであり、そこにある「鋳造」に目を付ければ、27~30の「身体というものを~彫琢されてできた文化的なものだ」も同じだと気付く。「鋳造」≑「彫琢」という対応が見られる。ここから空欄bには「文化」が入り、また同じようにcには「社会」が入る。

空欄ハは、要注意。問1設問チェック(④)で予測した内容に近いものが空欄ハの直前に来ている。空欄ハの直前は、身体=肉体(自然)を基礎に、社会が文化的に改造した~というようなことが書いてある。つまり、身体は文化的側面と自然的側面を持つ訳である。ここを正解候補としておく。

 

(☆ここで分割ポイントに達したが、今回の問題には内容一致など、本文全体に関わる設問がないので、中間チェック-㉓-は不要。引き続き後半に進む。)

 

【第5段落】設問なし

【第6段落】空欄Ⅱを含む一文は「社会化された身体」についての文なので、㉒から31行目「社会が、こうした~必要である」につなげて考えれば良い。要するに身体は、誰でも同じ感覚や運動機能を備えており「普遍的」なものだが、それを基盤にさらに同じ社会で長く生活している身体同士は、お互いの身体について想像することができ、そうしたことが社会的関係を構築していると言っているのだ。したがって空欄Ⅱには「社会」のような言葉がくるはず。答えはホである。

【第7段落】まず空欄ホには脱落文は来ない。空欄直前の内容が予測と違う。問4を㉔に従って考えてみる。一文にして内容を確認すると、要は生徒の教育に対する反抗が、「こうして選択された」弱者への攻撃に変化しているのではないか-と筆者は言っているのだが、どのように攻撃対象を設定するというのか。ここは「いじめや暴力」のことを問題にしている(50~51行目)。そもそも「いじめや暴力」とここまでの筆者の主張とはどのような関係があるのか。筆者は、「社会的なかかわりを支えている想像力が、共同の身体性をはぐくんできたかぎられた集団内にしかおよばない」と言っている。つまり、想像力が及ばない相手に対しては、「苛酷にふるまうことができる」わけである。要は人間は、同じ社会的体験をしている仲間への想像力は持っているので、相手が嫌がることをしないが、仲間ではない人間に対しては攻撃をするということだ。「安全な標的となる弱者」(54行目)は、どのように作られるかというと、「身体性の共有」に関わることは、以上見てきた通り。この「身体性」を共有しないことが、攻撃対象となること=「排除」につながるというのだ。したがって㊹を意識しながら抜き出すと「身体性の厳密な~ことがある」(52~53行目)が適当だとわかるだろう。

【第8段落】設問なし

 

㊟解答は再度テキスト46ページ参照。