2013第2学期『現代文読解』第12講茂木健一郎「疾走する精神」要約&記述解答

《要約》(講義時間の都合上、早いペースだったので、講義内容を補完する意味で長めに構成しています。)

世界中の人々がインターネットという「スモール・ワールド・ネットワーク」でお互いに結び付けられる現在、世界中の人々が持つ、よりよく生きたいという素朴で切なる願いに資するような思想でなければ、世界的な影響力を及ぼすものにはなり得ず、それはさまざまな地域に住む人々がよりよく生きることを助けるものでなければならない。地域を超えた結びつきがますます密になるこれからの社会では、異なる他者が共に生きる共生の生命哲学が必要だが、「もののあはれ」の伝統を持つ日本は、そうした生命哲学を生み出すことができるはずである。というのも、「もののあはれ」を解する日本人の生命哲学の中には、もともと変化と切り結んで自らを変えるという叡智があったはずだからだ。そもそも色合いが異なる者同士が丁々発止と渡り合ってこそ、「共生」は意味を持つが、またそのためにこそ国家や社会の中にある恒常性への志向ということ自体を対象化し、客観化し、それを多様性の増大のめにうまく機能させるような発想が必要である。日本に限らず、ある国が独自の伝統を言い立てる時は、大体において国としての同一性、自我が揺るがされている時だが、その時に伝統を守るという恒常性を、変化に対して目を瞑る方向ではなく、新しい自我を作り上げるように積極的に運用する必要がある。その意味で自己同一性を保つということと、変化に身をさらすこととは矛盾せず、むしろ頑強な恒常性維持作用があることが、多様で偶有性を増す現代社会における生命哲学を全うするための前提とも言える。以上の点からも日本が、他者に開かれると同時に確固とした自己を持った魅力的な国になるために、日本の伝統である「もののあはれ」の核心には実は強靱な自我があるという洞察が必要なのだ。

《問8》異なる他者が共生するための、頑強な恒常性維持作用をもとに変化に身をさらし自らを変えるという叡智を元々持っているから。

(別解)

共生には、「個」の確立とその変化が必要だが、「もののあはれ」は、強靱な自己を前提に自らを変えられるという叡智を持つから。