2013第2学期『青木邦容の現代文』第6講川勝平太『文明の基礎とは何か』要約&記述解答

《要約》

文化と経済とは対立的に考えられがちだが、経済が生産と消費、供給と需要、販売と購入とからなり、生産・供給・販売は、文化としての生活様式である消費・需要・購入に従属すると言える点で、経済は文化に従属する。その文化は遍在し、それが他地域から憧れられて、取り入れられ普及すると、その地域の文化は文明になる。そうした文明は、文化と異なり偏在し、興亡し、また移動する。文化が中心性と普遍性を備えると、文明になる点で文明の基礎には文化があると言える。近代文明は資本主義として勃興したが、その出生には、プロテスタンティズムに見られる禁欲や、世俗的贅沢、あるいはアジア地域の文化への憧れといった、非経済的・文化的要因があった。特に大航海時代前後においては、黒死病に生命の危機を募らせたヨーロッパは、アジアに胡椒・香辛料を求め、また東南アジアは多文化交流の坩堝であり、ヨーロッパ諸国は東方の物産、特に木綿に魅惑され、やがてそれが経済的理由から買えなくなると、自分達で作りだした。後に産業革命の主軸になるのが木綿産業であるが、その点でまさに文化革命が主導して産業革命が後を追いかけたと言える。こうしてヨーロッパ人の生活危機、宗教意識、またアジアの文明への憧れが、ヨーロッパに人類最初の経済文明をもたらしたのである。

 《問7》「文化」は、「経済」を従えて遍在し、他地域から憧れられ、普及して「文明」になる。

2013第2学期『現代文読解』第7講佐々木毅「学ぶとはどういうことか」要約&記述解答

《要約》

人間社会に巣食う不正や暴力、欲望の暴走、予測不可能な不安定性といったものに対する嘆きや悲しみ、やり切れ無さが人間の「学ぶ」ことへのエネルギー源であり、そこから大思想が生まれる。しかし、その人間的な現実を作り出しているのも他ならぬ人間であり、人間はそうした現実に疑いを差し挟み、新しいことを試み、それを通して人間世界を変え、それを作りかえることで文明を作り上げてきた。しかしその文明では日々、さまざまな問題が生じるため、新しい工夫によって一歩一歩前に進むこと以外にやりようがないが、そうした問題に対する具体的な対処が「学ぶ」ことの内容を形成する。その意味で「学ぶ」ということは、文明の性格と深く結びついている。プラトンは、その万物を統御する神による支配というモデルにおいて、「すべてがわかっている」人間、智者こそが支配者になる政治体制を理想としたが、人類が過ちを犯すことがある以上、常に様々な問題が生じ、「学ぶ」ことが求められる。プラトンの考えに比べれば、終点のない「学び」である、「より適切なもの」を選択する立場は、究極性や絶対性はなく、あるのは生命の働きに依拠した継続性である。そこには選択の余地と過去の選択の修正可能性があり、それはすなわち人間の現実が「可能性の束」であることを意味している。その意味で、人間は新たな可能性を切り拓く「中間的」存在としての定めに従いつつ、絶対的な権威を振りかざす特定の人間に百パーセント臣従することの薄気味悪さからは、間違いなく開放されていると言える。

《問5》

様々な問題に対して、人間は新しいことを選択し、企て、それらに具体的に対処することで、人間世界を作りかえていけると考える。

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2013第2学期『現代文読解』第5講饗庭孝男「中世を歩く」要約&記述解答

《要約》

寺へ参る、その時間的距離は「私」にとっては〈聖なるもの〉に近づいてゆく心の深まりの距離であり、求心状態が作られる過程として大切なものである。またその過程は「私」のとって自己を低める行為のことでもあり、寺に参る際には「私」は自分の心の不完全さや愚かしさを絶えず身に染みて感ずる時に、どれだけ自分を低めることが出来るだろうかと考える。自己を低めることで見えてくるものは、自己と絶対者との関係、あるいは自己と世界との関係であろう。ルネサンス以降は自己を高めようとした時代だったが、中世は自己を低めるということが芸術作品にも及んでいた時代であり、自己を低めることによる敬虔と畏れの心が、逆に美しい物を作った時代であった。

《問4》

寺に向かって歩む際に、自らの心の不完全さ愚かしさを感じ、自己がいかに低い小さい存在であるかを知る。

 

2013第2学期『現代文読解』第4講井筒俊彦「意味の構造」要約&記述解答

《要約》

常識的には言葉と物の関係は、先ず物が有り、それらに別々の名前がレッテルとして付けられているというように直接的なものであるとされているが、実はそこには無限に複雑な自然物を見、それらを秩序づけ、様々な目的に従ってそれらを評価する、人間精神の独特の視点によって、現実の世界が主体的に再構成されるというプロセスが介在している。その意味で語は現実の世界の言語的類別化であり、「概念」と呼ばれるものはその主体的視点が明確な形をとったものである。意味論は、このような視点が語というはっきりとした形をとったものを分析的に研究する。

《問5》

物と言葉の間には直接的な結びつきはなく、全ての概念はその社会に固有な独特の精神態度の具体的な現れである点で同じだから。